自分の体験-自分史

2009年10月16日 (金)

“ブログの中での心の癒し”(自分史13)

ブログを書きながら、さらに癒されている自分を見ます。

『まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。』旧約聖書 イザヤ書51:3

ブログを始めて1年3か月になる。証をしたいと、何も考えずに始めて、楽しく続けさせてもらっている。

ブログを書き始めて、数えきれないほどの良いことがあった。その一つとして、自分の過去の経験を書く中で、新しいことに気がつかされ、さらに心が癒されていることがある。

去年の7月、始めたばかりの頃は、母のことをたくさん書いた。

今回も順序だてた自分史で、母とのあつれきを書こうして、書けない自分がいた。前は書けたのに、もう苦しかったことを思い出さなくなっている。

私の過去ブログの母の記事を良く読んでくれていた友人が言った。

「今回の自分史のお母さんの記事、軽くなってるね。なんか楽に読めたよ。」と。

そのとおりなのだ。前は、母のせいで、私はこんなになった…みたいな母が悪者になっていた。

が、不思議と書きながら、母のたくましさや、子どもを思う気持ちや、苦労に気がつかされていった。

私が人に話すように書く…その中にも聖霊様が働いてくださり、母のよいところに気がつかせてくれ、さらに私を癒してくれているのかもしれない。

高校時代の苦しみのメインはやはり母とのことだった。

最も理解してほしい人に理解されないつらさを思った。

神様はそんな私のつらかった経験を益としてくださった。

今、理解されない苦しむ人がいると、自然に気持ちがその人のほうにいく。

神様は人生のすべてをご支配してくださり、過去の痛みすら用いてくださることに感謝する。

神様は私たちを慰め、荒野のように荒れ果てた私たちの心をエデンの園のようにし、砂漠のように殺伐とした心を主の園のように変えてくださる。

そこには、裸で神様を見上げ、神様との関係を楽しんでいる私たちの姿がある。

神様のこの約束がお一人お一人のものとなりますように。

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2009年10月 8日 (木)

“クラスメートからの拒絶”(自分史12)

高校のとき、クラスメートの子から拒絶された話しです。

『神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬(ほう)をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。

しかし、神である主は、私を助ける。それゆえ、私は侮辱されなかった。

それゆえ、私は顔を火打石(ひうちいし=鉄面皮以上)のようにし、恥を見てはならないと知った。

私を義とする方がおられる。…神である主が私を助ける。』旧約聖書 イザヤ書50:5~9

高校のときの忘れられない出来事がある。いじめとかではないのだけれど、クラスの一人の女の人から物凄い拒絶をされたことだった。

彼女と何かトラブルがあった訳ではなかったが、彼女は、私を見ていて、嫌悪感に達したのだと思う。

当時、私は生徒会をやっていて、正義感をふりかざしていたのかもしれない。

人は人の鏡だと良く言われる。その彼女の自分に見たくないものや、受け入れがたいものを私に見て、拒絶したのだと思う。

その拒絶はわかりやすく、机の間を歩いて、たまたまその彼女に近づくと、“気持ち悪い”と言わんばかりに身をよじって、走り去っていくのだった。

特に交流があった友だちでもなかったが、拒絶されることがどんなに辛いか経験した。

何年か前、私はあるボランティア活動で、私の言動、人格が異常と評価され、数人の人がそこから抜けていったことがあった。

皆、私を無視状態だった。

その中に、心を割って話しをしていた大切にしていた友人がいた。

私は何も弁解はしなかった。その深い悲しみの中で、イエス様のことが思い出された。

私はせいぜい一部の人たちに、悪く言われ、関係を切られる程度だが、イエス様は、私のために罪もないのにののしられ、あざけられ、命まで捨てたのだと思ったとき、私の痛みがイエス様の愛でおおわれ、慰められていた。

人からの拒絶…不完全な人同士、どこにでもあるのかもしれない。

私もまた、拒絶でなくとも、できれば避けたい…そんな人もいる。

けれど、そんな人間同士の悲しみと痛みの中にイエス様は、ご自身の通られた道をもって、慰めを与え、痛みを越えたイエス様の愛でおおってくださる。

人から見たら、小さな何でもないような拒絶は、人を深く痛み悲しませる…そんなことも教えられたように思う。

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天のお父さん、私たちは皆、不完全で弱く、人と人が傷つけあったり、痛ませたりする存在です。

