“反抗期爆発”(自分史11)
中学、高校の反抗期のひどい私でした。
『子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。』新約聖書 コロサイ人への手紙3:20
私が中学3年のとき、母が計画し、建てた家に、高校と合わせて4年住んだ。
一番楽しい時期のはずかもしれないが、私にとって母への反抗期がピークに達していて、つらい時期でもあった。
母とはいろんな価値観が違った。
まるで、水と油のように母に理解を求めても求めても理解されなかった。
理解してもらえないやるせなさは、母に強く反発する形になっていった。
私は母を口で激しく言い負かすと、なんとも後味悪く、二階の自分の部屋にかけあがっては泣いていた。
私からしたら、母は四角い私を丸い型に無理やり納めようとしているかのようだった。
今、客観的に見ると、誰が悪い訳でもなく、私が父親に似ていたから、母とは違っていただけのことのようにも思う。
父親は病気で精神的には不在で、理解されない母からいろいろ押し付けられることは苦痛だった。
中学で反抗期が始まり、一番近いところで理解されたい母から理解されない私は、自己否定と自己嫌悪という塊になっていく。
自分が嫌いだった。なんで、こんないろんなことにこだわる損な人間なんだろうと思った。
生まれ変わりたい…願望がとてもあった。
お風呂に入ると、「ああ、ここから上がったら、違う自分がいたらなぁ」なんて良く思った。
特にぐれるでもなく、高校では生徒会などやったりしていたが、楽しいこともあったが、だんだん漠然とうつろな空しさが漂い始めていた。
あの頃、何が私を支えてくれていたか、東京の看護師学校にいった姉には理解されている…そんなところだったかもしれない。
高校3年のとき、友人の誘いで、キリスト教の集まりに行った。なんか良くわからなかったが、自分が変われるかもしれない、変わりたいと思っていた。
残念ながら、そこでは、異言でたくさん祈ればご利益ある?みたいな教会で、期待していたものはあまり得られなかったが、聖書との出会いだった。
ここで手にした聖書を一人読みながら、私の一人求道生活が始まった。
神様は信じていた。
神様が、早いときから聖書に触れさせて、聖書を読むことによって、私の心に神様のことばの種が蒔かれていたのだと思う。
母と理解し合えないことは、苦痛で、否定的な私を作りあげ、影を落としていったが、そんなだったから、私はイエス様に会えたのかもしれない。
母に強い口答えをし、母の心を何度も泣かせた親不幸娘であったが、神様が捕らえ、導き続けてくれたことを思い、すべてに感謝な思いである。
神様、ありがとう。生きていたときは言えなかった母さん、ありがとう。
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