病気

2009年6月 7日 (日)

“私の歩んだ教会たち”2‐1・ヘルペス

神学校を卒業した私は、奉仕教会にそのまま就職しましたが、私の弱さゆえと思いますが、砂を噛むような日々でした。

『苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。』旧約聖書 詩篇119:71.72

神学校を卒業した私は、そのまま、奉仕教会に就職した。

私の働きは伝道師的な働きのポジションだったと思う。総会で承認を得て、スタートした。

私は神様の働きができるとワクワクしていた。(今は神様の働きは、教会の中がすべてとは思わないが。)

顔合わせ初日、会議室で、牧師、長老たちと共に集った。

すると、とても人のいい長老さんが私ににこやかに言った。

「sebaさん、牧師が白と言ったら白、牧師が黒と言ったら黒で従ってくださいね。」

「エッ……!?私は神様に従うんじゃないの?牧師に従うの?」と心の中で思った。が、初っぱなから反論できる訳でもなく、にこやかな作り笑いをして「ハイ。」と答えた。

あとは、何が話されたか、全く記憶がなく、ボーゼンと家に帰った。

なんだか体中の力が抜けていくのを感じた。

「牧師に従えって…牧師は神様じゃないし…。」

家に着くと、顔の眉のあたりが、やけどをしたような痛みが走る。初めは、鏡を見ても良くわからなかった。

あまりに痛いので、何度も鏡を見ると、眉の横がグジュグジュとなってくる。

次の日、病院に行った。ヘルペス(帯状疱疹)だった。一点の痛みは、そこから、神経の帯に従って頭ぐるりと一周に渡って痛くなった。

体中の免疫が一気になくなって、ヘルペスの菌にやられたのだろう。

私自身の中に、乗り越えていけない何かがあったのだろうが、教会に仕える立場にありながら、教会生活はグレー色だった。

「神様、どこにいますか?私のところに来てください。」そんな祈りをしながら、神様が遠く遠くに感じらる日々だった。

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神様、念願の教会で働くことになったのに、神様が感じられなくなり、つらかった日々を思い出します。

私があなたに信頼できるための荒野の道のりの始まりでした。

あなたを信頼できず、弱かった私を忍耐して訓練してくださりありがとうございます。

神様に従うのではなく、牧師に従うことを公然と言わせる牧師の信仰を赦します。

牧師にはたくさんの恐れがあったのを今はわかります。

イエス様にあっては、恐れを取り除いて、赦され受け入れられているのですから、イエス様の愛が牧師をおおい、慰めてくださいますようにしてください。

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2009年5月28日 (木)

イエス様のいるところにいる

イエス様といるならば、どんなところにも行けるのかもしれません。

『わたし(イエス)に仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。

わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。

もしわたしに仕えるなら、父(神)はその人に報いてくださいます。』新約聖書 ヨハネの福音書12:26

4年ほど前、そのとき属していた教会でのこと。

教会員の義理の妹さんが26歳という若さで、不治の病になられた。私たち、小さな教会では、癒されるよう祈った。

その妹さんはイエス様を信じた。教会員の人は牧師に見舞いに行って欲しいと願った。が、なぜか牧師は行かなかった。

その頃、私は地元の病院で、「乳ガン悪性の疑い」と言われ、専門の医師がいる病院を紹介された。家から1時間半もかかる都内にある病院だった。

その病院が、教会員の義理の妹さんが入院している病院だった。

私は定期的に診察でその病院へ行った。そして、その妹さんを病院に行くたびに、お見舞いした。

教会の何人かで祈っていたので、彼女は不治の病で、死を前にしているかのようだったが、癒されると信じていた。お見舞いに行くたび、私は彼女と聖書の話しをしたり、祈ったり したが、神様の癒しを信じていたので、命細くなっていくかのようでも、なぜか、安心していた。が、彼女は亡くなられた。(天国へ行かれた。)

