“私の人生に働かれた神様”
すべてを益と変えてくださる神様を思いました。
『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。』新約聖書 ローマ人への手紙8:28~30
自分の過去を振り返ると、50歳生きてきて、33歳までは本当に苦しい日々だった。
それは、私が神様からどんな風に造られたかと関係しているのかもしれない。
両親との確執の中、心の中が傷だらけになってしまった。
そんな中でも、自分の生きる道を探し、生きがいを求めていた。
クリスチャンになる前から、人のために生きる者でありたい、自分の使命に生きたいと強く願っていた。
今、ここに来て、私の人生の大半が心の傷の癒しのために使われてきたように思う。
そして、心の傷の癒し、回復と私に与えられていた人のために生きる道が重なっているのだなぁと今思う。
私の両親から受けたダメージも、教会から受けたダメージも、実は私が今、人と神様の恵みを分かち合うためになくてはならない苦しみであったことをしみじみと感じている。
神様ははじめからすべてをご存じだった。
若いときは、私はもっと気楽に生きられる自分であったら、どんなに楽だろうと思った。
が、造られ、与えられている者の宿命。私はクリスチャンになる前も、なったあとも、自分の使命=生きがいを追及し、苦しんだ。
クリスチャンになってからは、形は生きがいから、神様の働きに変わっていた。
神様の働きを祝福する約束を神様から与えられながらも20年あまり待たされた。
33歳のとき、神様から握っているものを強制的に手放させられた。何を握っていたかというと、私にとって一番大切に思えた神様の働きだったと思う。
そのあとのんびり、神様に感謝しながら子育てのときを過ごさせてもらった。
今、ここに来て、神様は一つも無駄なく益として用いてくださっているのを思う。
それは、ただ神様が良いことに変えてくれたというのでなく、苦しみを通され、私が変えられていったということなのだと思う。
風の住人さんが、コメントに、苦しみの中にイエス様がいたと言っていた。
まさに、私も通された私だけの苦しみの中にイエス様がともにおられ、御霊の働きの中、私が本来神様の働きができるように造り変えてくださった。
すべては神様の計画の中にある。神様をただほめたたえます。
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