家族

2009年10月 7日 (水)

“反抗期爆発”(自分史11)

中学、高校の反抗期のひどい私でした。

『子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。』新約聖書 コロサイ人への手紙3:20

私が中学3年のとき、母が計画し、建てた家に、高校と合わせて4年住んだ。

一番楽しい時期のはずかもしれないが、私にとって母への反抗期がピークに達していて、つらい時期でもあった。

母とはいろんな価値観が違った。

まるで、水と油のように母に理解を求めても求めても理解されなかった。

理解してもらえないやるせなさは、母に強く反発する形になっていった。

私は母を口で激しく言い負かすと、なんとも後味悪く、二階の自分の部屋にかけあがっては泣いていた。

私からしたら、母は四角い私を丸い型に無理やり納めようとしているかのようだった。

今、客観的に見ると、誰が悪い訳でもなく、私が父親に似ていたから、母とは違っていただけのことのようにも思う。

父親は病気で精神的には不在で、理解されない母からいろいろ押し付けられることは苦痛だった。

中学で反抗期が始まり、一番近いところで理解されたい母から理解されない私は、自己否定と自己嫌悪という塊になっていく。

自分が嫌いだった。なんで、こんないろんなことにこだわる損な人間なんだろうと思った。

生まれ変わりたい…願望がとてもあった。

お風呂に入ると、「ああ、ここから上がったら、違う自分がいたらなぁ」なんて良く思った。

特にぐれるでもなく、高校では生徒会などやったりしていたが、楽しいこともあったが、だんだん漠然とうつろな空しさが漂い始めていた。

あの頃、何が私を支えてくれていたか、東京の看護師学校にいった姉には理解されている…そんなところだったかもしれない。

高校3年のとき、友人の誘いで、キリスト教の集まりに行った。なんか良くわからなかったが、自分が変われるかもしれない、変わりたいと思っていた。

残念ながら、そこでは、異言でたくさん祈ればご利益ある?みたいな教会で、期待していたものはあまり得られなかったが、聖書との出会いだった。

ここで手にした聖書を一人読みながら、私の一人求道生活が始まった。

神様は信じていた。

神様が、早いときから聖書に触れさせて、聖書を読むことによって、私の心に神様のことばの種が蒔かれていたのだと思う。

母と理解し合えないことは、苦痛で、否定的な私を作りあげ、影を落としていったが、そんなだったから、私はイエス様に会えたのかもしれない。

母に強い口答えをし、母の心を何度も泣かせた親不幸娘であったが、神様が捕らえ、導き続けてくれたことを思い、すべてに感謝な思いである。

神様、ありがとう。生きていたときは言えなかった母さん、ありがとう。

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2009年9月 3日 (木)

“父からの影響”(自分史7)

親から受けられなかった欠乏を神様は埋めてくれます。

『神よ。私を探り、私の心を知ってください。

私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、いなかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』旧約聖書 詩篇139:23.24

私が小学6年になるとき、私たち家族は再び転勤になり、小学1.2年を過ごした街に戻ってきた。

貸家を借りて、住んだ。母は外にパートに出るようになった。父は退院して、家にいたりした。仕事もしていたかもしれない。

病院から退院した父は人格が変わっていた。

かつては、とても知的で、社交的で、いつも子どもたちのことを一番に考えてくれる素敵な父だった。

精神をわずらい、薬のせいもあるのか、目の前の父は、出された食べ物を子どものことも考えずに食べるような人になっていた。

そのときの私は、変わり果てた父を受け入れられずにいたと思うが、何も考えないようにしていた。

父が変わったことに対する気持ちは誰にも話したことがなかった。話したら恐ろしいことになるから話せなかったのかもしれない。

たぶん、こんな父親は私の父ではない。いなくてよい…と無意識の中で思っていたと思う。

子どもはそのときは、愛されているか、愛されていないかはわからないと聞いたことがある。

私は精神的に父不在となってしまったが、寂しいと思った記憶もない。

が、半世紀生きてくると、父不在の影響が、そのときの自覚しなかった寂しさが長く私の心の傷となって、深いところで影響していたのがわかる。

完全に癒されたと思ったが、まだ、癒されていない部分があるかもしれない。

けれども、神様はその誰にも知られないような深い傷まで、癒しおおいたいと願っておられる。

私は6年のときまで戻り、病であった父を赦し、受け入れられなかった私をイエス様に赦してもらった。

あのころ、オリンピックがあり、白熱するバレーボールを家族で見ていた。

そのとき、私が何を感じたか覚えている。

「この人たちはこんなに勝つことに執念を燃やし、いいなぁ。私はこんな一生懸命なことがなく、虚しいなあ。」と思った。

やがて、私のこの小さな虚しさは少しずつ、成長とともに大きくなっていくことには気がつかなかった。

人は愛されるために生まれてきた…とイエス様にあって良く聞く。

私の両親からの愛されることの欠乏は、私が生きていく意味を見失うところまでになっていく。

けれども、神様に感謝する。不完全な親に愛されることを受けきれなかった私たが、神様のあわれみとイエス様の赦しの愛の中、少しずつ癒されていった。

♯♯♯

神様、人は皆いろんな環境の中で育ちます。

しかし、神様は平等な方で、地上の親の欠乏を埋めてくださる方であることを感謝します。

癒し主なる神様、誰にも埋められない心の空白を癒し、主の愛でおおってください。

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2009年8月26日 (水)

“両親を赦す・2”

聖書のことばが縛りから解放へとなった体験です。

『あなたの父と母を敬(うやま)え。

あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢(よわい)が長くなるためである。』旧約聖書 出エジプト記20:12

人間関係がうまくいかずに悩む人、生きていくのが内側からつらく感じる人の中には、幼少時代の影響のための人が多いかもしれない。

前にも書いたが、この十戒の第5の『あなたの父と母を敬え』は、かつて、敬うことのできない私にとっては、見たくないほどのことばだった。

悲しいことに私たちは不完全な親に育てられ、また、ある人はその親がいなかったりする。

その影響や欠乏は仕方ないのか?

神様は欠乏をも埋めてくださる方である。

私は父、母と神様によって和解させてもらったあとに、この『あなたの父と母を敬え。』ということばが、実は縛ることばでなく、限りなく解放へのことばと教えられた。

私たちの傷や痛みが、残念ながら、親や育ててくれた人からくるならば、私たちはそこにその後の人間関係の基礎を作ってしまう。

ある人は親に嘘ばかりつかれて、疑い深い人間になってしまうかもしれない。

ある人は否定ばかりされて、否定の渦から抜けられない。

私は母から考えていることを理解されなった。そして、世の中に出たころは孤独に陥ってしまった。

人間の不完全ゆえに作られた傷と痛み…神様はイエス様によってそれすら癒される。

私が両親からの傷の癒しと解放を受けたとき、それは私の世の中の人たちとの人間関係における解放となった。

『あなたの父と母を敬え』…私にはできません、イエス様の十字架で赦し、そのことをなさせてください……そのように祈り、取り組むことは、私たちにとって小さなことではない。

神様が与えておられる地で、祝福の多いものとされるのだと思う。

ちなみに、私は父、母を赦すことはあまり取り組まずに、神様のあわれみで癒された。

が、私は教会や牧師を“赦す”ということに関しては、25年間つぶやきながら先伸ばしした。

が、神様は忍耐してくださり、時満ちて、私がすんなり赦し手放せる時まで待っていてくださった。

私の罪を指摘してくれた友人にもよった。

人から罪を指摘されるのは、ものすごくつらい。なぜなら、相手も、たくさん罪を犯している人だからである。

願わくは、誰のためでもない、自分の自由と解放のために、“赦す”ことを祈り、聖霊様にその罪を示され、悔い改めることが望ましい。

聖書にあることばも私を縛るためではなく、癒しと解放へ、祝福へと導いてくださるための最善のことばと知った。

♯♯♯

天のお父さん、聖書にある一つ一つが、どれも私たちがなすには不可能なものばかりです。

イエス様はそんな弱く、何もできない私たちをその罪をかかえたままで赦すために来てくれました。

私の力が弱くなり、ただ、イエス様の慰めの力が、その弱い私たちをおおいますよう、あわれんでください。

そして、神様のことばのとおりの祝福を私たちに与えてください。

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2009年8月24日 (月)

“祖母の過去からの解放”(自分史6)

祖母の信仰が、祖母自身の縄目を解いた話しです。

『私たちの負いめをお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。』新約聖書 マタイの福音書6:11.12

