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<title>心の癒しの旅</title>
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<description>聖書の言葉を通して、心の癒しのお手伝い。
日々の生活に密着した聖書の言葉をお届けします。

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<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7dc4.html">
<title>“イエス様がサタンを追い出す”</title>
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<description>サタンの働きを思いました。 『しかし、朽(く)ちるものが朽ちないものを着、死ぬも...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;サタンの働きを思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『しかし、朽(く)ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。…&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。』新約聖書 第１コリント15:54~58&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、昔は自己否定で、すぐに気持ちが沈んだり、思い煩いにとらわれたりの連続だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近はイエス様の癒しで、気持ちが沈んだり、何かを気にすることがほとんど無くなったように思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様にあって平安な気持ちが与えられている中に、何かかが入り込んでくると違うものが良くわかる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、私の弱さや、罪や、ずれや何かを足台としたサタンの働きだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;朝に夢を見た。目覚めたとき、その夢に登場した人が、めったに会うこともない人だが、脅威をもって私を圧迫し、迫ってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その人を赦す祈り、そして自分の弱さを赦してもらう祈りをした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今、ブログを書こうと思い、何かすべてが虚しい思いになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;霊的にはサタンが吠えたける獅子のように、私の弱さの足台を探し、そこに乗っかり、私に偽りを吹き込もうとする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あまり、こういった記事は書かないのだが、否定的な思いに悩まされている人に、サタンの働きがあることを伝えられたらと思い、こうして書いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;見えない神様がいて、聖霊が働いてているように、聖書にあるがサタンも同じように働いて私たちを惑わす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;サタンのもっとも大きな狙いは、神様との交流を妨げるものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、私たちにダメージを与えるため、偽りをささやく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も「イエス様の十字架の愛があるのに、生きるのが虚しいと思う足台となるものを赦し、打ち砕いてください。」と祈り、「イエス様が愛してくれ、主にあってすべてがむだでないのに、偽りを言う霊、イエスのみ名によって出ていけ。」と祈った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、今このブログを書いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何でもかんでもサタンのせいにして、自分をかえりみないのは良くないと思い、このような記事を書かなかったが、誰かの助けになればと書いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私自身、悪霊追い出しする教会には属したことがなく、霊的なことは未知の世界でもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;が、霊の戦いの中で確かにサタンは私たちに日々、つけこんでくるのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;が、イエス様が十字架で勝利され、霊的な世界において、イエス様のみ名でサタンを追放できるのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;死にも勝利してくださったイエス様は、この世の諸々の霊からも私たちを解放してくださる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様によって、私たちに神の国が来た。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『しかし、わたし(イエス)が神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。』マタイ12:28&lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-16T01:24:38+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8e69.html">
<title>“イエス様が道、真理、いのち”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8e69.html</link>
<description>イエス様が道であり、真理であり、いのちと言われたことを思いめぐらしました。 『イ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;イエス様が道であり、真理であり、いのちと言われたことを思いめぐらしました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでなければ、だれひとり父(神)のみもとに来ることはありません。』新約聖書 ヨハネの福音書14:6&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おはようございます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様が人を造られ、その愛をイエス様によって現してくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様は私たちすべての人を愛し、イエス様の十字架の赦しを私たちに与えてくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;教会の外にいる人たちもまた、神様から愛されるために生まれてきたのだということを思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様は、「わたしが道であり、真理であり、いのちです。」と言われました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それはどこにつながっているかというと神様につながっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちには、様々な人生の道があります。百人いたら、百通りの道があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;たった一度与えられた人生の道、どこに向かえばいいか、岐路に立たされ、迷います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;よく「神様のみこころはＡの道かＢの道か」というのを聞きます。Ａが正解で、Ｂが不正解などというほど、神様は狭いお方ではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;たとえ間違っているような選択ですら、神様にあっては益とさせてくださいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どの道をいくかでなく、どんなふうに歩むか、誰と歩むかなのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その選択にイエス様がいてくださるなら、その先は永遠なる神様に行きつきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様は真理です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は若いころ、真実なものを知りたいと切に願いました。が、自分の中にも、人の中にも真実なものはあまり見い出せませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;真理は人を生かします。