私の中の、人を苦しませる弱さを赦してください。

私の中の、人を遠ざける弱さを赦してください。

どうぞ、人からの拒絶や攻撃や屈辱を受けたとき、私のためにその道を通ってくださったイエス様を思い出させてください。

どうぞ、その痛む心をイエス様の大きな愛でおおって癒してください。

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2009年10月 7日 (水)

“反抗期爆発”(自分史11)

中学、高校の反抗期のひどい私でした。

『子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。』新約聖書 コロサイ人への手紙3:20

私が中学3年のとき、母が計画し、建てた家に、高校と合わせて4年住んだ。

一番楽しい時期のはずかもしれないが、私にとって母への反抗期がピークに達していて、つらい時期でもあった。

母とはいろんな価値観が違った。

まるで、水と油のように母に理解を求めても求めても理解されなかった。

理解してもらえないやるせなさは、母に強く反発する形になっていった。

私は母を口で激しく言い負かすと、なんとも後味悪く、二階の自分の部屋にかけあがっては泣いていた。

私からしたら、母は四角い私を丸い型に無理やり納めようとしているかのようだった。

今、客観的に見ると、誰が悪い訳でもなく、私が父親に似ていたから、母とは違っていただけのことのようにも思う。

父親は病気で精神的には不在で、理解されない母からいろいろ押し付けられることは苦痛だった。

中学で反抗期が始まり、一番近いところで理解されたい母から理解されない私は、自己否定と自己嫌悪という塊になっていく。

自分が嫌いだった。なんで、こんないろんなことにこだわる損な人間なんだろうと思った。

生まれ変わりたい…願望がとてもあった。

お風呂に入ると、「ああ、ここから上がったら、違う自分がいたらなぁ」なんて良く思った。

特にぐれるでもなく、高校では生徒会などやったりしていたが、楽しいこともあったが、だんだん漠然とうつろな空しさが漂い始めていた。

あの頃、何が私を支えてくれていたか、東京の看護師学校にいった姉には理解されている…そんなところだったかもしれない。

高校3年のとき、友人の誘いで、キリスト教の集まりに行った。なんか良くわからなかったが、自分が変われるかもしれない、変わりたいと思っていた。

残念ながら、そこでは、異言でたくさん祈ればご利益ある?みたいな教会で、期待していたものはあまり得られなかったが、聖書との出会いだった。

ここで手にした聖書を一人読みながら、私の一人求道生活が始まった。

神様は信じていた。

神様が、早いときから聖書に触れさせて、聖書を読むことによって、私の心に神様のことばの種が蒔かれていたのだと思う。

母と理解し合えないことは、苦痛で、否定的な私を作りあげ、影を落としていったが、そんなだったから、私はイエス様に会えたのかもしれない。

母に強い口答えをし、母の心を何度も泣かせた親不幸娘であったが、神様が捕らえ、導き続けてくれたことを思い、すべてに感謝な思いである。

神様、ありがとう。生きていたときは言えなかった母さん、ありがとう。

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2009年9月21日 (月)

“我が家に犬来て家が建つ”(自分史10)