私は何もできなかった。なぜ、神様の備えの中、彼女のところへ見舞いに行くことになったかも良くわからなかった。

私の中で、一つ不思議だったのが、別の方の手術のときは喜んでお見舞いに行く牧師がなぜ、彼女を見舞わなかったか…ということ。

ある日、夕食を作っているとき、突然、聖霊様が教えてくれたような気がした。

「牧師は行きたくなかったのではない、行けなかったのだ。」と。

裁く気持ちとかは無かった。牧師は、自分を通して病の癒しが行われるのを強く願っていたのだと思う。回復の見込みのある方の見舞いには行けたが、死を目の前にしている方には、怖くて行けなかったのだと思った。(牧師は自分が行かない理由すら、気がつかなかったと思うが。)

それを教えられたら、なんか可哀想な気持ちすらした。

私たちは何もできないのである。何かできると思い込んだら、成功するか失敗するかに捕らわれるのかもしれない。

私は悲しみの、絶望の闇の中に、イエス様のともしびを持って行きたいと思う。

私は何もできないし、何も起こらないかもしれない。

そこにイエス様がいるなら、一緒に行きたい。

イエス様は言われた。『わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。』

「わたしのいるところにいなさい。」と言われる。大切なことは、何かをしようとするのではなく、イエス様と共にいることである。

私と共にいてくださるイエス様がいるならば、私はイエス様とどこへでも行ける。

何かしようというのは無意味なのだ。イエス様と一緒に、悲しむ人、苦しむ人のところにいるだけである。何かをなさるのは、イエス様だけだから。

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2009年1月24日 (土)

最も大切な信頼

信じることで良しとされ、受け入れられたので、クリスチャンの誇りは自分ではなく、キリストと神様です。

『もしアブラハムが行いによって義と認められたなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。

聖書(旧約聖書)では何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」とあります。』新約聖書 ローマ人への手紙4:2.3

昨日のブログで書いたが、神様はアブラハムを選ばれ、アブラハムは神様を信じ、そして「わたし(神)があなたがた(アブラハムを初めとするイスラエル人)の神になる」契約を結ばれた。

新約の時代、その契約はキリストによって異邦人(イスラエルの民以外の人たち)に及んだ。

ユダヤ人は今も多くの人が旧約聖書を信じているので、キリストを認めず、キリスト教もクリスチャンも認めない。

ローマ人の手紙ではイスラエル人が神に選ばれた民であることは変わらず、神の特別な計画があると言う。(ローマ11章)

それはともかく、アブラハムの神様を信じたことが神様から見たら、「それで良し」となり、神様に受け入れられた。正しい者、良い人間、立派な人であったからではない。アブラハムの行いは一切そこに起因しておらず、ただ“信じた”ことだけでオッケーとされた。

キリスト教は宗教ではないと良く聞く。宗教という定義に“何かする”ということが含まれているとしたら、キリスト教は宗教ではない。

“する”世界ではなく、“信じる”世界だから。

もっと平たく言えば、神様を信頼していく世界…それがキリストを信じる人たちの世界である。

行いによって神様に認められた訳ではないのだから、クリスチャンは自分に誇れるものは何もない。誇れるのは、キリストの十字架で赦してもらったこと、また、そのように憐れみの計画をたてられた神様である。

もし自分を誇るクリスチャンがいるとしたら、それは怪しいかもしれない。

“ただ信じた”そのことから出発し、今もそのことのみ神様から求められているのだから。

神様、天地の創造主であられるあなたと、親しく交流し、信頼する信仰も与えてくださりありがとうございます。聖書では、何かをすることを第1としてはいません。ただあなたを信じてついていくことだけです。ただ信じてあなたのことばにとどまるだけです。この“信じる”ということは、“何かをする”ことで自分たちを保ってきた私たちには難しいことでもありますが、神様との信頼関係に人々が入り、神様を喜べますよう祝福してください。

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2008年9月30日 (火)

鉄格子の中にいた統合失調症の父

時々、「かわいそうに。」と人がいう言葉に、上から見下ろして言っている、差別と偏見と優越感を感じ取ってしまうときがあります。

『「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」』旧約聖書 詩篇2:3

私が小学5年のとき、統合失調症(分裂病)で入院している父の見舞いに家族で出掛けた。父は小さな4畳位の鉄格子のある部屋にいた。私の母に「母さん、どうして俺はこんなところにいるんだ。」と話しかけていた。筆まめな父から、子ども宛ての手紙をもらった気がする。

そのことについて、母や姉と何か話した記憶はない。ブログを書くため、自分の過去を振り返り思い出したが、そのことを人と話したこともない。暴れる訳でもないのに、なんで、あんなところにいれられていたのだろうと思う。