私はイエス様に出会って、生かされました。たとえ、私がすべてを知らなくても、この真理である方を信頼して頼ることで、生かされてきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、私たち自身が何も知らなくても、頼る方が真理であれば、安心です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様はいのちです。私たちは生を受けて生まれてきましたが、やがて死にます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様のいのちは父なる神様とともに天国で生きるいのちであり、イエス様とつながり、神様と親しく交流できるいのちです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様がくださるいのちは、この神様とイエス様を知ることを喜びとするいのちです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様は私たちにたくさんの良いものをもたらすために来てくださいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このイエス様無しでは、神様のところへも、神様の国にもたどり着きません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様は今日も私たちに、「わたしのもとに来なさい。」と招いてくださっています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様がくださる道と真理といのちがお一人お一人の中に豊かにありますように。&lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

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<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-47b5.html">
<title>“キリストにある知恵と知識の宝”</title>
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<description>キリストにある知恵と知識の宝を思いました。 『あなたがたとラオデキヤの人たちと、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;キリストにある知恵と知識の宝を思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『あなたがたとラオデキヤの人たちと、そのほか直接私の顔を見たことのない人たちのためにも、私がどんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。』新約聖書 コロサイ人への手紙2:1~3&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、テレビで良くクイズ番組をしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;難しい知識や漢字などを解答したりする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちに神様は知る欲求をも与えられたのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;聖書を読んでいて、このコロサイの箇所が心にとまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;パウロは、ラオデキヤの人たち、また、会ったことのない人たちのために苦闘した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、その人たちが“神の奥義であるキリストを真に知るようになるため”であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神の奥義とは、「神様が定められた時まで隠されている秘密。神の国、異邦人の救い、福音、神の救いの計画、キリストなど、これらの秘密は啓示によって現された。」と解説にある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;“神の奥義であるキリスト”は、まさに神様が定められたときまで隠されていた秘密兵器なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様が来られるまで、救い主が来られることは、繰り返し預言の中で語られた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様が来られ、聖書が与えられ、聖霊様が与えられたことによって、この隠されていた秘密は明らかにされた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『このキリストのうちひ、知恵と知識との宝がすべて隠されています。』コロサイ2:4&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;キリストのうちにある知恵と知識とはどんなものか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、霊的な存在として人が造られ、霊的な存在として神様と交わる祝福の知識もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人が本来造られたような姿に回復し、自由に生きる知識もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人が何のために生まれて、どこに向かっているかの知識もある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;キリストこそが、道であり、真理であり、いのちである。(ヨハネ14:6)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様に隠されている秘密は、多方面に渡り、深すぎる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一言では言えないし、知り尽くせないほど、深い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただ神様の隠された秘密が、このイエス・キリストにこそ一手に隠されている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様にある知恵と知識の隠された宝を私たちが知り、喜びに満ちあふれますように。&lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-14T17:26:36+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-41d9.html">
<title>“すべてはイエス様によって赦された”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-41d9.html</link>
<description>私たちの隠したいような弱さをイエス様は赦し癒してくれました。 『そこで女が見ると...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;私たちの隠したいような弱さをイエス様は赦し癒してくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目には慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。』旧約聖書 創世記3:6.7&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;発達障害の親の会が始まって、５年になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;集まっているお母さんたちは、実に前向きで、その時々の悩みはあっても、我が子にとって、何が良いのかいつも模索している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;他方、あまりそのような会には来ない人の中には、我が子の特徴や課題を見ようとせず、問題がないから大丈夫という方もいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;子どもの課題が明らかであっても、人の弱さがそのことを受け止めきれず、問題無しとし、子どものゆきずまりを放置してしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人の中にある自分の弱さに対しても、私たちは同じなのだなぁと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分に歴然とした弱さや足りなさがあっても、それを受け止める力がないと、あるものを無いかの如く、隠したり、ごまかしたりして過ごす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、あのアダムとエバが食べてはならない善悪の木の実を食べて以来、私たちは自分を隠すということを神様にも人にもするようになったのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ、隠すかというとその弱さを自分で受け入れることができずに、恥ずかしいとするからなのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