私と姉には“おばあちゃん”と呼ぶ存在の人がいる。

父は6人兄弟の、末っ子だったらしい。私たちの本当の祖母は、私たちが小さいときに亡くなった。

私たちが“おばあちゃん”と呼ぶ人は父のお姉さんにあたる。

私たちの叔母になる。が、結婚し、子どもができずに、父を養子にしたらしい。

小学5年のころ、父の病のときも、よく遊びに来てくれた。

私には何も記憶がないが、母と姑はあまり仲が良くなかったらしい。

ここからは、30年余りたってから、祖母に聞いた話しである。このとき、母はもう天国で、いなかった。

「お前の母さんはなぁ、自分の親が遊びにくるとたくさんのお土産を持たせて帰らせるんだったよ。けれど、私が行くと、挨拶もしないし、お土産も持たせないから、私がじいちゃんに母さんが持たせたと嘘ついて、買ったんだよ。」

祖母は85歳になり、今までは母の話しなど、一度もしたことがなかった。いつも、孫を褒める良い人だった。

急に歳をとり、認知症気味にもなってきて、この話しを繰り返しだした。

姉と住んでいたが、姉が結核で入院したとき、母方の親戚で預かってもらったとき、この話しを繰り返し、2か所で預かり拒否になってしまった。

私は祖母に話した。

「ばあちゃん、母さんは天国に行ったし、母さんがばあちゃんに悪い態度をとったのは申し訳なかった。でも、もう赦してくれないか。」

「いやあ、私は死んだ人には恨みはないよ。」

「それじゃ、ばあちゃん、私と一緒に母さんを赦す祈りをしてほしい。」

そして、私が一区切りずつ祈り、同じことばで、あとからついて祖母が祈った。

「神様、母さんがばあちゃんに挨拶しなかったことを赦してください。ばあちゃんが赦せますように。

母さんがばあちゃんにだけ、お土産を買わないで、ばあちゃんにつらい思いを与えたことを赦してください。ばあちゃんが母さんを赦せますように。

イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」

そのときをさかいに、祖母は一度も母の話しをしなくなった。

祖母の幼子のような信仰に神様が働いてくれ、祖母の重い荷物はイエス様が負ってくれたのを見た。

祖母は「私はね、民謡うまいんだよ。」と可愛い自慢をし、民謡を歌い出すのだった。

今、祖母は90歳すぎて、老人ホームで生活している。

小学5年のころ、母と祖母に何があったのか知らないが、祖母の縄目を解いてくれ、楽に、自由に、楽しくさせてくれた神様に感謝した。

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2009年8月19日 (水)

“私の宝に私の心がある”

私の宝は何か考えました。

『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人(ぬすびと)が穴をあけて盗みます。

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』新約聖書 マタイの福音書6:19~21

いつも、私のブログを熱心に読んでくれる愛すべく友人が私に言った。

「私はめざせ、Sebaのお姉さんなのよ!」

「えっ?私の姉を知らないはずなのに…。」と私は思ったが、姉のことが書かれてあるブログ記事を読んで、そう思ってくれたらしい。

母が亡くなった後、家のかたずけに姉は本当に苦労したらしい。

物が無い時代で苦労している母は、あちこちに宝物のように物をたくさんためていた。

その上、趣味がコレクションだったのか、着物や食器や洋服など、たくさんの物があった。

姉は独身なので、その後、父を天国に送り、祖母が老人ホームに移ると、がぜん、家中の整理を始めた。

築30年以上の古い家は、私が里帰りするたびに、家具が一つずつなくなり、広くなっていった。

そして、姉はいつ自分が天国に行っても、あまり周りに迷惑がかからないようにしたいとのことだった。

私の友人も一人暮らしで、共感するものがあったらしい。

私も昔は漠然とシンプルな生活にあこがれていた。

お箸と茶碗があれば…みたいな生活に憧れていた。

私が大学中退し、東京に出てきたとき、三畳のアパートで暮らした。

友人が泊まりに来ると半畳の押し入れに足を突っ込んで寝てもらった。

物は何も無かった。あれから、30年、少しずつ広いアパートに引っ越していった。

物は最小限で豊かに生きていける。アダムとエバは着るものも食べるものも、何も持っていなくて、神様を賛美し、自然を愛し、動物たちとたわむれ、互いに愛しあった。

そこまでいかなくてもいいかもしれないが、人を豊かにするのは物ではない。

母は、数々の結婚式などの引き出物のタオルケットやシーツなど、使わすに大事にとっていた。

姉と一つ一つ広げていくと、新品同様なのに、あちこちにシミがついていて、ひどいものは捨てた。

まさに、地上にたくわえるものは、虫とさびで、きず物になる。どんな大事な物も天国に持っていくことが出来ない。

天国に持っていけるものは何だろうか。

それは、イエス様との信頼関係なのではないか。

天国はイエス様がいらっしゃるところである。イエス様を賛美するところである。

私の宝のあるところに心がある。

私の宝は何か。私の心を多く占めているものは何か。

この世の物に振り回されず、身軽にイエス様についていける自由人でありたいと思う、近頃である。

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2009年8月15日 (土)

“40年前を謝る”

母とのことを思いました。

『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。』新約聖書 マタイの福音書6:14.15

昨日のブログに父の入院、母の苦悩を書いた。

小学5年の私は、不思議と泣いたり、悲しんだ記憶がない。

すべてに鈍感な子どもだったのか、母が悲しい話しをしなかったために、心に残っていないのか、ただ、その場面だけが浮かぶ。

それでも20年前に、自分史を書いたときに書き進められず、終わった場面である。

昨日、父、母の描写を書いて、私はその40年程前のあのときにワープしていた。

そして、父の悲しみ、母の悲しみが不思議と一人の人として客観的に理解出来た気がした。

あの頃、暗く、悲壮感の漂う、ヒステリックな母は嫌だった。子どもの私は、可哀想なお母さん…という気持ちはあったか定かではない。

父に至っては、子どもながらになんと受け止めてよいかわからなかった。

私の家庭は悲惨だったが、なぜか私には楽しかった学校生活の思い出しかない。

今日、父母を思いやることの出来なかった子どもだったことをイエス様に謝った。

あの頃の出来事は私が自己否定になる環境の前段階だった。

精神的に父不在となった私は、思春期に入ると、価値観の合わない母と喧嘩ばかりしていた。

母に理解されたいのに理解されず、いつの間にか、母の価値観に自分を否定され、自己嫌悪のかたまりになる。

私が一番最初に神様に、人を赦す祈りをしたのは、クリスチャンになって8年、29歳のときだった。

「神様、私にダメージを与えた母を赦します。」と礼拝の中で祈った。

それから一年後、母は天国に召された。そのとき神様は、私と母を和解させてくれた。母の慰めに満ちた死が、私が母を赦し、親不孝者の私が赦されたときだった。

40年前のことの母のことを私が神様に謝るに至るとは思わなかった。

神様への賛美は、赦された深い思いからくると、マーリン・キャロザース師の「天国の到来」に書いてあった。

マタイの福音書の『人を赦さないなら、神様もあなたの罪を赦さない』というのは、文字通り赦されないという意味ではなく、人を赦さないと、赦されていても神様の赦しを受け取れないという意味と思う。

いつも心柔らかくして、いつでも赦しを受けとれるものでありたい。

∞∞∞

天国の母さん、喧嘩ばかりして、母さんの苦労は全然わかっていなかったけど、たくさん私たちのために苦労してくれたのですね。ありがとう。生きているときに、労をねぎらうことばを一つもかけてあげられなくて、ごめんね。

そんな私の罪もイエス様の十字架で赦され、責められていないから、ありがたいです。

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2009年8月14日 (金)

“鉄格子の父と悲しみにくれる母”(自分史5)

