自分の体験-私の歩んだ教会たち

2009年7月25日 (土)

“私の歩んだ教会たち”まとめ

このシリーズを終わるにあたって、気がつかされたことなど、まとめてみました。

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』旧約聖書、詩篇133:1

皆さん、私の長い教会遍歴にお付き合いくださり、ありがとうございます。

とりあえず、振り返って、私なりにまとめてみようかと思います。

30年で7つの教会を渡り歩いた…そんな人は少ないかもしれません。

一番、感謝なことは、私の弱さがあり、教会の弱さがあっても、神様が私を捕まえてくれ続けて、神様から離れることなく、ますます神様を慕い求める気持ちを増してくれているということです。

まさに、人の弱さや足りなさを越えて、神様の恵みは深く、大きいということです。

私たちに与えられた信仰は、神様が与えてくださったものなので、決して取り去られることがないということです。

そして、様々な教会生活を振り返るとき、「私はただ神様にだけ養われた」…とよく言い切ってきましたが、実は、本当にたくさんの方々が関わってくださり、支え、祈ってくださって、今の自分がいるのだということに気がつきました。

出来事も、人も神様が私のために備えて訓練してくれました。

今はこの30年の教会放浪のような日々があったので、さらに神様を信頼し、神様とともにある素晴らしさに至らせてもらったのだと思います。

そんな私の豊富?な教会遍歴を、神様が無駄にすることなく、今、教会の外や外近くにいる方々と分かち合うようにして生かしてくれました。

私は教会の中にいることの苦痛を知っているものです。

そして、それを越えた神様の恵みを教えられたものです。

人同様、教会は不完全で、様々な痛みがありますが、さらに教会の祝福を祈り求めていきたいです。

そして、教会の外で痛む人のよき理解者、とりなし手となりたいです。

皆さん、教会遍歴へのお付き合いありがとうございます。

皆さんにとって、私の経験が何かよいヒントになってくれていたら幸いです。

次は、私の自分史シリーズにお付き合いください。よろしくお願いします。

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2009年7月17日 (金)

“私の歩んだ教会たち”6-3・閉じる

教会が閉じられる経緯の話しです。

『悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その舌の渇きで干からびるが、わたし、主は、彼らに答え、イスラエルの神は、彼らを見捨てない。』旧約聖書 イザヤ書41:17

私は長年手放すことのできなかった牧師たちを赦し、解放されていった。

その頃、教会では一人の教会員の義理の妹さんの病の癒しを、心一つにして祈っていた。

特に女性たちの祈り会では熱心に祈った。私たちは、神様が、その死に至るような病も癒してくださると信じて祈った。

私も神様の不思議の中、遠い病院に自分の診察で行くことになり、彼女を何度か見舞った。

が、彼女は亡くなられた。イエス様を信じていたので、天国に行かれた。

が、私たちは癒されることを受け取り、祈ったので、さらに教会が一つとなって祈った。

私自身にそのような大胆な祈りはないが、神様は死からも生かしてくださる…そのことを信じて祈った。

神様が、一歩踏み出した私たちの教会の祈りを喜んでおられるように感じた。

彼女は天国からは戻らなかった。

その結果の受け止め方が牧師、牧師婦人、私、私の喧嘩友達、その義理の妹さんを亡くされた方、みんな違っていた。

多分…教会で大胆な祈りをしたが、それにきちんと備えていなかったからだと思う。サタンの襲撃にあった。

喧嘩友達や、義理の妹さんを亡くされた方は、そのあと色々あり、教会に2度と来なくなった。

私は残ったが、無責任に思えた牧師に怒りが爆発した。

教会は混乱をきたした。今思うと、人は不完全だし、誰でも弱さがあるが、あの時はサタンが働き、互いの弱さや悪いところだけがすべてのようになっていた。

私は、教会の外にいる人たちを見放すのかと牧師に食ってかかった。怒りが溢れて仕方なかった。外の人の痛みを祈れたら良かったのだが、求める神様に求めず、牧師に向かっていた。

怒りやすい私だが、あんなに怒りが継続的に溢れたのは、あの時だけだった。

礼拝者はもともと少なかったが、中心の2人の姉妹を失い、3月で教会は閉じることになった。

ほとんど、礼拝者がいない教会で、私は最後まで残り、その教会のあと片付けまでできたことは、良かった。

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神様、この教会で、私はたくさんのことを学びました。

この教会のときに、牧師たちを手放すことができたのは、祈りの後押しもあったからと感謝します。

教会が大胆な祈りをするとき、サタンの襲撃に会うことも経験しました。

祈り備えられなかったことを赦してください。

未だに、痛手を負い教会から離れたままの姉妹がいます。

主よ。その深い傷を癒してください。

人の弱さを越えた神様の栄光を表してください。

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2009年7月 8日 (水)