様は私たちの弱さや足りなさや汚れや恥や、そのような人に知られたくないそのやみの部分を赦すために、十字架にかかってくださった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の隠したいようなすべてを、イエス様は十字架ですべて赦して受け入れてくれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちもそれを受け入れ、赦しと癒しときよめを体験できる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;では、私はどれだけ、イエス様が赦してくれた自分自身を受け入れているか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、自分がどれだけ、そのような恥かしいと思えるような弱さを人にも神様にも言えているかなのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はある時まで決して人に話したことのない癒されていない自分にある心の傷の部分を、ある時から人に話すことができる自分に気がついた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そうか、人にも話せているのは、そんな弱さもイエス様に受け入れられていることを私も受け取っているからだと気がつかされた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちは、いちじくの葉っぱをどれだけ心の中でくっつけて隠しているだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;隠していることが悪い…というのではない。そこもまた、イエス様が赦されたところであることを受け入れ、もう一度、神様の前に告白していくならば、イエス様がいちじくの葉っぱを優しくはがしながら、「大丈夫だよ。そこも赦され、癒され、わたしの栄光が包まれた患部となったよ。」と語ってくださる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一枚一枚、いちじくの葉っぱをはがし、私たちのすべてが赦され癒され、イエス様の愛でおおわれているのが明らかになりますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/13/img_4527s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_4527s&quot; alt=&quot;Img_4527s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/13/img_4527s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>心の癒し</dc:subject>
<dc:subject>日常生活－地域社会</dc:subject>
<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－旧約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-13T01:35:11+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0279.html">
<title>“イエス様の栄光と人の解放”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0279.html</link>
<description>イエス様をあがめることは、私たちの解放につながることを思います。 『また私は見た...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;イエス様をあがめることは、私たちの解放につながることを思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」』新約聖書 黙示録5:11~12&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、イエス様に出会う前は、自己像が低く、私は駄目な人間だと思っていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういうことがどんな風に外側に出るかは、人それぞれだろうが、私は“自己実現”を目指すことによって、それをカバーしたいと考えていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自己顕示欲が強かったと思うし、自分を何かをもって表さないと、ちっぽけな自分の存在は明らかにならない位に思っていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;が、その思いとはうらはらに何をやっても挫折に至った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様に出会ってからも、自己実現という言葉こそ私の中になくなったが、伝道したり、神様の働きをすることによって、自分を表したい欲求は根強く残っていたと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の信仰生活の訓練で、私は半強制的に与えられた状況を通して、“自分を捨てる作業”をさせられてきた気がする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;気がついてみたら、心の癒しと共に自分を表れしたいという欲求はほとんどなくなっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;全くないかと言われたら、弱さの中で試されたら、眠って残っているものが出てくるかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;が、昔のその欲望に支配されていた自分を思うと、今は皆無に近いような状態であると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;代わりに湧いてくる願いは、「ただ神様、イエス様の栄光が表されますように。」という思いである。これは本来の自分には無かったものだから、神様から与えられたものだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;前者の自己顕示欲が強かったときの私は、いつも、自分は成功したか、失敗したか、人にどう評価されるか、そのことが気になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今の私は、たとえ人前でかなりの失敗のような状況になったとしても、そのことが恥ずかしくもなんともない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大切なことは、イエス様と共にいたかであって、自分が何かを上手くできたかではないから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;天国では、ただイエス様が誉めたたえられるお方として、賛美される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこには解放がある。自分の捕らわれからの解放がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;地上では、私たちがイエス様を礼拝することは、自分を忘れてイエス様を誉めたたえることで自分の縛りからの解放となる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;してみると、自分の捕らわれから解放される生活とは、ただイエス様の栄光を願い求める生活なのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様をあがめるということは、強いられてしなければならないことではなく、本来あるべき姿であり、私たちが自分から解放される唯一の道なのではないかと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちが心からイエス様をあがめていく礼拝生活がなされますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただイエス様が栄光を受けられますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/12/img_4617s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_4617s&quot; alt=&quot;Img_4617s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/12/img_4617s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>心の癒し</dc:subject>
<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>
<dc:subject>自分の体験－自己像の回復</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-12T01:18:29+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-2939.html">
<title>“キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-2939.html</link>
