“神様から信じる心を与えられる”
神様を信頼することについて考えました。
『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』新約聖書 ヘブル人への手紙11:1
信仰とは、神様への信頼である。
信頼を強める…というとどうしたら良いか難しい感じがする。
けれど、私たちは日常の中で、普通に人を信頼したり、信頼しなかったりしている。
信頼は目には見えないものである。
けれども、友人とか付き合いをする中で、この人は信じられるとか、信じてもらうとかという作業をしているのだと思う。
友人との信頼は、順調なときよりも、自分に困難が訪れたときとか、自分が負債を負ったときとか、何もなくなったときとかにわかるのかもしれない。
私も自分の弱さで失敗したとき、それを裁き黙って去っていった人たちと、それを受け入れ、応援してくれた人とがいた。
人との信頼は困難な中、弱さの中でつくづくわかる体験をした。
神様は信頼に足るお方である。
だから、人と人との信頼関係と違って、信頼するお方を自分が信頼しているか否かをいつも問われてしまう気がする。
が、私は神様を信頼する心すら神様からきているのではないかと思う。
エペソ人への手紙2:8.9に次のようにある。
『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』
救いが神様の恵みであり、自分の力によるものではないと言っているのかもしれないが、信頼する、信じる心すら神様からいただいているように思う。
なぜなら、私がイエス様の世界があることを理解したのは、信じられたのはある瞬間からだった。
たぶん、この世に、自分に、人に、信じるものを無くし、すべてにギブアップした状態の瞬間、神様の側の世界を理解し、そのときから信じることができた。
だから、信じることすら自分の力ではないと思う。
信頼するべく神様をどうしたら信じていけるか。
もしかしたら、何か他のものを信じながら、神様を信じることは難しいのかもしれない。
お一人、お一人の心に神様への信頼が与えられ、その信仰にたっていけますように。
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