“慰めがありますように”
ブログについて書きました。
『神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。
こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。』新約聖書 第2コリント1:4
ブログ訪問してくださる皆さん、いつも訪問ありがとうございます。
神様からその日、その日教えられたことを書いていますが、訪問してくださる方々の慰めになればと思っています。
コメント欄にもたくさんの方が来て、コメントをくださり感謝です。
コメント欄が皆さんの交流の場になることを願っています。
今、ミニマルがコメントをくれ、それに緑のオリーブさんやももこさんがそれぞれの立場から、応答してくださり、とてもありがたく思います。
気持ちや状況を誰かに理解してもらえるのは、本当に慰めです。
これからも、コメント欄は皆さんの良き交流の場として使っていただけたら、本当に嬉しく思います。
教会の中心は祈りと聖書のことばですが、そこに欠かせないのが交流です。神様がこの小さなブログを祝福し、この与えられた交流を祝福してくださいますように。
また、いつでも、気軽にどんな疑問でも書いてください。皆さんで、ともに祈り、考えていくのも良いかもしれません。
私も皆さんのコメントに気がつかされたり、教えられたりしています。
ももこさんの友人が「もし、ももこが愛が持てなくて地獄にいくなら、私も一緒に行ってやる。」と言ったことばに、私も愛を感じ、感動しました。
私だったら、どうでしょうか。「あなたが悔い改めなかったら、地獄に行くよ。」…とまでは言わなくとも、聖書の正論を言い、悔い改めを求めたかもしれません。
事実、私は良かれと、これまでたくさん、そのようなことをしてきました。
悔い改めは聖霊様によらないと、起こりません。
聖霊様は赦しのあわれみの中、優しく包みこむ中で、安心して悔い改めを導きます。
人が聖書のことばを使って悔い改めを迫るとき、人は裁かれている感覚しかもてません。
そして、その痛みの中で罪をさらに握るかもしれません。
悔い改めは聖霊様が愛の中で行われることであることを教えられています。
私自身が、イエス様の愛を知り、人を受け入れていくものとなるため、さらに自分の姿を見せられ、聖霊様のあわれみの中、変えられていくのだと思います。
私は賜物が証人(あかしびと)なので、自分の内側がどう変えられていくか、これからも、ブログの中で証していけたらと思います。
ブログ訪問の方々に神様の尽きることのない慰めが与えられることを心から願っています。
これからも、よろしくお願いします。
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