母が家を建てた話しです。

『どうか敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。

神によって、私たちは力ある働きをします。神が私たちの敵を踏みつけられます。』旧約聖書 詩篇108:12.13

私が中学のとき、3歳年上の高校生の姉が白い仔犬を拾ってきた。

常々、母は生き物は先に死ぬから絶対に飼わないと言っている人だった。が、どうなったのか、飼ってもいいことになった。

後に母はこの犬に感謝するようになる。

私と姉は大喜びだった。名前はチコとつけた。

姉と私は可愛い仔犬を可愛がった。

この頃、私たちは借家にいた。

母もパートに出て、忙しい毎日だったと思う。

ある日、大家になっている人が来て、私たちに言った。

「お前たちは、人から家を借りておいて、私たちを招くこともしないのか!庭も草が生えて汚いし、犬が玄関にいるってどういうことだ。」とけんまくだった。

私たちは母と姉と3人で、庭の草むしりをした。

ただ悔しかった。反抗期の私は、その大家に会うと、にらみつけるしかなかった。

「なんだ、その反抗的な目をしやがって!」と怒鳴られた。

母はその一件で密かな計画を立て始めた。

父不在のような中、母は一人親戚に相談して、家を建てることにした。

お金の工面や、大工や、家の間取りや何から何まで母は内密に進めていた。

ある日、今日からお前たちが帰る場所は違うからと突然言われた。

姉と私は学校帰り、待ち合わせをして、地図を頼りに、初めての新居に向かった。

「うわぁ、ここが新しい家か、うそみたい。」という感動があった。

当日まで秘密にしていた訳ではなかったかもしれないが、家を建てている話しを聞いた記憶がなかった。

チコは私も大学で家を出るとき、母が面倒を見ることになった。

母の口癖は、「チコがいたおかげで、貸家を追い出され、家を建てられた。家が建てられたのはチコのおかげだよ。」と言った。

私はあの大家とのやりとりは鮮明に覚えている。

そして、そのときから、33年くらいしたとき、私は過去の多くの人を名前をあげて、赦す祈りをするが、そのとき、祈った一人がこの大家だった。

母は、逆境を力にして、私たちの家を建ててくれ、母には感謝の思いが今わいてくる。

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2009年9月17日 (木)

“中学時代”(自分史9)

中学の思春期のときの話しです。

『私の言うことを耳に入れてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。

私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。』旧約聖書 詩篇5:1.2

中学時代は自我の目覚め、反抗期の始まり…私にとっては、楽しいこともたくさんあったが、自分を見つめ始める苦しみのときでもあった。

一番精神的に苦しかったのは、力を入れていた部活だった。

バスケット部に入った。私のポジションには2人くらい他にも人がいて、試合ではだいたいスタートメンバーだったりしても、途中交代も多かった。

何があんなに苦しかったのだろうかと今考えるとよくわからないが、やはり、自分にとって一番力の入っていたことだったので、いろんな葛藤があったのだと思う。

今思えば、どうしたらプレーがうまくなるか努力すれば良かったのだろうが、精神的な葛藤で疲れていた。

きっと、いろんな事実や状況をそのまま受けとめきれずに、あれこれ一人悩んでいたのかもしれない。

部活の先生はとてもいい先生だったが、反抗もした。

「あのときは、あんなことをやるって言ったのに、実際はやっていないではないか。」と友人と問いただしたときもあった。

結局3年間部活は休むこともなく熱心にやったが、精神的に疲れた。

私の出した結論は、自分はスポーツには向いていないと言うことだった。

高校では、そんな訳でスポーツ部には入らなかった。

たぶん、家の親とか友人とか相談ができる人がいたら、違っていたのかもしれない。

小学生のときにはない、汚ない自分を見せられ、自分でどうしてよいかわからなかったのだと思う。

クラスでは、クラス委員長をし、勉強は中くらいで、普通に友だちもいて、楽しい中学生活だった。

人は大切なことを通して悩み、訓練されるという。私にとって大きく占めていたバスケ部での混沌とした悩みは、何も解決しないまま過ぎていったように思う。

あのとき、神様との関係ができていたら、朝ごとに祈り、話しを聞いてもらい、弱さがあっても、現実をひとつずつ受け入れられていたように思う。

今、一人で悩み苦しむ人が、神様に祈り聞いてもらえる世界を持てますように。

今、一人と感じて苦しんでいる人に、共に分かちあい、共に祈る友が与えられますように。

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2009年9月 5日 (土)

“小学6年の聞かれた祈り”(自分史8)

私が小学6年のとき、お祈りをしていた話しです。

『主(神)は仰せられた。「まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ。」と。

こうして、主は彼らの救い主になられた。

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。

その愛とあわれみによって主は彼らをあがない、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。』旧約聖書 イザヤ書63:8.9