“私の歩んだ教会たち”6-2・赦す

私が“教会”を赦し、手放したときのことです。

『神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。』新約聖書 第2コリント人への手紙5:18

“期待”が“裏切り”になると、人は心に苦々(にがにが)しい思いをもつ。そして、相手に要求する思いが自分を縛る。

それを“赦せない”思いと言う。

私は教会の牧師たちが赦せなかった。「なぜ、神様はもっと優しく、恵み深く、あわれみに満ちているのに、その神様を聖書からきちんと語らないのですか?」

そのような思いに、がんじがらめになっていた。

時満ちて、そんな私も神様によって悔い改めに至った。

一番大きかったのは、「赦さない行為は、何かを相手に要求し続けていることなので、相手をつかんでいることで、その影響を受け、支配されることになる。」という「境界線」の本の一文に出会ったことだった。

「神様、もっとも嫌だと思う人に、私が要求、期待している限り、私はその人に支配されるのですね。それは嫌です。

神様、あなただけに支配されたいです。

すべての人を赦します。関わったすべての牧師を赦します。」

そうして、過去に関わったすべての牧師の名前をあげて、赦す祈り、相手に要求しないで、期待しないで、手をひく祈りをした。

すっきりした。これで、神様以外に私は支配されていないと感じた。

そのとき、通っていた牧師にも一言、謝った。

これが、25年赦せなくなっていた牧師たちを赦した日となった。

神様以外、誰にも要求しない、誰にも期待しない…神様だけに支配される。そのことのすばらしさは、すぐにやって来た。

私がどんなに神様から愛され、期待され、計画されているか、直接に神様から溢れるばかりに感じることができた。

神様に受け入れられているので、愛されている自分を100%いとおしいと思えた。

もうこの体験は、何度も記事に書いてきたが、私の教会生活でとても大きな出来事だった。

私が“人を裁く”という罪を手放したとき、内側に聖霊様の喜びに溢れるとともに、外側の環境も変わっていく。

神様は忍耐し、私がこのように自分の罪から解放される日を待って、導いてくださっていた。

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神様、“人を裁く”大きな罪を、神様によって、手放すことができて、ありがとうございます。

私の握っていたものが、神様から直接来る恵みを妨げていました。

神様は、私の弱さをご存じで、私が手放せる道筋を忍耐して、作ってくれました。

手放す自由を本を通して教えくれました。

聖霊様が助けてくださり、赦す祈りを、喜んですることができました。

すべてはただあなたによることですが、神様の備えと導きとすべてを感謝します。

同じ苦しみにある人を、主の深い慰めとあわれみに包み、導いてください。

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2009年7月 4日 (土)

“私の歩んだ教会たち”6-1・信仰回復

私の信仰回復の教会生活の話しです。

『もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。』新約聖書 マタイの福音書18:19.20

主人が探し、選んだ教会に私たちは通うことになった。

そこは家族4人とあと4〜5人という小さな教会だった。

私はその教会にすぐ馴染んだ。なぜかというと、そこでの女性の祈り会のテーマが“心の癒し”だったからである。

私にとって、“心の癒し”は最大のテーマだったが、今まで、それを教会の中の誰かと分かち合うことは、ほとんどなかった。

同じことに関心を寄せている人たちと語り、祈れる幸い、私にとっては夢のように思えた。

一方、主人はというと、初っぱなからその牧師に問題を感じたのか、私ほど熱心には教会通いはしなかった。

私は来る日も来る日も、ひたすら礼拝と祈り会に出席した。

私はそれまで、あまり祈ったり、聖書も読まなくなっていた。が、自分の内側を祈り会で聞いてもらい、互いのために祈っていくうちに、どんどん神様とも祈るようになっていた。

私の信仰回復のときだった。

牧師婦人とは良く祈った。会えば祈ったし、電話がくれば祈った。誰かの祈りのリクエストがあれば、祈った。

そういえば、私は人と祈ること、人のために祈ること…好きだったんだよなぁという感覚がよみがえってきた。

私は祈っていると、聖書のことばが浮かぶことが多く、そこに導かれながら祈ることが多かった。

祈ることの楽しさを感じた。神様と個人的にも祈りだし、私の中で止まっていた何かが動きだした。

あえて言うなら、眠らせていた聖霊様が働きだしたという感じだろうか。

かつて上手にピアノを弾けていた人がブランクの後、苦労して弾き始め、感覚を取り戻すように、かつてはたくさん覚えていた聖書箇所を、もう一度少しずつ思い出すような作業をした。

この教会は、5年後に、様々なことが起こって閉じられていく。

神様は私のことを一番ご存知で、この教会を通して信仰回復させてくださったこと、多くのことを学ばさせてもらったことを感謝する。

そんな中でも私の最大の苦痛は、牧師のメッセージだった。

霊的に疲れて、礼拝が終わり家に帰ると、グッタリと寝込んだ。私自身にはそれだけ、ダメージの強いメッセージだったが、女性の祈り会に支えられて教会通いした。

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神様、この教会に導いてくださり、私にとって信仰回復のときとなったことをありがとうございます。