父の精神病院の入院、脱走の話しです。

『わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。

こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。

先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。』旧約聖書 イザヤ書42:6~9

医療は進歩している。精神病の治療方法も、入院環境も昔と今では違うのだと思う。

私は最近、クリスチャンの友人を見舞いに、山里離れた精神病院に行ったが、普通の病院と変わらず、とても綺麗だった。父のときのような薄暗さはみじんもなかった。

父が当時で言う分裂病を発症したのは、私が小学4年。40年近く前になる。

小学5年、小さな田舎町に私たちは引っ越しをした。

近くの町の父が入院する精神病院に、母と姉と3人で、一度だけ、お見舞いにいった。

各畳の狭い部屋に鉄格子がされてあった。その中にいる父が母に「母さん、なんで俺はこんなところに入れられてなくちゃ、ならないんだ。」と悲痛な叫びの訴えをしていた。

私たちには、「父さん、お前たちに手紙を書くからな。」と言った。筆まめな父は、実際、私たちにたくさん手紙を書いて送ってくれた。

帰り道、母も姉も私も無言だったように思う。駅に近いところで、3人でラーメンを食べて帰った。

母はどんなにか苦しかっただろうと、今、改めて思う。頼もしい大黒柱の父を頼りにしていた母は、大黒柱を失い、病の父を背負うことになる。

母は神経がピリピリしていた。私と姉はよくふざけて遊んでいたが、笑うと怒られ、「姉ちゃん、バカ」とかふざけていると、「誰がバカだと!」と、母に怒鳴られた。

私は初恋があったり、毎日お友だちと遊んだり、姉との楽しい毎日で、あまり暗くはなっていなかった。毎日、相変わらず、遊ぶのに夢中で楽しかった。

が、母の気持ちを思いやる私はいなかったなぁと思う。

母も子どもには負担をかけまいとあまり父の話しはしなかったのかもしれない。

ある日、母の実家に行き、夜の9時頃、電車で帰ってきた。駅から1分の貸家に向かう途中だった。

母が「あらぁまぁ、なんてことなの。」と叫び、家に近づいたところで立ち尽くした。

暗い家の前に人影があった。裸足で病院を抜け出してきた父だった。

父はどうしても、家族がいる家に帰りたくて、病院を抜け出して来た。

家に入ることもなくタクシーですぐに病院に戻された。

その母の悲痛な叫びとその場面だけが記憶に残っている。

私は母と性格が合わす、母を悪く書いて来たが、どんなに母は苦しかっただろうか。負いきれない重荷を父同様、母も負い、苦しんでいた…今、書きながら母の気持ちがわかるような気がする。

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2009年8月11日 (火)

“父病を発症”(自分史4)

父が精神病を発症した話しです。

『見よ。わたし(神)のささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。

彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。

彼はいたんだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる燈心(とおしん)を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。』旧約聖書 イザヤ書42:1~4

小学3年、雪の中父と手をつなぎ、街を歩いていた。「クリスマスはどうして、学校が休みではないのだろう」と思ったのを覚えている。

学校でも、家でもたくさんの楽しかった思い出がある。

子どもながらに、「これがしあわせっていうのかなぁ。」と思ったのを覚えている。

小学4年、父は仕事の上での責任の重圧と、胃潰瘍が悪い病気でないか悩んだことが重なり、神経衰弱になる。

異変はあった。怒ることの無い優しい父が、家族でレストランに行ったとき、水の置き方が悪いと、ウェイトレスに怒った。

田舎に帰ったとき、「神経衰弱」と心配して言う父のめいっこに父は喧嘩ごしで怒鳴った。

父の変わっていく姿に子どもたちはやるせない思いで黙っていた。

母から詳しい説明はなかったと思う。

知的で優しく、子煩悩な父は当時の分裂病、今でいう統合失調症で、近くの町の精神病院に入院した。

学校や、お友だち関係は変わらず楽しかったが、家庭は一変した。

平凡な我が家は、何かがガラガラくずれた。いつも美しく髪をセットし、綺麗な母は化粧もせず、憔悴しきっていた。

あの頃、良く同じ夢を見た。人が殺されるような怖い夢で、目が覚めては、隣で寝ている母を起こして、一階のトイレに連れていってもらった。

私は友だちとかと毎日毎日遊んでばかりいて、まだ、楽しいことのほうが優っていたような気がする。というか、入院中、父の病気を詳しく子どもたちは聞かされていなかったからかもしれない。

そんな楽しかったその土地も小学3、4年だけ過ごし、また転校になった。

父は国鉄職員のエリートコース、いずれは駅長の道が約束されていたが、今思うと病によって、その道は絶たれ、左遷になったのだと思う。

私たちは、さらに小さな田舎町に引っ越すことになった。

姉は泣き、私は新天地にワクワクしながらの転校となった。

何人かに見送られ、私たちは小さな田舎町に引っ越しをした。

父の負いきれなかった重圧に、父は病気になった。人は弱く、壊れやすい。

看護師の姉が大人になって私に、「私たちも父親の血を引き継いているから、そのような病気になる可能性もあるんだよ。」と言ったことがある。

私も父親似で、繊細?なところがあると自分では思う。が、神様がともにいてくれて、私の負いきれない重圧は神様が負ってきてくれたのかもしれない。

人は壊れてしまいそうになるくらいに弱い存在…と父から教わったのかもしれない。

イエス様は“いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない”最も弱いものをさえ傷つけずその存在を保たれるお方であることは、大きな慰めである。

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2009年8月 2日 (日)

“幼少時代”(自分史2)

幼少時代は平穏な日々でした。

『あなたがたも、自分の子がパンをくださいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。…

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えるのを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』新約聖書 マタイの福音書7:9~11

私は、親は不完全であっても、幼少時代は、平凡で穏やかな日々を過ごした。

父が、私が就学前に胃潰瘍で入院したが、あまり記憶にない。

優しい母親と可愛がってくれる姉、近所の人たちに可愛がられ、いろんな友人と遊びに暮れる日々だった。

父は、本が好きで、社交的で、趣味が多く、子どもを可愛がる人だった。

父の口癖は「ほしいものがあったら、何でも買ってやるぞ。」だった。

週刊少女マンガを毎週買ってきてくれていた。

が、優しく怒ることのほとんどない父だったが、不思議と私と姉は父に遠慮がちだった。

姉が言うには、亭主関白的な父に、母はいろんなことを控えめであったらしい。

そんな父と母の距離を子どもながらに私たちも察していたのか、父にいつも遠慮している私がいた。

それでも幼少時代は楽しい思い出だけが残っている。

親のもとで安心して過ごす子どもにとって、明日は思いわずらわない。自分は知恵も力もなく、いろんなことができないが、責任を持って守ってくれる家族がいる。

その中で、安心しきって、その日、その日を過ごす。

私がクリスチャンになって、三位一体(神様、イエス様、聖霊様が3つでひとつ)なる神様の中で、長い間一番身近に感じたのが、“天のお父さん”と呼べる神様だった。

それはもしかしたら、幼少時代だけではあったけど、優しく頼もしい父と神様が重なり、すんなり入っていけたのかもしれない。

虐待されて育った人などは、神様に優しい父のイメージをすぐ持つのは難しいかもしれない。

人となられたイエス様からや、ダイレクトに働く聖霊様や、神様はその人にあったところから神様の世界に導いてくださるのかもしれない。

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2009年5月14日 (木)

父との2度の和解

母のことを書いたら、父との和解についても書きたくなりました。ただ、神様のしてくださった和解です。

『父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。』旧約聖書 詩篇103:13

父は、子どもを可愛いがる、本好きで、社交的な人だった。趣味はカメラとハーモニカ。小さい頃、父の軽快なハーモニカの曲を良く聞いた。

そんな父が私が小学4年に統合失調症(分裂病)になり、入退院を繰り返した。家に戻った頃には、薬のせいか、全く別人のようだった。会話らしい会話をした記憶はない。

父は生きていたが、私の中では、精神的に父不在だった。母が亡くなったとき、父は「母さんと同じ神様を信じる」とイエス様を信じた。

それから3年後、父が亡くなり、告別式が教会で行われた。私は教会に入ったとたん、天国にいる父母の「これから頑張れよ、頑張れよ。」という声が聞こえた。(聖書的にどうかわかないが私には聞こえた。)

私は、その瞬間、何か神様の温かいものに包まれた。会場の前列に座り、私はオイオイ泣いた。父が亡くなり悲しくてではなかった。「父は私を愛してくれた!私が小4までだったが、それまでの愛情で充分だったんだ。父さん、愛してくれてありがとう。」神様のあわれみの中、嬉しくて泣いた。

あれが父との和解だった。そして、もう一つ。それから10年位過ぎてから…。

私の思春期は父不在だった。私の境界線の一部は、そのことで崩れていた。

その崩れた柵(さく)からいつも、泥棒が入りこむように、サタンの入る格好の隙間になっていた。子どもの頃、父に求めて得られなかったものを、人から求めてしまう自分がいた。