最近、私の友人の入院で、何度かお見舞いに行ったことがある。各階ごとに鍵をかっていたが、光が差し込むきれいなフロアーをみんな自由に行き来していた。

この病気に関して、私は何の知識もないが、きっと、医学が発達し、また、人間的な偏見が少しずつ変わり、今に至っているのかもしれない。

障害であれ、病気であれ、弱さであれ、人はその中で、人として尊厳をもって生きている。神様はキリストの十字架のゆえに、そのままでその人を受け入れ、愛してくれる。神様と同じように、そのままで受け止められたらと思う。

そして、弱さを担ってる人のほうが、より深い真実をみて、感じていたりするのかもしれない。

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2008年9月 7日 (日)

2度の結核が益となった姉

『主(しゅ)をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』旧約聖書 詩篇37:4.5

姉はこれまで2度結核になっている。一度目は、多分5才か6才のとき。その頃、父も胃潰瘍で入院し、母は大変だったと思う。特に、幼い子どもの結核には、今は治る病気といえど、どんなに心配したか、私も親になって思う。

そんな大変な状況であったが、姉にとっては、人生を決める決定的なときとなった。その入院生活を通して、姉は幼心に自分は将来看護師になりたいと思った。

姉はその思いを貫き、看護師になった。4年前、2度目の結核になる。

祖母のこと、愛犬のこと、家を支えていた姉にとって、解決しなくてはいけないことがたくさんあった。が、すべてうまくいき、姉は忙しい生活を一時中断し、隔離病棟に入った。神様に祈る静かなときだった。「神様に、お母さんが赤ちゃんを抱っこするように抱いてもらい、包まれているのを感じた。」と話してくれた。50才近くにして、何かが癒され、新たな思いで神様とともに歩むときとなった。

神様は、結核という誰もが決してなりたくない病を通して、姉を確かな道に歩ませてくれたのを思った。

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2008年8月24日 (日)

末期ガンの母が喜んでおどった踊り

『わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主はわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套(がいとう)をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。』イザヤ書61:10

私たち夫婦は、2箇所で結婚式をした。8月に教会で、すべてが手作りの温かい結婚式をしてもらった。もう一つは、10月、私の田舎で、遠方からも多くの親戚を呼んで、盛大な披露宴をした。コーディネーターは母で、ほとんど母が自分の結婚式のように段取りを組んだ。

披露宴が終わると、私たち新郎新婦は置いてきぼりで、母は遠くから集まってくれた自分の親族とバスに乗って温泉旅館に行った。

母はそこで、喜んで、踊りを踊ったと聞いた。末期ガンの母だったが、娘の結婚式を親戚に祝ってもらうのが、とても嬉しかったらしい。その直後、母は入院し、12月には天に召された。披露宴当日は主人の親族もバス一台貸し切りで、朝早く披露宴に大移動してくれたり、ひたすら母中心の披露宴だったが、母が喜んでくれ、まわりの人も喜んでくれた。主人も母が召されたあと「田舎の披露宴、お母さんのためにやれて良かった。」と言ってくれた。母はキリストの花嫁のように、喜びながら天に召されたと今、思う。

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2008年8月23日 (土)

たった一言にショックを受け、ヘルペス(帯状疱疹)になった私

『わが子よ。私(神)のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。』箴言4:20~22

人間、免疫力がなくなったとたん、病気になるものだと思う。まさに病は気から…だ。神学校を卒業し、晴れて教会で働くことになった顔合わせの日。牧師や役員が勢揃いしている中、役員の長の方に元気に次のように言われた。

「牧師が白と言ったら白、黒と言ったら黒と言って従ってください。」私は心の中で叫んだ。「えー!!教会は神様に従うところではなかったんですか!?」もちろん、新米の私は顔で笑って「はい。」っと言った。

その夜、まゆ毛の上が局部的に、やけどをしたような強烈な痛みを覚えた。鏡で見ると、グズグズと何か沸いてくる。ヘルペス(帯状疱疹)だった。そして、たちまち、頭ぐるりとその神経に菌が回って、一週間位痛い思いをした。