小学6年のとき、私は“神様”を信じていた。キリスト教の神様かどうかわからなかったが、祈るならば、祈りを聞いてくださる神様だった。

夜、お布団に入ると私は密かにお布団の中で手を組み、お祈りをした。

転校したばかりで、私は、学校では合唱部に先生に誘われて入った。

ところが、レベルが高くて、ついていけなかった。辞めたかった。

その頃、丁度、陸上の選手選考会があった。100メートルを走り、速い子どもたちが選ばれた。

私は神様にお祈りした。

「神様、私は陸上選手に選ばれて、合唱部は辞めたいです。どうか、そうなりますように。」

なんだかとても毎日、真剣にお祈りした。

そして、その日は来た。陸上選手を決めるための走りをした。

タイムは、選ばれるほどに速くはなかった。が、そこで、タイムをはかった先生が言った。

「お前がこんな遅い訳がない。お前は、今日から陸上部だ。」と。

お祈りはきかれた。私はめでたく、合唱部を辞め、陸上部に入った。

陸上部と言っても、ハードルの補欠だったが、楽しかった記憶がある。

神様は祈りを聞いてくださった。感謝した。私の密かなお布団の中でのお祈りは一年間続いた。

が、中学になるとき、「こんな子どもじみたことは卒業しよう。」と自分で決め、辞めた。

自分史7を書いていたとき、この小学6年の聞かれた祈りを思い出した。

父が病で、父とは気持ちも通わず、寂しかった頃。あの頃、神様は私を知り、私といてくださったのだと思った。

ブログを書きながら、そんな過去の新しい気づきに、神様に感謝が溢れた。

世界の始まる前からキリストにあって私たちを選んで愛する計画をもっておられる神様は、私たちが一人きりだった…そんな風に思っていた過去にも確かにいてくださった。

たとえ、私たちが神様を知らず、信じていなかったとしても。

私たちが、聖霊様にあって過去を振り返るとき、その過去が神様の光で照らされる。

お一人お一人の通られた過去もまた、そのようになりますように

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2009年9月 3日 (木)

“父からの影響”(自分史7)

親から受けられなかった欠乏を神様は埋めてくれます。

『神よ。私を探り、私の心を知ってください。

私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、いなかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』旧約聖書 詩篇139:23.24

私が小学6年になるとき、私たち家族は再び転勤になり、小学1.2年を過ごした街に戻ってきた。

貸家を借りて、住んだ。母は外にパートに出るようになった。父は退院して、家にいたりした。仕事もしていたかもしれない。

病院から退院した父は人格が変わっていた。

かつては、とても知的で、社交的で、いつも子どもたちのことを一番に考えてくれる素敵な父だった。

精神をわずらい、薬のせいもあるのか、目の前の父は、出された食べ物を子どものことも考えずに食べるような人になっていた。

そのときの私は、変わり果てた父を受け入れられずにいたと思うが、何も考えないようにしていた。

父が変わったことに対する気持ちは誰にも話したことがなかった。話したら恐ろしいことになるから話せなかったのかもしれない。

たぶん、こんな父親は私の父ではない。いなくてよい…と無意識の中で思っていたと思う。

子どもはそのときは、愛されているか、愛されていないかはわからないと聞いたことがある。

私は精神的に父不在となってしまったが、寂しいと思った記憶もない。

が、半世紀生きてくると、父不在の影響が、そのときの自覚しなかった寂しさが長く私の心の傷となって、深いところで影響していたのがわかる。

完全に癒されたと思ったが、まだ、癒されていない部分があるかもしれない。

けれども、神様はその誰にも知られないような深い傷まで、癒しおおいたいと願っておられる。

私は6年のときまで戻り、病であった父を赦し、受け入れられなかった私をイエス様に赦してもらった。

あのころ、オリンピックがあり、白熱するバレーボールを家族で見ていた。

そのとき、私が何を感じたか覚えている。

「この人たちはこんなに勝つことに執念を燃やし、いいなぁ。私はこんな一生懸命なことがなく、虚しいなあ。」と思った。

やがて、私のこの小さな虚しさは少しずつ、成長とともに大きくなっていくことには気がつかなかった。

人は愛されるために生まれてきた…とイエス様にあって良く聞く。

私の両親からの愛されることの欠乏は、私が生きていく意味を見失うところまでになっていく。

けれども、神様に感謝する。不完全な親に愛されることを受けきれなかった私たが、神様のあわれみとイエス様の赦しの愛の中、少しずつ癒されていった。

♯♯♯

神様、人は皆いろんな環境の中で育ちます。

しかし、神様は平等な方で、地上の親の欠乏を埋めてくださる方であることを感謝します。

癒し主なる神様、誰にも埋められない心の空白を癒し、主の愛でおおってください。

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2009年8月24日 (月)