その崩れから、圧倒的に悪いものが入って支配されそうな時があった。

神様に祈った。「神様、悪いものを私から退けてください。」

すると、小学6年のとき、父と私がこたつに入って、テレビを見ている場面がはっきりした映像で思い浮かんだ。

その小6の私は祈った。「この病の父を赦します。私は父から必要なものをこのとき、もらえませんでしたが、父は孤独と病で苦しかったのです。私を赦してください。神様を知りませんでしたが、このときも神様がいてくれたのですね。父に何もできなかった私を赦してください。」と祈りました。

その瞬間、崩れた柵が建て直され、回復し、支配しようとしていた悪しき者はいなくなり、聖霊に満たされていた。

父を赦し、私を赦してもらった、父との2度目の和解だった。

父は、幼少の頃、たくさんの愛情をくれた。そして、ずっと日記を書き続けた父の血を引き継いで、私は今文章を書くのが楽しく、ブログを書き続けている。

考えることの好きな性格を引き継ぎ、今、聖書を読みながら、神様を、その思いを思いめぐらしている。

私の与えられた個性の多くは父からもらった。父さん、ありがとう。神様、和解をありがとう。

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赤いカーネーションの鉢に母思う

私のブログではいつも不名誉な母ですが、今日は“ありがとう”を言いたいです。

『母に慰められるよう者のように、わたし(神)はあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。』旧約聖書 イザヤ書66:13

日曜日、母の日に、主人と息子で出先から、真っ赤なカーネーションの鉢を買ってきてくれた。

その綺麗な鉢を見ながら、私は天国に行った母を思い出す。

ブログでは、「価値観の違う母に育てられ、私は全自己否定の人間になった。」というところで、母が登場する。

精神の病があった父を抱えながら、女手一つで、姉と私を育ててくれた、たくましい母。なのに、いつも、ブログでは悪者扱いされて、申し訳ない。

母は周りから「美人」と言われる顔だちは綺麗な人だった。父は、そんな母を好きになったのだと思うけれど…そこが人間的には不幸だったかもしれない。

価値観の全く違う父と母は引かれあったのだろうが、父は孤独だった。死ぬほど孤独で、病を発症した。

母は、私から見たらどうしてそこまでと思うくらい、美を追及していた。単におしゃれだっただけかもしれないが、母の誇りとするところは、そこだったのかもしれない。

私は反動か、もともとか、しっかりおしゃれとかとは、縁遠い人間になってしまった。

母は、それでも、私たち娘に、母なりの深い愛情を注ぎ込んでくれた。

私は、自分が大切にしているもの…考え方とか生き方とか…一生懸命に母に理解してほしいと切望した。母だけには理解してほしいと。

母には、母なりの子どもの幸せがあり、私の話しはどこまでいっても母のそれとは重ならなかった。

けれど、母は母なりの愛情を深く深く私に注いでくれていた。それが私が求めるものと違っていただけで。私がほしかったのは、“理解される”ことだけだったが…。

赤いカーネーションの鉢を見ながら、母への感謝がこみあげる。

「かあさん、産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。私の求めたものでなかったけど、たくさんの母親の愛情ありがとう。子どものためにと、たくさんの苦労ありがとう。ずっと反抗期で、かあさんを泣かせたけど…ありがとう。天国に行く慰めをみせてくれてありがとう。」

好きになれなかった母を今は心から“ありがとう”と言えるようにしてくれた、イエス様、ありがとう。

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2009年5月 5日 (火)

男と女が造られた意味(創2:22)

神様が造られた男性と女性について、思ったことを書きます。

『こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。』旧約聖書 創世記2:22

私が“女であること”…私の中では長年受け入れることのできない“自己否定”の一つであった。

私は次女として生まれた。両親は男の子の誕生を切望していた。が、誕生したのが女の子と聞き、彼らはガックリとした。父は私を抱き上げることもせず、私の名前は近所の人がつけたと聞いた。

母は、幼い私に、「お前が男の子だったら…」と繰り返し、繰り返しため息混じりに言った。私は家族の中では“カー坊”と呼ばれ、ほとんど親戚や近所の人にもその呼び名は浸透していた。

ありったけ“女であるな”というメッセージをすりこまれた私は、自分が女であることを呪った。

世の中で、男性は敵対するものであったし、自分の女性らしさを否定して、ズボンしかはかなかった。

クリスチャンになってから、“女性であること”のますますの苦しみに出合った。

初めの教会は「女性は公の場所では祈らない」という教会だった。

私が就職した教会は女性のメッセンジャーを認めない教会だった。神学校を出ても、神様のことばを語れないというのは辛かった。私が女性であることの傷がさらに深くなったかのような時だった。

そんな私だったが、主人と出会ってその傷は癒された。主人のお母さんは、男女2人ずつの子どもたちをその個性のまま受け入れてくれる人で、主人も“男だから”という縛りもなく育った。

そして、私を“女のくせに”(これは私の母の口癖)と言うこともなく、ありのままを受け入れてくれた。

私は私のままで良い…女であることの否定的な思いは全くなくなった。

神様はアダムを造り、助け手として、女性エバを造られた。

夫婦としてのパートナーという部分はあるが、社会においても、男性のパートナーとして女性がいると思う。

男女平等と言われる背景に、長い日本の歴史の中で、女性がしいたげられてきた、認められない世の中があったのだと思う。

それぞれ神様に与えられた特徴が尊重され生きていくとき、神様が造られた調和のある社会が成り立つのではないか。

女性は男性に尊重され大切にされることで、その特性を喜ぶ。男性もまた、女性に認められ、尊重されることで、与えられている力を発揮する。

この世の中、女性と男性しかおらず、自分にとっては未知なる異性、時には理解しがたい異性…神様が造られた半分の性を尊重することを神様は宿題として出されておられるのかもしれない。

###

神様、あなたは男性と女性を造られました。

その違いは驚くほどなのかもしれません。けれども、あなたは、私たちは半分しか知らないことを教えてくれているのかもしれません。

私が神にならず、未知なる人たちがいるのを謙虚に受け止め、尊重していけますようにしてください。

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2009年4月17日 (金)

“十戒”の恵み・2(良好な人間関係への道)

第5の戒めからの分かち合いです。人に関する戒めの初めにありますが、私はこの戒めのことばに出会って、“十戒”の奥深さを教えられました。

『あなたの父と母を敬(うやま)え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢(よわい)が長くなるためである。』旧約聖書 出エジプト20:12

私は、精神病になり関わりがなくなった父と、価値観の違う母に育てられ、20歳の時には、全自己否定の人間になっていた。

神様に出会って、少しずつ癒されてはいったが、「神様、父母を敬う…これだけは無理です。勘弁してください。」という感じだった。

が、神様の深いあわれみの中、父母を赦し手放すことができた。ただ神様がそうさせてくれた。そして、新しい天のお父さんに養われる喜びに至った。

その後、何年もたってからこの“あなたの父母を敬え”という聖書のことばに出会った。

そして、そのとき、「これは単なる命令のことばではない。解放に至るためのことばだ。」と感動した。

私たちは、未熟児で生まれ、何もできないところから、まわりの人に育ててもらう。成人になるまで20年もかかる。

人間形成にあたって、そのまわりの育ててくれた人の影響が大きい。その影響を与える大半は父母である。

まわりの人、特に両親が「あなたはそのままでいいのよ」と肯定的に育てると、子どもの中に肯定感が育つ。反対に、「あなたがあなたであるな」という何らかのマイナスメッセージを受け(ことばだけでなく、育児放棄や虐待もそうである。)育つと、その心に否定的なものが育つ。

そして、残念なことに、その基本の人間形成が、後の人間関係に密接に関係してくる。

『あなたの父母を敬え』それは単なるきまりとしてでなく、関係を築くすべての土台となるところになる。

私のように、両親を敬うのは不可能な人はたくさんいる。しかし、ここに、イエス様の十字架が登場するのだ。

赦せない人を赦す…これは大変しんどいことで、自分自身では到底できない。赦したくない心もある。

しかし、親のためでなく、私のこれからの人間関係良好のため、しいては神様とさらに親密になるため、私の将来、未来のために…と思えたら、祈ってみてあまりあることと思う。

イエス様は私たちの傷を癒すため、十字架にかかられた。そして、私たちにいやしと平安を約束してくれている。

私たちがこの聖書のことばを使って祈るかどうか…解放への選択である。

♯♯♯

神様、もしかつての私のように、父母を敬うことが難しいと感じている人がいるなら、神様が助けてください。

神様はその捕らわれに苦しむ我が子をご存じです。

私たちが、自分の力でできることは何もありませんが、イエス様の十字架の力と愛でいやし、おおい、手放し、自由にしてください。心からお願いします。

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2009年4月15日 (水)