神学校を出た私の最初の洗礼は、私が全く考えたこともない指示を受けたことだった。今だったら、聞き流せたかもしれないが、そのときはあまりのショックに瞬時に体中の免疫ゼロとなり、ヘルペスにやられてしまった。

今では笑い話しのような話しだが、誰かが悪いとか、間違ってるとかいうことではなく、私が人への対応力がなかったということだったと思う。おかげで、私は凄く聖書を読むようになった。人の考えは様々だが、私は聖書のことばを選び、そこに立ちたいと思うようになった。

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2008年8月22日 (金)

父の分裂病(統合失調症)

『彼(キリスト)はいたんだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる燈心(とうしん)を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。』イザヤ書42:3

父は将来を約束された国鉄職員だった。42歳のとき、仕事のトラブルと体の病気に対する不安で、分裂病(今の統合失調症)を発症した。

「パンセ」の中でパスカルは「人間は考える葦である。」と言った。人は複雑、繊細に出来ている。

父は祖母にその頃、手紙を書いていた。孤独と悩みを綴ったものだった。負いきれない悩みを抱え、どんなに苦しかっただろうかと、大人になり、私も父との関係が癒されて、やっとそう思う。

人は壊れてしまいそうに、ときには弱い存在なのだと思う。私が神様に話しを聞いてもらい、慰められてきたように、私も重荷を背負う人の話しを聞き、寄り添いたい。子どもだった私が、父に何も出来なかったが、天国の父も、自分の病が無駄でなかったと喜んでくれるだろう。

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2008年8月21日 (木)

シーズー犬タローが我が家で過ごした日々

『こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。』エペソ人への手紙2:19

今から5年前、姉が結核で急きょ次の日に入院することになり、姉は電話でこう言った。「妹よ。すぐに来てくれ。ばあちゃんは人間だから、行き先はなんとかなる。タローはすぐ妹に預かってもらわないと保健所行きになるから大変だ。」

こうして、生後一年に満たないシーズー犬タローは突然我が家にやって来て、6カ月居候することになる。

可愛いタローは、散歩仲間の犬たちにも、子どもの友だちにも大人気になった。

姉が可愛りすぎて、お手の一つも教えておらず、主人の訓練が始まった。子どもが夜に30分のピアノの練習をする時間が、タローのしつけ訓練の時間となった。主人とタローは廊下で特訓した。6カ月でしっかり芸をマスターした。お手、おかわり、待て、ふせ、ハイタッチ。主人曰く「タローちゃんはとても頭の良い犬だ」

姉にタローを返しにいったとき、姉はお利口タローになっているので喜んだ。今は餌をあげるとき、お手、おかわり、待てを必ずさせているらしい。

我が家に可愛い居候が来た思い出だ。おかわりをするとき、短い足を一杯に外から回してくる仕草が忘れられない。私は道端で、可愛いシーズー犬とすれ違うと「タロー!」と心の中で呼び掛けている。Dsc00076

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2008年8月19日 (火)

限りある時間の中で、私がしたいこと

『この天地は滅びます。しかし、わたし(イエス)のことばは決して滅びることがありません。…目をさまし、注意していなさい。その定めのときがいつだか、あなたがたは知らないからです。…主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。』マルコの福音書13:31~36

3年前まで、パートで働いていた。仕事は、なかなか覚えられず、みんなに助けられていたが、それでも3年位続けていると、シフトの一部となっているので、なかなか止められないと思っていた。その頃、乳ガン疑惑が出た。天国行くのかなぁと思ったら、今限られている時間、自分が本当にしたいことは何か考えた。そして、仕事を止めた。

母は53歳で天に召された。私も限りなく、その歳に近ずくと、地上では後、何年生きられるかと考えてしまう。若い時は、時間も健康も無限にあるような気がして、大切にするなんて考えなかった。が、だんだんその限りがあることを痛感すると、今しか出来ないことをと思う。

かつては自分自身が生きていくこともしんどかった私だが、神様に拾ってもらい、癒され、自由と喜びが与えられた。今、限りある中、私がしたいこと、それは恩返し。私が神様の中で、生き返ったように、私自身の労力、能力、祈り、時間、健康、すべてを持って、人に仕え、誰かが慰められ、励まされ、癒され、生かされるお手伝いをしたい。

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