初めて、女性の方たちと共通の課題で分かち合い、祈れた日々をありがとうございます。

それでも、まだ、私の中では、神様に完全に明け渡していなくて、牧師に心の中で要求していた自分を見ます。

牧師を裁いていた弱い私がいました。

あなたがそんな私を赦し、忍耐をもって導いてくださったことを感謝します。

私は振り返えるとき、教会の問題の中で、私の問題を取り扱い、成長させてくださったことを思い、すべてを感謝します。

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2009年7月 2日 (木)

“私の歩んだ教会たち”5‐1・客員

私たちは客員(きゃくいん)生活を一年間しました。

『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。

主は暁(あかつき)の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。』旧約聖書 ホセア書6:3

一人で始まった教会生活であったが、前の教会を出たときは、2歳の息子もいて、主人と3人の放浪になる。

私たちは一つの教会に、客員(お客様)で一年通った。今はカルト化してしまった教会だった。

教会学校も別の部屋であったが、子どもが私から離れたくないので、いつも静かに私の横に座り、礼拝していた。

そこには導かれている感じがしなかった。

いつまでも、お客さん気分で行っていた。

電車を乗り継いでいくのだが、何故か、教会に行かなくてはという気持ちだけで行っていた気がする。

だから、夏の熱い日差しが、とても体にこたえたり、ちゃんと歩かない息子を歩かせる苦労だけが記憶に残っている。

私の願いはただ一つだけだった。

「神様、私たちが属する教会を与えてください!」

そこは預言がされる教会で、ある日、一つの預言を聞いた。

「あなたは扉があって、開かれ、その先に入ります。」とかいう預言だった。

私は、「今まで自分で教会を選んできたが、神様が備え、開いてくださるところに導きいれられるんだ。」と思った。

そのとき、主人は、扉が開いて、光が差し込む幻を見たと言っていた。そして「あなたがたはここではない教会に導かれる」と神様から言われたらしい。

私たちは、客員として通っていた教会に行くのをやめ、教会探しをした。

私は、もうどこに行っても変わらない…あまり期待していないという気持ちだった。

そして、主人に話した。「あなたが探してくれた教会に私も行くことにしたから。」

主人は何週間かかけて、教会探しをした。

そして、決めたところに家族で行くことになった。

私の念願の客員生活脱出であり、また、訓練を受ける教会生活の始まりとなった。

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私にとって、貴重な客員生活でした。

教会の多くに期待していないのに、教会につながりたいという気持ちだけが強かったんだなぁと思います。

それが良いこととか、悪いことというのでなく、私の中で湧いてきた気持ちです。

教会に失望しながら、教会につながりたい自分が不思議ですが、私の場合は、そのように造られ、また、教会で受ける訓練も残っていたのだと思います。

すべてのときが神様に備えられていたのを感謝します。

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2009年6月23日 (火)

“私の歩んだ教会たち”4・1珍事

会堂から教会が去り、残ったメンバーと新しい牧師で、スタートした話しです。

『ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全なおとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧(わるだく)みや、人を欺(あざむ)く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。』新約聖書 エペソ人の手紙4:13~15

会堂から教会がいなくなり、私たちはその会堂に残った。

何人か残った人や、いなくなったのを聞きつけて来た人たち10人ちょっとで、教会がスタートした。

やがて、外国の方が牧師として来てくれた。

が、残った人の中には、ひたすら自己顕示欲が強い方もいらして、昼ごはん作りが強制的に当番で回ってきたり、礼拝の中で、突然異言で祈り、牧師の霊的リードをかき乱したり、取っ組み合いのような女性同士の喧嘩があったり、珍事が続いた。

私は、赤ちゃんが与えられ、教会の珍事には殆んど関わることなく、子育てに守られていた気がする。

次々に教会から人々は悶着を起こしながら、出ていった。いまこそと思いつつ、自己実現が果たせず、牧師に怒りながら出ていった。

私たち夫婦は、初めの残り組の最後のメンバーになった。

が、私もまた、牧師の考えには苦痛を感じていた。

6年過ぎて、私たちもその教会を去ることになった。

牧師の最後のことばは、「この教会の牧師は私ですね。合わなかったら、どうぞ、合う教会に行ってください。」というはなむけのことばをいただいて。

その教会で良いこともあったと思う。宣教師の方と、地域の子どもたちを集めて、英語教室が始まったり、主人が賛美リードしたり。

けれど、私の中で、息子と過ごす毎日は幸せだったが、聖書も開かず、祈ることもしなくなっていた日々だったように思う。

♯♯♯

神様、いろんな人たちがいることを見せられた教会生活でした。

私にとっては、神様との関係も遠くなっていたように思います。

そんな中でも、英語教室を手伝えたり、あの場所で出会った一人の友人とは、今でも、大切な関係を保てていますから、ありがとうございます。

あの頃、私の慰めは、可愛い子どもでした。私の何が良かったか、悪かったかは良くわかりませんが、慰めを与えられていたことを感謝します。

その教会もやがて、たくさんの人が集い活気に溢れている話しを聞きましたから、ありがとうございます。

私にとっては、苦痛でしかない教会でも、誰かにとっては、素晴らしい教会になる…神様のバラエティーさをありがとうございます。

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2009年6月22日 (月)