便利な世の中

本の注文一つとっても、便利になったと思います。が、変わらない大切なこともあることを思います。

『私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。

人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。

人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。

知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。』旧約聖書 伝道者の書8:16.17

中学2年の息子が単行本に夢中になっている。「グイン・サーガ」というシリーズのSFの本らしい。

主人がアマゾン(パソコンから)に注文し、郵送され、気がつくとポストに本が入っている。

全国各地の在庫のある古本屋から来る。北海道とか、長野とか、栃木とか、様々な住所から来る。家にいながらにして、注文した本が的確に届くシステムに驚く。(皆さんはきっと普通に使っているかもしれませんが…。)

50年も生きると、私の昔も「あの頃は…」と語り継がれるような過去になる。幼い頃は電話が無かった。が、今や一人一台携帯の時代。

かく言う私も、パソコンこそ使いこなせないが、電動自転車に食器洗い器など、便利なものを使わせてもらっている。

ぐうたら主婦としては、便利な電化製品のある時代に生まれて良かったなぁなどと思う。

が、社会全体を見ると、若者にもけだるさが漂う希望の少ない世の中である。

どんなに便利で物が豊かになっても人の本質、本当に求めるものは変わらないのだと思う。

なぜなら神様が人を造られたのだから。人は関係を築くことがなくては生きられない。神様と私の関係、人と人との関係…その回復を教えてくれるのは聖書。

どんな移り変わる世の中であっても、流されそうになっても、神様のことばほど、人を生かす知恵はない。聖書を読むことができ、そこに生活の基盤をおける幸いを思う。

我が家には、息子のシリーズの単行本があと120冊余り送られてくる予定ということであるが…。

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2009年4月 7日 (火)

良いものを受けて与える

与える者でありたいと思いますが、受けること無しに与えるのは不可能です。

『「受けるよりも与えるほうが幸いである。」』新約聖書 使徒の働き20:35

主人が庭にたくさんの花を植えてくれた。が、怠惰な私は水やりを怠って枯らしてしまわないようにと、プレッシャーがかかる。

私たちもご飯を食べないと元気が出ないし、霊的に神様から良いものをもらわないと、神様の安心の中に留まれない。

この聖書のことばを思うとき、いつも思い出すのが、ガリラヤ湖と死海の例えである。

ガリラヤ湖は死海に比べて小さい湖だが、絶(た)えずヨルダン川から水を受け、ヨルダン川へと流していく。景観も美しく、淡水である湖にはたくさんの魚がいる。ペテロたちもここで漁をしていた。

一方、ガリラヤ湖から北にあり、ヨルダン川でつながっている死海は海の6倍の塩分含有量がある。それはヨルダン川にあるわずかな塩分が死海に入ると流れ出る川がないため、水が蒸発して塩分が濃縮されるとある。もちろん、生き物の生存は難しい。

『受けるより与えるほうが幸い』とはイエス様が言われたことばとあるが、まず、良いお方から受けていく中で、良いものを与えていける者となるといつも思う。

『すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は、上(神)から来るのであって、光を造られた父(神)から下るのです。』(ヤコブの手紙1:17)

私たちは小さなとるに足りないものだけれども、神様は私たちに良いものを与え続けたいと願っている。

私たちが受け続けて、受けたものが溢れて流れだしたとき、周りの人たちにもまた、神様の喜び、楽しみ、慰め…神様の良いものが与えられ共に喜ぶ。

私たちが何も良いものを受けなければ、良い行いをしても限界がある。

私たちが、良いものを受けて、流さなければ、死海の塩のように、神様の良いものは私たちのうちで干からびてしまう。

塩分の濃い湖は、神様から受けて喜ぶのを忘れた時の私である。自分がうまくやれているか、人に気にいられているか神様より自分に注目していると、そこには、不安、心配、保身、独善がたちまち溢れてしまう。

そんな風になりやすい、塩気がたまりやすい私だが、神様から良いものを受け続け、それを流すことに専念すると、ただ神様が流れてくれている喜びに満たされる。

神様、私には何の良いものもないので、受けることなしに与えるのは不可能です。

神様がたくさんの良いものを無尽蔵に与えてくださることをありがとうございます。

私たちはただ受けたものをそのまま流していくだけで良いのでありがとうございます。

受けたものを与えれば与えるほどに、どれだけたくさん受けているか教えられます。

神様、私たちにヨルダン川の水の如く、良いものを注いで祝福してください。

ガリラヤ湖の如く、受けて流すものとしてください。

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2009年4月 5日 (日)

私を取り囲む喜び

神様がくださった私たち一人一人に与えられている感性、喜びについて書きました。

『キリストの愛が私たちを取り囲んでいる』新約聖書 第2コリント5:14

先週、近所の桜が綺麗なところで、地域の方たちとお母さんたち、子どもたちで花見をした。いつも通っている場所だが、その中に入ることはあまりない。

12畳のゴザをしいて、天井高くには桜のアーチがあり、特別な空間である。

Img_2269sすると、小学6年の子が、寝っころがって、「あぁ、気持ちいいなぁ。桜きれいだなぁ。」とその場所を堪能している。それまで、私は、やれ紙コップだの、料理だのと下ばかり見ていたが、彼の一言に、動かしていた手を休め、上を見た。「本当にいい空間だね。」その子のおかげで目の前のきれいな景色を味わえた。

Img_2218sお母さんに「良い感性をもったお子さんね。」と話すと、「男の子4人いるけど、この子だけが私と感じ方が一緒で、また、理解して動いてくれるの。頼りにしてるの。」と言った。お母さんも働きものだが、この長男もそうらしい。

前のハーベストタイムに目が見えないクリスチャンの女性の方が出ていた。

彼女は口笛で、上手に野鳥の鳴き声を真似し、鳥たちと交流できるらしい。「コツは、下手に鳴くことなんです。すると、そうじゃないよって鳴き返してくるんですよ。」と楽しそうに話す。

彼女が、山の中で、上からも横からも、山の麓(ふもと)からも鳥の鳴き声が聞こえたときがあったらしい。そのとき、自分が宙に浮かんでいるような感覚になったと言っていた。彼女は目は見えないが、誰も知らない神様の作られた鳥たちの世界を味わえるのである。

私の主人は最近、若い頃の趣味が復活している。基本、私から見たら、多趣味である。詩を書くこと、花を育てること、将棋(子どものおかげで復活、一から勉強し直している。)、音楽が好きなことは礼拝賛美を準備することと賛美リードの中で生かされている。

Img_2251s そして、私のブログにつけてくれるため、写真の趣味も復活した。(写真画面をクィックしてくれれば、大きく見れます)

そして、子育てが一番の趣味である主人は、目下、息子の将棋マネージャーを買って出ている。(子どもは自立し始めているので、だんだん頼られるというより、親がついて歩く感じだが。)

私といえば、無趣味で、ただ“人との交流”にひたすら生きがいと喜びを見い出す。私がブログが楽しいのは、訪問してくださる方と、こういう形での交流をしているからだと思う。

キリストは私たちを赦し、癒し、私たちに与えてくれる喜びをもって、そこにキリストの愛を表し、取り囲んでくれているのかもしれない。

神様、私たち一人一人に与えられた、違う感性、喜びをありがとうございます。そこにも、キリストが赦し愛してくださっている愛が溢れていることをありがとうございます。

私たちが、それぞれ与えられている中に、キリストの取り囲んでいる愛を見い出しますように祝福してください。

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2009年3月18日 (水)

大学中退と母の涙

30年前、大学を中退したことを思い出すと、本当に親不幸者だったなぁと思います。

『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢(よわい)が長くなるためである。』旧約聖書 出エジプト記20:12

昨日のブログに、高校中退の話しについて書いた。改めて、自分の大学中退のときのことを思った。

新聞で4年の私立大学の合格欄に私の名前を見つけた母は、とても喜んでいた。

私の家はそんなにお金もなかったと思うが、入学金や学費を工面してくれ、大変な中月々の仕送りをしてくれた。

まわりの人には、娘は大学に通ってることを自慢気に話しをしていたのだと思う。

私の大学生活は、だんだん講義に出なくなり、サークルとバイトに明け暮れていた。母の沢山の苦労と期待は今のようにはわからなかった。

もう学年が上がるたび、サボりのツケがまわり、単位数が足りなくなっていった。勉強のやる気がどんどんなくなり、空回りしていた。

3年の終わりに大学辞めようと思ったときは、母にも友人にも相談せずに決めた。

東京に出て、もう一度、自分がやりたいことを探すという名目だったが、まわりは見えてなかった。

母には退学届けを勝手に出してから、報告した。泣かれた。

母が亡くなる前、一番の親不幸が大学辞めたことと、ハガキで謝った。

母が亡くなってから、親戚から、私が大学卒業したことになっていることを聞いた。母は、私の大学を喜んでいたし、みんなに話していたので、辞めたとは話せなかったのかもしれない。それほどに、母を失望させたのかもしれない。