<description>三位一体の神様について思いました。 『わたし(イエス)が父のもとから遣わす助け主...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;三位一体の神様について思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『わたし(イエス)が父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊(みたま)が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。』新約聖書 ヨハネの福音書15:26&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。』新約聖書 第２コリント13:13&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;天地創造のときから、神様、イエス様、聖霊様は三つで一人なる神様としていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;旧約時代は聖なる神様が、ダイナミックにイスラエルの民に働かれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２０００年前にイエス様が処女マリヤから聖霊によって生まれ、イエス様は人となられ、３３年地上で生きられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様が昇天され、今最後の時代、聖霊様が信じる私たちに与えられ、イエス様について、神様について教えてくれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人によっては、教団背景で、神様、イエス様、聖霊様、どれかが身近だったりするかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、天のお父さんである神様に祈る…というところから長い間、神様が身近だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今から２年ほど前、教会の礼拝に行くたびにイエス様の十字架がとても大きく示され、以来イエス様、イエス様の十字架の大切さを思いめぐらすことが多くなった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、聖霊様の働きを少しずつ教えられている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今、あのペンテコステ以来、聖霊が注がれ、誰でも聖霊様によってイエス様、神様のことを知り、また、導かれるようになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様のご人格に触れることなく、聖霊の力ばかり強調されるとしたら、私は違和感を感じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;かといって、知的に神様、イエス様を聖書から教えられても、霊的な賜物や働きを認めないとしたら、それも私は違和感を感じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;皆、与えられた信仰によって、神様、イエス様、聖霊様、どれかの神が身近に感じるものかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けれども、聖書では三位一体…三つで一人なる神様なので、それぞれの人格を大切にし、三位一体の神様に生かされていきたいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様の愛、イエス様の恵み、聖霊様との交わり…すべて与えられている大きな恵みとして、その中に生かされていきますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/11/img_4524s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_4524s&quot; alt=&quot;Img_4524s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/11/img_4524s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-11T01:13:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8dac.html">
<title>“どんな人をも離さず、捨てない主”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-8dac.html</link>
<description>イエス様が養われる教会を思いました。 『わたし(神)は自分でわたしの羊を捜し出し...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;イエス様が養われる教会を思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『わたし(神)は自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を雲と暗やみの日に散らされたすべてのところから救い出して、世話をする。…&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデ(キリスト)を起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。』旧約聖書 エゼキエル書34:12.23&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は教会を転々としたので、誰か一人の牧師に霊的に育ててもらった記憶はない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;牧師たちには、反発のほうが多かったりしたし、このイエス様が養う…という聖書の約束を切望した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今は教会に通っているが、イエス様に養われている感じが強い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けれども、きっとここまでくるのに、たくさんの教会での経験、教会の人々との出会い、祈りに養われてきたのだろうと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;教会生活では、決して“良い子”でも“従順な信徒”でもなかった私だが、神様が私の手を離さず、見捨てず、あきらめず導き続けてくださったのを思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人には限界があって、人を養う受容範囲があるのかめもしれないが、神様は無限なお方で、出来の悪いひねくれ者を神様のあわれみに包んでくださるのを思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;教会の外にいる人たち、教会で窮屈にいる人たちへの神様の愛を思いつつ、祈ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「天のお父さん、私はかつて、自分には養ってくれた牧師や教会がないことをとても寂しく思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も人から霊的に養われたいと願いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けれども、あまりのひねくれ者だったので、信頼関係の中に養ってくださる方はいませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けれども、気がついてみたら、教会でのたくさんの痛みはあっても、神様は私の手を決して離さず、私をとらえ、私に語り、私を砕き、私を導いてくれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人は見捨てても、神様は決して私を離さず、捨てない(ヘブル13:5)のみことばは真実でした。ありがとうございます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が教会で順調に養われなかったのは、そのような人たちの気持ちを理解するためかもしれません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は教会や牧師に反発したタイプでしたが、養われず、そっと教会をあとにする人は、どんなに寂しい気持ちでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;教会にとどまれなかったことが、あたかも神様からアウトと言われてしまったかのような錯覚すら覚えるかもしれません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、違います。