“祖母の過去からの解放”(自分史6)

祖母の信仰が、祖母自身の縄目を解いた話しです。

『私たちの負いめをお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。』新約聖書 マタイの福音書6:11.12

私と姉には“おばあちゃん”と呼ぶ存在の人がいる。

父は6人兄弟の、末っ子だったらしい。私たちの本当の祖母は、私たちが小さいときに亡くなった。

私たちが“おばあちゃん”と呼ぶ人は父のお姉さんにあたる。

私たちの叔母になる。が、結婚し、子どもができずに、父を養子にしたらしい。

小学5年のころ、父の病のときも、よく遊びに来てくれた。

私には何も記憶がないが、母と姑はあまり仲が良くなかったらしい。

ここからは、30年余りたってから、祖母に聞いた話しである。このとき、母はもう天国で、いなかった。

「お前の母さんはなぁ、自分の親が遊びにくるとたくさんのお土産を持たせて帰らせるんだったよ。けれど、私が行くと、挨拶もしないし、お土産も持たせないから、私がじいちゃんに母さんが持たせたと嘘ついて、買ったんだよ。」

祖母は85歳になり、今までは母の話しなど、一度もしたことがなかった。いつも、孫を褒める良い人だった。

急に歳をとり、認知症気味にもなってきて、この話しを繰り返しだした。

姉と住んでいたが、姉が結核で入院したとき、母方の親戚で預かってもらったとき、この話しを繰り返し、2か所で預かり拒否になってしまった。

私は祖母に話した。

「ばあちゃん、母さんは天国に行ったし、母さんがばあちゃんに悪い態度をとったのは申し訳なかった。でも、もう赦してくれないか。」

「いやあ、私は死んだ人には恨みはないよ。」

「それじゃ、ばあちゃん、私と一緒に母さんを赦す祈りをしてほしい。」

そして、私が一区切りずつ祈り、同じことばで、あとからついて祖母が祈った。

「神様、母さんがばあちゃんに挨拶しなかったことを赦してください。ばあちゃんが赦せますように。

母さんがばあちゃんにだけ、お土産を買わないで、ばあちゃんにつらい思いを与えたことを赦してください。ばあちゃんが母さんを赦せますように。

イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」

そのときをさかいに、祖母は一度も母の話しをしなくなった。

祖母の幼子のような信仰に神様が働いてくれ、祖母の重い荷物はイエス様が負ってくれたのを見た。

祖母は「私はね、民謡うまいんだよ。」と可愛い自慢をし、民謡を歌い出すのだった。

今、祖母は90歳すぎて、老人ホームで生活している。

小学5年のころ、母と祖母に何があったのか知らないが、祖母の縄目を解いてくれ、楽に、自由に、楽しくさせてくれた神様に感謝した。

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2009年8月20日 (木)

“時を越えて解かれた誤解”(自分史6)

35年の歳月を越えて、神様が私の中にあった誤解を解いてくれた話しです。

『互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯(おび)として完全なものです。』新約聖書 コロサイ人の手紙3:13.14