私は学歴が問われるような職種にはつかなかったし、今となっては、悔やまれるほどのことではなかった。

ただ、私も母親になってみて、私の母の苦労を私がいかに無にしてしまったか…とても深く思わされる。

あの頃から30年もたつが、たまに、自分が単位を取れず焦っている夢を見る。

あのときの私には、大学を続けていく力がなかったし、仕方なかったし、そのあと神様に出会って今に至っているので、感謝している。

父も病気で、母一人で工面してくれた苦労と期待に応えられなかった、理解できなかったことだけ、本当に悪かったと思う。

そんな親不幸の何ものでもない私だったが、母が天国に召されたとき、母に対する責めがなかった。

母を悲しませた親不幸な娘を、その罪を、イエス様が十字架で赦してくれたことを体験した。

母さん、ありがとう。神様、ありがとう。イエス様、ありがとう。

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2009年3月 9日 (月)

私にとって苦しみとは…

私にとっての過去の苦しみの意味は、今はこの聖書のことばにつきます。

『もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。』新約聖書 第2コリント1:6

苦しい中にあると、どうして自分だけがこんなに苦しい思いをしなくてはならないかと思う。

父の病気、母との確執、自己嫌悪、孤独、虚無感、挫折、迷い、クリスチャンになってからの教会での痛み、神様の役にたっていない感、行きずまり、失敗…私は33歳までは泣いてる日、うめいている日のほうが多かった。

ブログを書くようになって、自分の悲しい経験や苦しい経験が誰かの慰めになっていることを強く思わされるようになった。

誰かが、「私も同じ苦しみがある」と慰められたらと思うと、過去の苦しみ体験を探すようになった。

リック・ウォレン師の「人生を導く5つの目的」で、「神様に仕えるために自分の形(SHAPE)を理解する」という箇所がある。S(スペシャルギフト=霊的賜物)・H(ハート=心)・A(アビリーズ=能力)・P(パーソナリティー=個性)・E(エクペリエンス=経験)…英語の読み方はわからないので、間違っているかも…の5つである。

その中で、経験には、家庭・教育・仕事・霊的・ミニストリー・苦痛の経験が学びとなり神様に仕えるのに生きるとある。

「この最後のカテゴリーである苦痛の経験こそ、神があなたをミニストリー(奉仕)へと準備させるために最もよく用いられる経験です。神は決して痛みを無駄にはなさいません。事実、あなたが最も重要な働きは、あなたが最も苦しんだ経験から生まれてくると言っても過言ではありません。」とその本に書いてある。

今から20年前、私の心の癒しが始まりだした頃、私は自分を観察しようと思った。自分が悲しくて泣いてるときも、もう一人の自分は何を求め、どんな風にされたら慰められるのか、自分で確認しようと…。その観察はずっとは続かなかったようにも思うが、今、私の傷や痛みは一つも無駄になっていないと思う。

神様は、私の苦しみも無駄にされず、それを生かして人に慰めや救いも与えてくださる方だ。

もし、苦しみの中にあるなら、すべての苦しみに慰めを与えてくださる神様の慰めがありますように。

そして、自分にだけ計画されていることのゆえに、その苦しみが誰かの慰めと救いになりますように祈ります。

『神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。』第2コリント1:4

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2009年3月 8日 (日)

教会への苦痛

ヨセフのこの聖書のことばは、私への約束のことばで、長い月日をかけてその通りになりました。イザヤ58:10です。

『彼(ヨセフ)のことばがそのとおりになる時まで、主(神)のことばは彼をためした。

王は人をやってヨセフを解放し、国々の民の支配者が、彼を自由にした。』旧約聖書 詩篇105:19.20

私は幾つかの事情も重なり、両親から「そのままで良い」というメッセージをもらわずに育った。父の病気発症と、母との価値観の違いによった。そして、20歳頃には全自己否定の人間になっていた。

母や父からの傷の影響は長く尾をひいたが、父、母の死を通して両親は赦せた。手放した。赦せたのでなく、神様の不思議の中で父、母を受け入れられていた。今から20年近く前である。

私の精神的な苦痛との戦いはその後も続いた。それは教会や牧師のメッセージの中で、私はこのままでよいと感じられない苦痛だった。

私は神様が恵みに満ちたあわれみ深い方であるのは、たぶん、神様に出会った日から感じていた。十字架も聖書も理屈も神学も知らなかったが、体験した。そして、ことあるごとに恵みを体験した。

その体験の神様と教会で語られる神様は、私にとって全く違っていた。

両親が赦せて、手放したように、教会を赦し手放したときに、私の中で恵みの体験と恵みの聖書のことばが一つとなり始めた。

今、思うに、教会や牧師のメッセージが悪かったのでなく、私は今の教会では養われにくい体質の子どもだったのだと思う。

私は自分の両親に影響され傷を受け、様々な癒しを必要としたが、同じ環境で両親に育てられた姉は私のような顕著な傷はなかった。姉には両親を赦すなんて発想はなく、父、母を大切にし、天国に見送った。

同じイエス様の十字架に赦された神様の子どももまた、いろんな体質の子どもがいて、今の教会では育ちにくい子どももいるのだと思う。

なぜ、私は教会にかろうじて居るのか?…教会の外にいるクリスチャンの代弁者にちょっとはなれるからかもしれないと今日思った。

誰もが楽しく、苦痛を感じてない環境で、同じ環境なのに、一人苦痛を感じたら、感じた自分がおかしい、変、間違いと思えてしまう。自分も周りも…。

そのような人のために言わせてもらうなら、神様は「苦痛を感じてもかまわないよ。みんな、感性も違うし、わたしはあなたの気持ちをよく知ってるよ。そのままでいいんだよ。」と言っている。今の私が神様からそう言われている。

そのままで受け入れてくれる神様の中に入る方法は、人や環境や神様以外に期待しているものを手放すことしかないと思う。

神様、私たちは握っているものが何かわからない時があります。また、自分の力では手放すことはできません。神様、あなたが、私を愛し、安心の中に入れたいということが信じられますように。あなたの安心の中に、手放し、神様の自由の中にいれてください。神様の与えてくださる自由は誰にもおびやかされないからです。

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2009年2月14日 (土)

思春期

息子の笑顔を見ながら、私の思春期の時代を思い出しました。

『しかし、わたし(イエス)が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』新約聖書 ヨハネの福音書4:14

私が小学4年の時、父が精神病で入院した。次の年、引っ越しになった。今思うと左遷されたのだと思う。さらに小さい田舎街に移った。その頃、ゴミ収集車とか来ていたのかよくわからないが、庭で母はドラム缶でゴミを良く燃やしていた。

ある日、燃やしきれなくなったのか、私と姉もかり出され、真夜中に近くの川に黒いビニールに入ったゴミ袋を捨てにいったのを覚えている。

母はやるせない毎日の苦しみも悲しみも一緒に捨ててしまいたかったに違いない。

母が笑わず、家庭は暗かったが、外向きの私は、学校が終わると毎日誰かと外で遊んでいた。

そんな私に陰りが表れたのは中学の思春期の頃だった。母と価値観が合わずに、よく喧嘩した。口で言い負かすのは私が強いので言い負かしては、悲しくなってよく一人泣いていた。私の母への激しい反抗期は、大人になってもずっと続いた。気がつけば、私は100%自己嫌悪のどうしようもない状態になっていた。

今、中学一年の息子は良く笑う。小さいときは、学校で何があったか聞いても「わからない」と、学校の話しはほとんどしなかった。本当に忘れてしまっていたように思う。

あどけなさが残る顔にニキビがあって、ちょっぴり大人になってきてる息子とは、最近遅ればせながら、あれやこれや他愛ない話しをよくする。息子は学校での失敗や怒られた話しも楽しそうにする。