“私の歩んだ教会たち”3‐3・会堂残る

教会がその立派な建物から出ていった話しです。

『私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。

私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。

主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。』旧約聖書 詩篇27:4

賛美に満ち溢れた教会には、笑いがあり、人々は生き生きしているかのようだった。

結婚式に来てくれた、前の教会の友人が言った。

「この教会は、賛美の天使たちが集まっている。だけれど、戦う戦士がいない。」と。

牧師の過ちは、多分教会全体の責任でもあり、特に牧師の近くにいる人たちが、「イエスマン」ではなく(何でも、「はい、はい」と聞かずに)間違ったことは、信頼関係のもとにハッキリ教えてあげることが、責任としてあるのだと思う。

牧師は幾つかの間違いをした。人間、誰でも間違いも、過ちもある。だから、それは、とても大きな問題ではないかもしれない。

教団からは、その間違いを認め、牧師を3か月ほど謹慎し、牧師を休んでくれと言われたらしい。

が、その話しを蹴って、何の謝罪もなく、その美しい立派な会堂を出ていった。

信者の6割はついていったと思う。

私は内情を良く知っていたので、ここでお別れだと思った。

サタンは牧師を攻撃する。牧師しか経験しない誘惑があるのだと思う。

それを支えるのが、信徒であり、まわりにいる人たちなのだと思う。

教会は民主主義、多数決の世界でないと良く言われるが、牧師がすべての教会の実権を握っているのではないと思う。(これはただ私の考えだけれど。)

牧師は霊的指導者として、人より託されているものが多いかもしれないが、より神様の声を聞くと同時に人の声を同じくらい熱心に聞くものだと思う。

なぜなら、神様から語られたことを、どんなことを考えているかその聴衆に噛み砕いて、語るのが牧師の仕事だと思うから、どちらの作業も大切だと思う。

そして、その託された一部を、他の部分が支え、補うのが教会かと思う。

あのとき、私は教会が去っていったことに悲しくて、何日か泣いていた。

あのときは、私にもその責任の一部があったことには、思い至らなかった。

♯♯♯

神様、人は皆弱いです。

牧師は特に霊的攻撃を受け、様々な誘惑に合います。

あのとき、私が教会のため、牧師のために祈れなかったものであることを赦してください。

私たちの戦いは血肉(けつにく)によらず、霊的な戦いです。

私たちが、人が人を裁いたりすることをサタンは手を叩いて喜んでいます。

私たちの中に裁く心でなく、赦す心を与えてください。

私たちは誰でも間違います。間違いが問題なのでなく、裁く思いや隠す心が問題なのです。

イエス様にあって、私たちが一つとなり、弱く間違いやすい中にこそ、イエス様の愛が現れ、人々が神様を崇めるようにさせてください。

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2009年6月20日 (土)

“私の歩んだ教会たち”3‐2・結婚式

私たちはたくさんの教会員の方々に労していただき、素晴らしい結婚式をあげることができました。

『あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。

すなわち、第1に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇跡を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。』新約聖書 第1コリント12:27.28

10人位で始まった教会は、たちまち人が増えた。

新しい立派な会堂も建った。

60人ぐらいの礼拝は、素晴らしい。賛美リードがいて、バンドがあって、それぞれの得意分野で、皆教会に仕えていた。

沢山集っているということは、賜物も多様にあるということだ。

そんな新しい会堂で、私は主人と結婚式、披露宴をしてもらった。

私たちは、貧乏だったので、すべてが教会の方々の手作りだった。

結婚式での奏楽、カメラマン、ビデオ取り、すてきなお花の飾り。披露宴でのプロなみの演奏者、手作りウェディングケーキ、私と主人の出会いを作った寸劇の役者…、披露宴でのティーパーティーのお菓子。沢山の人たちの手によって、結婚式をしてもらった。

そこには、たくさんの労力と祈りとお金がかけられていたのを今、思う。

親族、友人たちや前の教会でお世話になった方々を呼んでの結婚式、教会員も参加してくれ、100人位の盛大な結婚式になった。

あれが、私が大勢の方にお世話になった最後になる。その一年後には、輝いていたはずの教会は、立派な建物を残して、いなくなってしまった。

たくさんの人に祝福された結婚式、今はクリスチャンと出会うことも少なくなり、あの頃、神様がしてくださった不思議を思う。

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神様、あなたがひとりひとりに良いものを与えてくださってありがとうございます。

私たちの結婚式イベントには、本当にたくさんの方々が関わってくださったことをありがとうございます。

あの結婚式は、今の私にとっては、キリストのからだの多様性の素晴らしさでした。

神様、お世話になった方々とは、今は交流もなく、感謝をお返しすることができませんが、神様、心からありがとうございます。

そして、神様はあのように、イエス様にあって一つで、多様性をもって喜んでいく教会を望んでおられるのを思います。

そのような教会にたくさんの人たちが連なって喜べるようにしてください。

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2009年6月18日 (木)

“私の歩んだ教会たち”3‐1・恵みの教会

教会で神様の恵みをひたすら感じた3年間でした。

『おとめイスラエルよ。わたし(神)は再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。』旧約聖書 エレミヤ書31:4

