“天国の喜び”
“天国”を待ち望む心を思いました。
『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたし(イエス)を信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
わたしの行く道はあなたがたをもおらせるためです。』新約聖書 ヨハネの福音書14:1~4
おはようございます。
神様はすべてを造られ、すべての人の神様です。
教会の外にいる人たちにも、神様の計画を知らせたいと切に願っているのを思います。
この朝は、“天国”について、共に分かち合いたいと思います。
聖書では、“人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている”(ヘブル9:27)とあります。
イエス様の十字架を信じた人は、永遠のいのちが与えられ、天国に行きます。
天国とは、どういうところでしょうか。
天国へ行って、戻ってきた人はあまりいません。それでは、死んでみないとわからないのでしょうか。
天国はイエス様がおられるところで、神様の臨在に満ちているところだと思います。
そこでは、人は痛みも悲しみもなく、ただ栄光に変えられた心と体で、おおいなる神様を心から賛美し、喜びに満ちあふれているところだと思います。
昼も夜も神様を賛美し、喜び楽しんでいる場所です。
私は、天国がどんなところか、この地上でも、神様は教えてくれて、わずかであっても体験させてくれるのだと思います。
例えば、礼拝し、神様のご臨在の中に入るとき、それは天国の前味だと思います。
イエス様がいてくれるところで、共に心を合わせて祈ったり、神様の良いものを共有したりするとき、その喜びも天国の前味と思います。
そして、その神様が与えてくれる喜びに満たされるとき、このさらに強い神様の栄光と臨在の中に、喜びと平安の中に持続している状態が天国だと思うのです。
地上で天国は体験できるのです。そして、イエス様と近くにいて喜ぶ天国を切望していくに至るのだと思います。
パウロは言いました。
“私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。…
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。”(ピリピ1:21.23)
パウロは、イエス様がいる天国を切望していました。
そして、その天国に行くまで、地上に残された苦しみの働きも全うするのみと思いました。
どうそ、聖書の約束の天国があなたのものとなりますように。
天国の前味を味わい、共に、先に約束されている天国の素晴らしさを楽しみに待ち望めますよう、祈ります。
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