小学5年の担任の先生は、メガネをかけた中年の男の先生だった。

転校してきた私だったが、勝ち気な性格で、皆に溶け込んで、楽しく遊んでいた。

ある体育の授業のとき、何かで、クラスの男の子と喧嘩になった。

勝ち気なわりに、泣き虫な私は、その喧嘩がよほど悔しかったのか、泣いた。

すると、私だけ職員室に呼ばれた。担任の先生に事情を話しした。職員室を出ようとしたとき、先生に呼び止められた。

「Seba、あまり真剣になるな。」と言われた。なんだか私のすべてが否定されたようで悲しさだけが込み上げてきた。そのまま、私は職員室を出た。

たったそれだけのことだったが、その先生の記憶と、そのときの出来事が鮮明に記憶に残っている。

あれから、35年の後、私は人生の過去を振り返り、思い出せる人々を赦す祈りをするよう導かれた。

赦さないのは、その人をつかみ、その人に支配され、その人の悪影響を受け続けると本で読んだからだ。私は神様以外の人から支配されたくないと思った。

私は過去の悪い記憶にあるすべての人の名前を上げて、赦す祈りをした。

その頃、パートで働いていた飲食店の調理場で、きゅうりを切りながら、導かれて一人一人思い出して祈った。

「〜さんをイエス様のお名前で赦します。」と一人ずつ祈った。

なんと上がる名前の多いことか!

そして、小学5年のところで、その担任の先生を赦す祈りをした。

全部祈り終わった後、つきものがとれたように、なんだか心が晴れやかになり、すっきりした感じがした。

そして、過去の何十人という人たちを赦したが、その先生に対して、神様からの悟りをいただいた。

「そうか、あの先生は、そんなに真剣に思いつめると、自分が苦しくなるだけだよ…と言いたかったんだ。私を否定したり、責めたのではなかったんだ。」と。

35年ぶりにとけた誤解だった。

ときに思いやりの言葉をかけられても、自分の心にかかっているヒィルターで、人を判断したり、傷を受けたりすることもある。

万一、悪意でされたことであっても、良いことに変えてくださる神様は、月日を越えて私の中にあった誤解をも解いてくださる方だと思った。

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2009年8月14日 (金)

“鉄格子の父と悲しみにくれる母”(自分史5)

父の精神病院の入院、脱走の話しです。

『わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。

こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。

先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。』旧約聖書 イザヤ書42:6~9

医療は進歩している。精神病の治療方法も、入院環境も昔と今では違うのだと思う。

私は最近、クリスチャンの友人を見舞いに、山里離れた精神病院に行ったが、普通の病院と変わらず、とても綺麗だった。父のときのような薄暗さはみじんもなかった。

父が当時で言う分裂病を発症したのは、私が小学4年。40年近く前になる。

小学5年、小さな田舎町に私たちは引っ越しをした。

近くの町の父が入院する精神病院に、母と姉と3人で、一度だけ、お見舞いにいった。

各畳の狭い部屋に鉄格子がされてあった。その中にいる父が母に「母さん、なんで俺はこんなところに入れられてなくちゃ、ならないんだ。」と悲痛な叫びの訴えをしていた。

私たちには、「父さん、お前たちに手紙を書くからな。」と言った。筆まめな父は、実際、私たちにたくさん手紙を書いて送ってくれた。

帰り道、母も姉も私も無言だったように思う。駅に近いところで、3人でラーメンを食べて帰った。

母はどんなにか苦しかっただろうと、今、改めて思う。頼もしい大黒柱の父を頼りにしていた母は、大黒柱を失い、病の父を背負うことになる。

母は神経がピリピリしていた。私と姉はよくふざけて遊んでいたが、笑うと怒られ、「姉ちゃん、バカ」とかふざけていると、「誰がバカだと!」と、母に怒鳴られた。

私は初恋があったり、毎日お友だちと遊んだり、姉との楽しい毎日で、あまり暗くはなっていなかった。毎日、相変わらず、遊ぶのに夢中で楽しかった。

が、母の気持ちを思いやる私はいなかったなぁと思う。

母も子どもには負担をかけまいとあまり父の話しはしなかったのかもしれない。

ある日、母の実家に行き、夜の9時頃、電車で帰ってきた。駅から1分の貸家に向かう途中だった。

母が「あらぁまぁ、なんてことなの。」と叫び、家に近づいたところで立ち尽くした。

暗い家の前に人影があった。裸足で病院を抜け出してきた父だった。

父はどうしても、家族がいる家に帰りたくて、病院を抜け出して来た。

家に入ることもなくタクシーですぐに病院に戻された。

その母の悲痛な叫びとその場面だけが記憶に残っている。

私は母と性格が合わす、母を悪く書いて来たが、どんなに母は苦しかっただろうか。負いきれない重荷を父同様、母も負い、苦しんでいた…今、書きながら母の気持ちがわかるような気がする。

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