新しく通う教会の近くに、私は引っ越しをした。

引っ越し先は、お金も何も無く、今にも崩れそうなボロアパートだった。

が、礼拝は楽しかった。

賛美はワーシップソングになり、賛美の中に、神様の臨在をいつも感じた。

聖霊様が、私の心にシャワーの慰めを毎回くださり、私は礼拝ごとに、その慰めに泣いた。

号泣になり、トイレに駆け込んで、泣くこともしばしばあった。

その頃、この聖書のことばを見つけて、紙に書いた。

私の内に、心の癒しが起こると信じられた。

新しく覚えたワーシップソングを昼も夜も賛美した。

バイト先の仕事場でも、トイレに行くたびに、そこであふれる思いを賛美した。

礼拝メッセージのテーマは、“恵み”だった。神様が一方的に私たちを赦してくれるメッセージを私の霊は喜んで聞いた。

すべてが、順調のような信仰生活だった。

開拓のようなその教会に、人々は増え、新しい会堂を建てるに至った。

私の信仰生活も、教会もすべては順調かのようだった。

この2年後に、この教会が、いろいろな問題が起こり、この立派に建てられた会堂から教会の人たちが出ていくことになるとは、あの頃、誰もが想像しなかった。

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神様、ワーシップソングの礼拝の中で、私はたくさんの慰めを受け、癒されていった、そのことをありがとうございます。

賛美の内に住まわる神様を体験する日々でしたから、ありがとうございます。

聖書の話しも、神様の恵みが中心で、慰められました。

短い期間でしたが、その教会で、私は恵みの神様、恵みのメッセージ、慰めの霊をたくさん経験できて、ありがとうございます。

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2009年6月 9日 (火)

“私の歩んだ教会たち”2-3・除名

私が伝道師除名になったときの話しです。

『謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。』新約聖書 エペソ人への手紙4:2~4

私が教会で働き出して8か月。もう何もかも駄目だと思うくらい、前に進めなくなっていた。

神様も信仰も祈りも何もないかのようになっていた。

そんなとき、近くで集会をやっているのを知り、休みの月曜日に行った。

そこの礼拝形式とメッセージの新鮮さに胸打たれた。「ああ、私が求めていた神様はここにいる…。」という感じで、砂漠で水を飲んだように元気になった。

今考えると、とんでもないことを言ったのだなぁと思うが、何も考えていない私は、次の日、牧師に言った。

「私は元気がほしいので、休みのときはこの集会に継続して出ることにしました。」

すると、牧師の顔色が変わった。改革派といわれる生真面目な教会で、聖霊派と言われる教会は異端視扱いである。

牧師は何よりそのようなものが教会に入り込むのを恐れていた。凄く敏感になっていた。

「わかりました。3日待ってください。あなたを伝道師除名にするか、どうか話し合いをします。」

私の中で思わね展開だった。悲しくなかった。3日間、「神様、除名の決定が下りますように。」とこのときばかり、ひたすら、祈った。

神様の導きで、教会で働きだしたのに、自分から辞める訳にいかない。神様に申し訳ないと思っていた。

除名になって、この教会から出られるならそうしてほしいと強く願った。

私の何かが間違っているとしたら、何もかも間違っていたかもしれないが、そう思った。

3日後、除名が下された。秘かに神様に感謝した。

私は12月のある日までとなり、残りの数回の礼拝出席をした。

最後の日、「今日、礼拝後、総会があるので出てください。」と言われたが、出なかった。それも責任的にどうであったかと問われるだろうが、出なかった。

牧師は、私が働きをまっとう出来なかったことを教会の人に謝らせたかったのかもしれない。

このとき、信仰深い婦人たち何人かが、私のために心痛め、祈ってくれていたのを後で知った。

私は逃げるように荷物をまとめ、集会をしていた教会のある土地へと県をまたいで引っ越しした。それが今住んでいる土地になる。

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神様、あなたがくださった場所で、きちんと働きができずにすみませんでした。

私は出られて嬉しかったですが、教会を悩ませ、たくさんの迷惑を教会の人たちにかけたことを赦してください。

福音書派と聖霊派にもまた、大きな溝があります。

今の福音派がどうなっているかわかりませんが、私たちは、皆、神様にあって一つです。

福音派に通う親しい友人もいますが、共に祈れています。

その溝は何でしょうか。

神様の霊は混乱させる霊ではなく、喜びと導きをもたらすものです。

日本の歴史の中で、何が正しいとか、分派とかいろんな間違いがあったと思いますが、その傷を癒してください。

御霊は一つです。あなたが喜びをもたらし、赦しをもたらし、癒しをもたらす神様の霊にあって、私たちを一つとしてください。

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2009年6月 8日 (月)