人間側に受容能力の限界があっただけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちの限界を赦してください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、イエス様を信じたその信仰は、世界が始まる前から選ばれ、与えられているものですから、もう一度、イエス様の慰めと喜びの中に入れてください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様が限界のないお方のゆえ、イエス様の十字架のもとに、どんな人も楽に赦され受け入れられる教会を与えてください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちはイエス様の十字架によって、何の条件もなく、自由に集えるようにしてください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;養えるのはイエス様だけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;変人も狂人も、犯罪者も、この世から偏見や差別を受けている人も、貧しい人も枠がなく、イエス様のところに集まり、赦され、癒され、霊的に恵まれますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様の十字架の栄光を現してください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/10/img_4637s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_4637s&quot; alt=&quot;Img_4637s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/10/img_4637s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>キリスト教－教会</dc:subject>
<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－旧約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-10T01:13:47+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-253a.html">
<title>“返さなければならない負債”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-253a.html</link>
<description>私が負っている負債について考えました。 『私は、ギリシャ人にも、知識のある人にも...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;私が負っている負債について考えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『私は、ギリシャ人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』新約聖書 ローマ人への手紙1:14~16&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は神学校を卒業する２８歳の頃、神様にこんな風に言ったのを覚えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「神様、私は伝道（イエス様の救いを伝える）をしたくて、したくて仕方ありません。福音を拡げたいという神様の願いと合致しているので、何の問題もなくそのことはなされますね。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところが神様からしたら、問題だらけだったらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はその後、行く教会、教会で問題にぶちあたっていく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の心の癒しも長い年月を用した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先のようなことを神様に話しかけ、様々な試みを通され、２２年の月日がたつ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あの頃は、伝道したい気持ちにあふれていたけれど、神様のことも、人のことも、自分のことも、わかっているようで何もわかっていなかったなぁと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それでは、今はわかっているかと言えば、もちろん多くをわかっていないのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;が、何を誇りとするか、ハッキリと教えられた。若い頃は、私の中にある情熱や思いが中心だったが、今は主を知っていることが誇りである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたし(神)を知っていることを。』エレミヤ9:24&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私の若い頃は、ごう慢だったのだと思う。そこで、もしいろんな道が開かれていたら、自分の力に頼っていたと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今はというと、自分が無力であることを感じている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、神様に祈り求めたいと思うのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;やみは、様々なところに当たり前のように拡がっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;誰かの悲しみや苦しみが私の責任とは思えない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、もし、イエス様の十字架の救いや癒しが、やみにおおわれている人に届いていたら、その人々は苦しまず、求める方に求め、救われていたかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;パウロは、「私はすべての人に、福音を伝える責任(返さなくてはならない負債）を負っている。」と言った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私もまた、すべての人に負債を返す責任を負っているのだなぁと、今日、改めて強く思わされた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、私が何かをすることが先なのではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;主が願っておられるときに、主の願いの通り、私の分ができるよう、いつも、目を覚まし、人々の救いのために祈ることなのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;パウロが言った、“返さなければならない負債”ということばが響いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様、どうぞ、イエス様の十字架によって、人々が重荷をイエス様に下ろし、慰めと喜びを見い出せますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/09/img_4622s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_4622s&quot; alt=&quot;Img_4622s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/09/img_4622s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
<dc:date>2009-11-09T00:50:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7e7e.html">
<title>“キリストにある神の愛から離されない”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7e7e.html</link>
<description>困難の中にある人にイエス様の愛が現されることを祈ります。 『私たちをキリストの愛...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;困難の中にある人にイエス様の愛が現されることを祈ります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #cc0000;&quot;&gt;『私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣(つるぎ)ですか。…&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #cc0000;&quot;&gt;しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #cc0000;&quot;&gt;私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。』