私とは違う中学時代を過ごす我が子の笑顔にとても大きな幸せを感じる。

神様が私を癒しつつ、子育てをさせてくださる憐れみを思う。息子の笑顔が何にもかけがえなく思えるのには、神様の私への奇跡がある。

空っぽな私に神様の愛を注いで満たしてくださった。それは砂漠の中にできた泉のごとく、渇(か)れることなく、湧き出てくる水のようだ。決して立派な母親でもなく、素晴らしい子育てをしている訳でもないが、子どもを楽しみ喜べるそんな風に神様は癒してくださった。

そして、泣いたり、笑ったりして神様に話しかける私を神様自身もまた、いとおしい眼差しで聞いてくださっている。

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2009年2月 9日 (月)

死だけで終わらない約束

母の死のときに約束してくれたことを、神様はそのとおりにしてくれました。

『この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。』新約聖書 ヨハネの福音書11:4

私の母は53歳で天に召された。私も限りなく、その歳に近づいている。

20年余り前になる。母が末期ガンだということを姉から聞いた。私は親を泣かせた親不幸者だったので、「今、母に死なれては困る。」ということが一番初めに思った。

クリスチャンの姉と祈った。そのとき、『この病気は死で終わるだけのものではなく…』の神様からの約束を受け取った。それからは、この聖書のことばを握り、このことばがその通りになるようにと祈った。

母は酸素マスクの中、亡くなる20日前にイエス様を信じた。「意識がもうろうとしている中、母は、本当にイエス様を信じ、受け入れたのだろうか」と姉と話しをした。すると、次の日、母の意識がはっきりし、「イエス様が、モンペみたいなのをはいて、夢に出たっけよ。『そっちには人は少ないがこっちにはたくさんいる。』って言っていた。」と母が言った。祈りと賛美の中穏やかに母は天国に移された。

統合失調症の父は「オレも母さんのところへ行く。」と言った。洗礼を受け、礼拝に出る生活をした。母の死から3年後、病気で天国に召された。最後の言葉は牧師の「癒されるように」という祈りに「アーメン」と大きく祈った言葉だった。

それらを見送った祖母が、姉と同居することになった。「姉ちゃん(私の姉のこと)に面倒をみてもらうんだから、姉ちゃんの信じる神様を信じる。」とイエス様を信じた。ルツのような信仰を持った。じいちゃんの位牌も焼き払った。長年違う宗教の習慣にあったので、何が神様にかなっているかいなかは混同していた。が、姉ちゃんの信じる神様を自分の神様とした。

母の死に対して約束されたことが、その通りになった。

『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたし(イエス)は言ったではありませんか。』ヨハネ11:40

私たちはそこで、信じられないという心の石を取りのけるだけである。そして、神様がしてくれる栄光をただ見させてもらうだけである。

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2009年2月 4日 (水)

ブログを読んでくださる方へ

感謝と祈りを書きました(*^_^*)∨

『神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。』旧約聖書 イザヤ書50:4

ブログを見に来てくださることを感謝します。支えられています。

もともと私は何か人の役にたつならと、がぜん力が湧いてくるタイプなので、訪問してくださる方がいると、それだけで良い聖書のことばを一緒に分かち合いたいと、祈りがわいてくる訳です。

このイザヤ50:4の聖書のことばは、かなり昔から祈っていたものです。「神様、どうぞ、私もそのようになるものにしてください。」と。

10年位前、ある教会の公の預言の中で、「もし、あなたがすべてに感謝するなら、私はあなたの耳を開き、弟子の舌を与えよう。」と言われたのをこの夜に思い出しました。

私の祈っている聖書のことばがあったので、ドキッとしたので、覚えています。「そうかぁ。ポイントはすべてに感謝するならかぁ。」と思いました。

朝はディボーションもままならず、主人に起こされ、弁当を作り、家族がみんな出かけるとまた眠くなる…そんなものだけれど、神様のあわれみを感じます。

最近「ブログを書くようになって、聖書を良く読むようになったね。」と主人に言われました。そうです!前は、苦しいことがあるときだけ、聖書を食い入るように読む…むらのある者でした。今はブログ書き終わったときから、次のを考えて信仰書や聖書を読んでいます。だから、私自身がとても祝福されています。

書いた文も、アップされた画面でも何度も読みます。神様をほめたたえ、私の霊も喜んで、訪問する方にも少しでも役だってもらってると信じられて。

神様の文章を書くのがすごく楽しくてたまりません。

そして、訪問して下さってる方々の上に神様の祝福があるよう、感謝をもって祈っています。

もし覚えてくださる方がいたら、私の耳がいつも開かれて神様の声を聞けるようお祈りくださいm(_ _)m

神様の素晴らしいことばが、私たち一人一人の糧となりますよう、心から祈ります。

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2009年1月21日 (水)

変わらない安心

どんな状況でも与えられる安心について、聖書は約束しています。

『わたし(イエス)は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。』新約聖書 ヨハネの福音書14:27

息子が2才頃だったと思う。近くにある教会に用事があり、昼寝している子どもを置いて出かけた。30分だったか、1時間だったか覚えていないが、家に帰ってくると、我が子は「ママがいないよ―!」とばかりに、座り込んで大泣きしていた。かわいそうなことをしてしまったことを覚えている。

日中は母である私と二人っきりの息子は、もれなくママっこで、何をするのも一緒だった。かなりたってから、お父さんと手をつないで、初めて散歩したときは成長した息子にジンときて、感動したものだった。(主人でもダメなときがあったので…)

そんな息子が、10年位で、私より大きくなり、やたら、母親をバカにし、「ママ、夜は出かけないの?」と一人になりたいオーラを出す。

子どもの成長の早さを不思議に思う。

子どもが幼かったあの頃は、お母さんは子どものすべてで、お母さんがいてくれるだけで安心だった。

私もまた、小さいときは、親に守られ、安心の中にいたのだと思う。

ところが、大人になると、責任が出てくるし、自分のことは自分で解決していかないといけなくなる。様々な問題を前にして、不安も出てくる。

神様は天のお父さんとして、わたしに頼りなさいと言ってくれる。自分で解決できないことも、祈りの中で、まかせなさいと言ってくれる。

自分のことは神頼みはしないで、自分でしっかりやりたいと言う人もいるかもしれない。

が、恐れや不安はいろんな行動にブレーキをかける。恐れや不安が自分にも、まわりの人にも良いものはもたらさない。

私は限界だらけで、弱く足りない人間だけど、いつも守り、支え、教え、一緒にいてくださる神様によって、一歩を安心して踏み出すことができる。

安心もまた、環境によらず、自分によらず、変わることのない神様、そして神様のことば(聖書)にあるなら、揺らぐことがなく、奪われることがない。

神様、恐れや不安のあるところに、変わらない神様の安心が与えられますように。

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2009年1月10日 (土)

ダメージを受けた過去に訣別する方法

ダメージを受けた過去からの訣別、そして新しい世界を神様は約束してくれています。

『しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。…割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。』新約聖書 ガラテヤ人への手紙6:14.15

小さい時の状況は、子どもはあまり客観的に見れないので、家庭の中での欠乏があってもあまり気がつかない。そして、大人になってから、今の自分の傷はあのことから来てるとしみじみ思ったりする。

私は価値観の違う母からのダメージが大きいと思っていた。が、根底に父、母それぞれからの影響による傷があることを3年前はっきり知った。(たくさんの傷があったが、一つずつ癒されて、残ったのが2つだった。)

母からの影響は“権威者を裁く”、父からの影響は“ある一部の人に取り入ろうとする”ことだった。

『私はねたむ神だ。』と語られ、癒された(2日前のブログに書いた)が、それ以前に、境界線が崩れていて、そこから人に取り入ろうとしている自分がいつも誰かに支配されているのを感じていた。

ある時、聖霊様によってだと思うが、小学6年の私が居間で父とテレビを見ている場面がはっきり映像として浮かんだ。

そのときの私は父を受け入れていなかった。かつて本好きで、子煩悩な私の尊敬する父は、精神の病で別人になっていた。

そのときの私は、聖書にある赦しの神様を知らなかった。が、そのときの自分になって祈った。

「父を主の十字架のゆえに赦します。父は病気になり、別人になってしまいましたが、父は神様に祈ることも出来ず、誰にも理解されず、孤独に苦しみました。

また、私も主の十字架のゆえに、赦してください。子どもで父の苦しみがわからなかったし、神様がいてくれたのに祈らなかったことを赦してください。」と祈った。

次の瞬間、神様の霊に満たされた。

そのような中で、人ではなく良いものをくださる神様から良いものをいただこうとなっていった。

父から得られなかったものを、人からもらおうと思ってももらえない。私は人からの支配から自由になりつつあった。

最近、このガラテヤ書のことばの意味を教えられた。割礼とは、神様がいない時代。規則や人間の努力の行いの世界。私たちはそこを脱出して、神様に応答して生きていく世界に移される。