“私の歩んだ教会たち”2‐2・裁き

私が教会に仕えていたときのことです。2(番目の教会)での2(番目のエピソード)です。

『しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。

…私をさばく方は主です。…

ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。』新約聖書 第1コリント人への手紙4:3~5

私の限りなく、グレー色の信仰生活は続いた。

教会に仕えながら、神様の喜びがないのは最悪だった。

ある日、決められた時間に仕事場の教会に行けず、遅刻した。

牧師に注意されるなと思った。が、牧師は無言だった。内心、ほっとした。

ところが、その次の週の礼拝に出席し、牧師の礼拝メッセージを聞いていたときのこと。

「こんな人がいます。」と、私の名前こそ出なかったが、高い講壇から、神の名前を使って、その遅刻のことを許されぬ行為と裁かれた。

「そんな…、講壇降りて来て、人として注意してくれればいいことなのに、おかしいよ。」とか思いつつも、落雷を落とされたようなショックに打たれた。

次の日、私はそのショックで、ベッドから起き上がれず、ずっと寝たまま、天井を見つめていた。

私自身が、神様が遠く感じられてどうしようもない中、私の中で、受け止めきれない痛みが積み重なっていった。

青年会で、一言近況報告をみんなでしたとき、私は言った。

「明日をどうやって生きていったらいいだろう…そんな感じです。」

そんな中でも、たくさんの人に支えられた。特に離婚され、クリスチャンになられたばかりのKさん、霊的な賜物があり、よく祈ったMさん。どちらも男性の方だったが、教会に対する痛みを持っていて、よく長く喫茶店で話したり、祈ってもらったり、支えられた。

教会学校の子どもたちは大きな支えだった。子どもたちとの深い交流に慰められた。

私は精神的に病んでいるのではないかと、遠くの診療内科に連れていってくれたご婦人もいた。

何がなんだかわからない毎日だったが、一日一日が終わるのを願うだけだった。

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神様、私に必要として、通してくださった様々なことを感謝します。

何もできない、神様に祈ることすらできない、最悪な仕え人でしたが、まわりに慰めや支えや祈りの人たちをたくさん置いてくださり、ありがとうございます。

神様、私は過去のことは癒されたので、こうして書いて話せていると思います。

私が教会のたくさんの方に迷惑をかけたこと、全く牧師の意にかなう働きが出来ていなかったこと、赦してくださり、ありがとうございます。

講壇から神様の名前を使って、裁いた牧師を赦します。

神様、講壇からは、裁きではなく、キリストの十字架の赦しが語られるようにしてください。

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2009年6月 7日 (日)

“私の歩んだ教会たち”2‐1・ヘルペス

神学校を卒業した私は、奉仕教会にそのまま就職しましたが、私の弱さゆえと思いますが、砂を噛むような日々でした。

『苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。』旧約聖書 詩篇119:71.72

神学校を卒業した私は、そのまま、奉仕教会に就職した。

私の働きは伝道師的な働きのポジションだったと思う。総会で承認を得て、スタートした。

私は神様の働きができるとワクワクしていた。(今は神様の働きは、教会の中がすべてとは思わないが。)

顔合わせ初日、会議室で、牧師、長老たちと共に集った。

すると、とても人のいい長老さんが私ににこやかに言った。

「sebaさん、牧師が白と言ったら白、牧師が黒と言ったら黒で従ってくださいね。」

「エッ……!?私は神様に従うんじゃないの?牧師に従うの?」と心の中で思った。が、初っぱなから反論できる訳でもなく、にこやかな作り笑いをして「ハイ。」と答えた。

あとは、何が話されたか、全く記憶がなく、ボーゼンと家に帰った。

なんだか体中の力が抜けていくのを感じた。

「牧師に従えって…牧師は神様じゃないし…。」

家に着くと、顔の眉のあたりが、やけどをしたような痛みが走る。初めは、鏡を見ても良くわからなかった。

あまりに痛いので、何度も鏡を見ると、眉の横がグジュグジュとなってくる。

次の日、病院に行った。ヘルペス(帯状疱疹)だった。一点の痛みは、そこから、神経の帯に従って頭ぐるりと一周に渡って痛くなった。

体中の免疫が一気になくなって、ヘルペスの菌にやられたのだろう。

私自身の中に、乗り越えていけない何かがあったのだろうが、教会に仕える立場にありながら、教会生活はグレー色だった。

「神様、どこにいますか?私のところに来てください。」そんな祈りをしながら、神様が遠く遠くに感じらる日々だった。

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神様、念願の教会で働くことになったのに、神様が感じられなくなり、つらかった日々を思い出します。

私があなたに信頼できるための荒野の道のりの始まりでした。

あなたを信頼できず、弱かった私を忍耐して訓練してくださりありがとうございます。

神様に従うのではなく、牧師に従うことを公然と言わせる牧師の信仰を赦します。

牧師にはたくさんの恐れがあったのを今はわかります。

イエス様にあっては、恐れを取り除いて、赦され受け入れられているのですから、イエス様の愛が牧師をおおい、慰めてくださいますようにしてください。

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2009年6月 6日 (土)