新約聖書 ローマ人の手紙8:35~39&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;おはようございます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様は、私たちすべての人を愛しておられます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様の愛は、ただ美しいことばだけの響きで終わっていません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様は歴史の中で、イエス様を送り、私たちのためにイエス様を十字架にかけるという具体的なことをもって、ご自身の私たちへの愛を示されました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;聖書に次のように、書かれてあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #cc0000;&quot;&gt;『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。』第１ヨハネ4:9&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その歴史的な事実が、私の個人的なことと関係し、私の罪のため、イエス様は十字架にかかり、いのちを捨ててくださった…この事実が、私のものとなるのには、自分の力ではなく、聖霊様の助けなくしては受け入れられないのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、クリスチャンであっても、この事実が私のためであったと信じていても、ときにその愛が遠くに感じられることがあるのかもしれません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;けれども、太陽がいつも私たちを照らしているように、たとえ雲で隠されていても、太陽があるように、その私たちへのキリストの愛は変わらず、私たちにあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;何をもっても信じられないようなときもあります。イエス様の愛が近くに感じられなくなったとき、私たちが信じるのは神様のことばです。聖書です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様は私たちが揺らぎやすいものであることを知っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、神様はその真実を聖書に託し、私たちがそのことばを信じるようにしてくださったのだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちに今、患難はありますか、苦しみはありますか、迫害はありますか、飢えはありますか、裸ですか、危険ですか、暴力がありますか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どんな苦難の中でも私たちはイエス様に愛されている者として、圧倒的な勝利者です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;たとえ、私の心が苦しく、悲しくとも、聖書のことばが真実です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どうぞ、困難、苦しみ、悲しみにある人にイエス様の十字架による愛が豊かに表されますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/08/img_4647s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_4647s&quot; alt=&quot;Img_4647s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/08/img_4647s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

<dc:creator>seba</dc:creator>
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<item rdf:about="http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-61f5.html">
<title>“永遠のいのちとは”</title>
<link>http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-61f5.html</link>
<description>神様とイエス様を知るということについて、考えました。 『その永遠のいのちとは、彼...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;神様とイエス様を知るということについて、考えました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #0000cc;&quot;&gt;『その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。』新約聖書 ヨハネの福音書17:3&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;たとえでこんな話しを聞いたことがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ある人は、目をつぶって大きなゾウのシッポをつかんで、ゾウとはこれだと説明する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、ある人は目をつぶって、ゾウの足を触り、ゾウの説明をする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのように、神様はあまりにも大きな方で、私たちはゾウのシッポを触ってゾウを知っていると言っている如くだと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様は大きすぎて、私たちは知り尽くせない。ある意味で、誰かが知る神様もその神様の一部で、別の人が知る違った神様も神様の一部なのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;永遠のいのち…を考えるとき、私はいつもヨハネ17:3の聖書のことばを思い出す。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;永遠のいのちとは、神様とイエス様を知ることだという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;知るというのは、知識で知るということではなく、その関係の中で、親しく知るということだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;宗教はいろいろあるが、その善行が求められたり、従順を求められることはあっても、交流を求められ、関係を大事にするのは、イエス様の世界だけなのではないかと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、神様が求めておられることが、“行い”ではなく、“関係”であり、その“関係回復”だからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;イエス様は、私たちを友と呼んでくれた。ありがたい限りである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;が、神様と私たちの関係は天の父と子どもの関係であり、滅びゆくものがイエス様によって、赦されあわれみの中に生かされている関係である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちがこのふさわしい関係を崩してしまうとき、聖霊様を悲しませてしまうのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちはどこまでいっても赦されてはいても、罪人で、あわれみの中、イエス様によって滅びることなく生かされている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神様を知る、イエス様を知る…と言ったとき、この関係ぬきに、“知る”ことはできない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;永遠のいのちである神様とイエス様を個人的に親しく知り、また、その交流の中に、主のあわれみが豊かに現されますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちがそのことによって、永遠のいのちを豊かに体験していきますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=300,height=225,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/11/07/img_1415s.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; title=&quot;Img_1415s&quot; alt=&quot;Img_1415s&quot; src=&quot;http://seba-maranata.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/11/07/img_1415s.jpg&quot; border=&quot;0&quot; complete=&quot;true&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

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<dc:subject>聖書－新約聖書</dc:subject>

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