“私の歩んだ教会たち”1‐3・旅立つ

家族のように暖かい教会でしたが、出ることになったいきさつです。

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』旧約聖書 詩篇133:1

私の初めての教会での生活は、交わり、交わり、交わりだった。

私自身が通う教会は10人ちょっとの小さな教会だったが、私はその教派の他の教会の青年会の交流、夕拝、聖書勉強会、そして大きな教会の牧師から個人的に「教会史」の学びを受けたり、教会生活オンリーの日々だった。

青年会の人たちとの交流はいつも楽しく、心の中が喜び跳ねていた。

そんな私であったが、どうしても、神学校で勉強したいという思いがあって、超教派の学校に入った。

属していた教会教派は、女性が祈らない教会だから、ましてや、女性の働きは制限されていた。

神学校を出たら、教会で働きたいと考えた私はその教会を出ることにした。

どんな風に教会員の方々に話しをしたか覚えていないが、暖かく受け止め理解してもらえた。

まず、礼拝の中で、メッセージをさせてもらった。女性は表だって出ないところで、司会とかも、中学生の男の子がやっていた。そんな中で、神学校で聖書を勉強しているのだからと、礼拝メッセージをさせてもらった。

今思うと、たぶん、その教派ではあり得ないようなことで、牧師たちが守る教理よりも、「成長しなさい」という親心が勝ったのだと思う。

出エジプトのマナが降る話しから、みことばを日々食べる大切さをメッセージした。

その教会を去る日には、教会学校の子どもたちからも、教会員の方々からも「頑張ってね」の応援と、お祈りしている置物の人形をもらった。旅に出る娘を暖かく出してくれる家族のようだった。その教会は、伝道師の方はいたが、いちお無牧(牧師がいない)教会だったのも、私にとっては守りだったかもしれない。

その後の教会を出るときは、穏やかではなく、一つ一つが強烈だったので、初めの教会を出たときの思い出は慰められる。

自分なりの訓練や小さな悩みもあったと思うが、“教会生活”のすべてが楽しく、輝いていたときだったかもしれない。

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神様、初めの教会を通して、子どもたちや、他の地域の教会員や、たくさんの方々と毎日、楽しく過ごさせてくださり、ありがとうございました。

神様の素晴らしさと教会の方々との交流の楽しさと、学びによる感動があった日々でした。

祈りをもって、私を育ててくれた教会員の方々が、祈りをもって出て行くのを暖かく見守ってくださり、ありがとうございました。

そこで、たくさんの人に祈られ、赤ちゃんクリスチャンの私は成長したのだと思います。目に見えないたくさんの尊いお祈りをありがとうございました。

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“私の歩んだ教会たち”1‐2・洗礼

前に正統でない教会で受けたのですが、再度、洗礼を受けるように導かれたときの話しです。

『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじるからです。あなたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』新約聖書 マタイの福音書6:24

私が教会に通い、一年程たったころ、教会学校(子どもたちが聖書を勉強するためのクラス)のための同じ教団の近隣教会での合同キャンプがあった。

私は、小学生、中学生キャンプ通しで、キャンプ場で奉仕した。

キャンプも後半になり、明日で終わりという夜、私は、教師としてキャンプファイヤーに中学生と参加した。

そこで、メッセージが語られた。イエス様のもとへの招きのメッセージだったかもしれない。

そこで、私は導かれてしまった。キャンプが終わり、宣教師のところに行った。

「私は前に別の教会で、洗礼を受けましたが、そのとき、イエス様の十字架を知らなかったのです。もう一度、受けたほうがいいですか。」

その方は言った。「ローマ人にありますね。疑いを感じて食べるなら、罪です。信仰から出ていないからです(ロマ14:23)」と。

私は洗礼を受け直すことにした。教理的にどうということでなく、神様から勧められているように思った。

キャンプの責任者になっている牧師に話しをした。

「私、洗礼受け直します。」すると、その牧師は、祈って待っていました…という感じで「そうですね。」と言われた。

真夜中の富士山の麓の湖で、私の洗礼式はひっそりと、こっそりと行われた。

教会員の方から水着を借り、真っ暗な水面で、祈られ、水に浸った。

讃美歌がささやくように歌われる中で…。

次の朝、私は悲しくて仕方なかった。たった一年程度かもしれないが、私の信仰と私のクリスチャン生活のすべてが否定されたかのように、捨てさせられた思いだった。

家に帰っても泣いていた。三日三晩泣き明かした。

この証しを、前にもブログに書いた。が、私の中では、私と神様との出来事で書いた。

今、思う。あの時、たくさんの人たちが、私の洗礼の導きを静かに受け止め、その助けをしてくれたと…。ひとりでは、当然だが、できなかった。

あの洗礼は私にとっては、とても意味のあることだった。

それまでは、私流の信仰だったが、それを捨てさせられ、神様が示す信仰へのスタートとなったのだと思う。

あまりにも、捨てなくてならない自己流がたくさんあったと思うが、まさにつらい洗礼となった。

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神様、30年近く昔のことが、昨日のことのように思い出されます。

神様の私への導きに、まわりの人たちは迅速に事を行ってくれました。

そして、そこに至るまでの、そのあとの私のための無言の祈りが見えてきます。

たくさんの方に祈っていただいたのですね。

私の信仰の成長には、尊い祈りがあったことを思います。ありがとうございます。

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2009年6月 5日 (金)

“私の歩んだ教会たち”1‐1

教会生活のスタートをきり、小さな試練の中、成長させてもらったことを思い出します。

『むちを控える者はその子を憎む者である。

子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。』旧約聖書 箴言13:24

「私は何のために生きているか」…そんな問いが頭の中を巡っていた私は、大学中退して、東京に出てきた。

バイト先のクリスチャンの友人が祈ってくれていた。
孤独と空虚が私をおおい尽くす中、「あなたは神様に近いよ。」と友人が言った。そのとき、私は私を生かしてくださる神様に出会った。

教会に通いだした。

福音派と言われる中でも、もっとも固い教会だった。聖書にないことはしない…ということで、女性は祈らない、礼拝は楽器を使わない教会である。

その教会堂を貸している方Hさんがいた。“がんこオヤジ”で通っている方で怒ると怖そうな方。

私はその教会にすぐ馴染んだ。東京に出てきて、知り合いもいないような私にとって、そのアットホームな教会は、家族のようだった。

住んでいる場所からかなり遠いので、前日に教会堂に泊めてもらった。

教会学校や週報作り(ガリ版すり)をさせてもらった。

ある日、渾身の力作とばかり週報をみんなに配ると、Hさんが言った。

「こんなお粗末なものは、恥ずかしくて外には出せない!」

私は怒りが込み上げた。悔しくて泣いたような気がする。(あまり、昔のことなので忘れた)

そんな小さな試練を繰り返しながらも、ご飯を食べさせてもらったり、泊めてもらったり、奉仕をさせてもらった。

その教会はクリスチャンである前に、みんな常識人だった。常識に欠けている私はその皆さんに養っていただいた。

気がつけば、4年通い続けていた。そして、忘れることの出来ないのは、私が冬に教会に泊まるときには、“がんこオヤジ”のHさんは、大切なお客様を招くように、いつも部屋を暖めてくれていた。居心地良く泊まれるよう、ベッドメーキングに気を使ってくれた。

誰よりも誰よりも、私の人間的な成長を願ってくれた。

あのとき、「こんな週報は…」と言ったのは、自分が悪者になっても、「もっと良いものを作りなさい。」というメッセージだと知った。

Hさんだけは、その後、私が教会を去った後も、我が子を心配するように、「元気か?」と便りをくれた。

私を育ててくれた牧師はいなかったが、教会のお父さんはいたんだなぁと思う。

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神様、私は一人で、神様との関係の中、癒され成長してきたように思っているふしがありましたが、あなたが、愛情深い方を備えてくださり、養ってくださったことをありがとうございます。

私がクリスチャンとして最初に大切なことを教えられ、この教会で養われました。

神様、ありがとうございます。

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2009年6月 4日 (木)

“私の歩んだ教会たち”0‐1

神様に出会う前に、教会に行っていました。正統派かどうかはわからないですが、そこで一度洗礼受けました。(イエス様信じてから、受けなおしました。)

『人は心に計画を持つ。主はその舌に答えをくださる。

人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。』旧約聖書 箴言16:1.2.3

私は高校生の時、「自分は変わりたい」という願望を強く持っていた。

それは、母は大切な人なはずなのに、ずっと中学から反抗期のようになっていて、いつも口では母を言い負かせてしまい母を泣かせ、自己嫌悪に陥っていたからである。

そんなとき、クラスメートがキリスト教会に行っていて、「sebaさんも行かない?」と誘われた。たぶん、キリスト教は新興宗教と違い、自分を変えられるところかなぁと、かすかな期待があって、行った。

その教会は、異言(神様の霊のことば)で良く祈り、聖書はなぜか文語体…。

『愛は寛容にして、慈悲あり。妬まず、おごらず、高ぶらず、己(おのれ)の利を求めずして、他人の義を思う。おおよそ事忍び……。』

聖書事態難しいのに、さらに文語体で、さらに異言。

何がなんだかサッパリわからなかったが、勧められるままに洗礼を受けた。イエス・キリストの十字架を聞いたか…覚えていない。まして、信じたとか、確信とかは程遠い世界だった。

大学に入り、文語体聖書は片身離さず持っていた。しかし、ご利益的な強調が多い教会に、「私は変わりたい。」という私の願望とはかけ離れていた。教会には行かなくなった。

私の一人求道中の始まりだったかもしれない。

ただ、その文語体聖書を飛ばし読みだが、読んでいた。

孤独をつづる日記には、「神様…」と良く書いていた。祈っていたか、記憶はないが、神様がいる確信はあった。

思い返せば、私が通った教会は5つではなく、6つも7つもあったような気がする。

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天のお父さん、私はこのころ、まだ神様と出会っていませんでしたが、神様がいることを聞いて信じていました。

私が神様に出会う前から教会というところで、神様をいることを信じさせてくれて、ありがとうございます。

文語体の小難しい聖書でしたが、そこから種を蒔いてくださっていたこと、ありがとうございます。

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