神様と親しい関係を持つ新しい世界には、自分や人の弱さに縛られない…ただ神様からくる愛情を感謝して受けていく世界があるのだ。

神様、私たちは過去のさまざまなことに縛られやすい者です。が、イエス様が十字架にかかり、私も過去に死ぬことが出来て、ありがとうございます。今、私たちは過去の不幸や欠乏や人間の失敗から切り離され、神様との関係の中で愛されて生きていけることを感謝します。この真理の恵みによって、多くの人が過去から切り離され、新しい世界に生きられますように。

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2009年1月 9日 (金)

廃墟から宮殿に…

神様がすべての人の心を廃墟から宮殿にしたいと切に願っているのを思います。

『あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎(いしずえ)を築き直し、「破(やぶ)れを繕(つくろ)う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。』旧約聖書 イザヤ書58:12

今日、寝ているとき夢を見た。

そこには20年前に天に召された母、そして姉と私がいた。大きな賃貸の家に引っ越しをしてくる。「良かったね。」と喜ぶのもつかの間、雨が降り、あちこちから雨漏りがする。母が急いで大家に言いに行くが、相手にしてもらえない。私がその横で、「小さい部屋でいいから、引っ越ししようよ。」と話しをしている。

目が覚めて、雨は降っていたが、雨漏りしない家にいることに安心した。

かつては私の心の城壁もあちこち崩れ、サタンは同じところから攻めて来て、かき乱された。私の心はまさに廃墟だった。

そんなとき、神様はこのイザヤ58章の約束のことばをくれた。初めは意味がわからなかったが、私が心癒され、癒す手伝いをするものになる意味とわかってきた。

「悪習慣を断ち切る法」(いのちのことば社、アーウィン・ラッツァー著)という本がある。その中の一部の内容を簡単に紹介する。

「なぜ人は誘惑されるのか。執ような誘惑を避けたことがなければ、神を愛しているとは言えない。神の前に何を選ぶか忠実さが試されている。誘惑や困難は私たちが、この世よりも神を選ぶ機会なのである。

また、ゲーテのことばに、「才能は孤独の中に形作られるが、人格は人生の嵐の中で形成される」というのがある。神は単に誘惑や罪からの勝利よりも、はるかにすばらしいことをしようとしている。罪を除いた後に、肯定的な資質という実り多い人生を与える。

誘惑は神の拡大鏡である。誘惑は不純なものを表面に浮かび上がらせる。そこで初めて神が不純物を吸い上げて取り去る働きを開始なさる。

神は根底にある動機を突いてこられる。心を建て直し、新しい価値観を与えてくださる。私たちの最も重要な部分は、神を除いては誰にも見えない部分である。神はそこから御業を始めようと望まれる。」

私たちはたくさんの弱さを持ち、たくさんの誘惑を受け、たくさんの罪を犯す。しかし、神様は私たちが失望せずに神様の約束の聖書のことばを適応し、本気になってそれらからの脱出を願うものに、それを成してくださる。それだけでなく、私たちを廃墟から神様の霊が住む宮殿にしてくださる。まさに神業である。

『あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではない…自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」第1コリント6:19.20

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2009年1月 4日 (日)

特別な身分

『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣(の)べ伝えるためなのです。』新約聖書 第1ペテロ人への手紙2:9

昨日、一人暮らしする姉と電話で話しをした。「教会には4年位通っていたけど、あのときまでは、神様から語られることはなかった。田舎に帰り、結婚はどうなのか祈っていたとき、『わたし(神様)があなたの夫になる(イザヤ54:5)』とはっきり言われ、嬉しかった。」と話しをしていた。そして、その約束どおり、神様が生活のあらゆる面の相談相手であり、助け主であり、姉が仕えるご主人となっている。

ハ・ヨンジョ師の「幸せな朝」の本に次のようなたとえが書いてある。

「20万円の月給をもらっている会社員が、銀行で残高を照会をした。驚いたことに、通帳に10億円も入っていた。…到底信じられなかったが、時間がたつにつれ、笑いをこらえられないくらい嬉しかった。イエス・キリストを信じ、救われた喜びはこのようです。神様の子どもとなり、天国(神様が持っているもの)を所有することになったのですから。」

私たちは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民である。

ナルニア国物語に、貧しい子どもが、実は王子だったというような話しがあったが、私たちは神の国の財産を相続している神の子どもである。たくさんの財産、知恵、望み、力を与えられている。(エペソ1:17~19)

神様を与えられ、キリストの愛を与えられただけで素晴らしいが、たくさんのものを与えられているのだから、なおありがたい。

姉は「信仰の友をくださいと祈ったときは『わたし(神様)があなたの友だ。』と言われた。最近『もうあなたをしもべと呼ばない。しもべは主人のすることを知らないから。父(神様)から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからあなたがたは、わたし(イエス)の友です。』(ヨハネ15:15)とまた教えられた。」と喜んでいた。

神様、あなたが与えてくださってるものの大きさ、多さを感謝します。私たちが、神の国のものを相続し、いつも神様とつながっていること、関われていることを感謝します。あなたを信頼し、あなたが与えてくださっているものに目をとめていけますように。そして、私たちを通して、神様が素晴らしい方であることが表されますように。

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2009年1月 3日 (土)

新年、受容体験!

買い物をして、2つの体験しました。

『神に選ばれた人々を訴えるのは誰ですか。神が義と認めてくださるのです。』新約聖書 ローマ人への手紙8:33

昨日は、主人と買い物に出かけた。主人は新しい会社に、初出社に向けて、スーツを買った。なんだか、成長を続けているみたいで、前のスーツが小さいらしい。

大手スーツ専門店に行く。ドアを入ると、ベテラン店員が声をかけてくれた。

「サイズを計りますので、こちら、着てみてください。」ピッタリだった!結局、流れるように、色々着せてくれ、初めの色違いを買った。

試着でも、その店員の方はムダな動きが一つもなかった。「もう一つも、メーカーが違うので、着てみてください。」すると、ちょっと、上着が窮屈だった。すると「では、ワンサイズ上のこちらをどうぞ。」となんと、すでに手に持っていて差し出す。

短い時間で、ワイシャツ、ネクタイまでスムーズに短時間で決めて、買うことができた。

決して、恩きせがましくなく、たくさんの情報を準備し、提供してくれる。その提供されたものも、瞬時に選び抜いたものだから、こちらも迷わず決めていける。

接客されるのがあまり好きでない主人が「さすがだな。カリスマプロ店員っていうのはああいう人をいうのかな。」と感心。気持ちよく買い物をした。

私たちクリスチャンも聖書という、すべての人のすべての問題に解決を与える情報を持っている。「では、こちらの聖書のことばはどうでしょう。」と的確に差し出せるものでありたいと、カリスマ店員に感動しつつ、思った。

そのあとの他の店の買い物では、私は大ボケをした。子どものトレーナーを買って、車に入れたのに、忘れてきたと勘違いし、お店の人たちに尋ねてまわり、ムダな疲れる30分を主人と過ごす。その店の人たちは、対応悪い人たちが多く、主人も「さっきとは大違いだ!」と不満げ。

車に戻ったらその捜していたものがあり、「ごめん。ボケの兆候だよね。」と私が言うと、主人は「ある。ある。よくあることだよ。」と言う。

一年前に、昼寝から起きて、ボケて、バタバタして騒いだときも「ある。ある。そういうこと、よくある。」と慰めてくれた。正月初めの受容体験をしてしまった。

「パパが違うもの、買うからだよ。忘れたのは…。」と口にこそ出さなかったが、なんか自分が買ったものを無くしてしまったときはチラリと思った。

自分に責めがあると、誰かを責めて自分を守る古い習慣が出た。大事なのは、ミスしても、ボケても、私は神様から赦され、受け入れられているということ。そこにあれば、人を責めて、自分を守る必要はない。

神様、イエス様の十字架のゆえに、赦され受け入れられていることを感謝します。

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2008年12月20日 (土)

カルト化教会からの脱出

姉はバラムの記事から、カルト化した教会を出ました。

『しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないロバが、人間の声でものを言い、この預言者の気違いざたをはばんだのです。』新約聖書 第2ペテロの手紙2:16

「姉ちゃん、姉ちゃんが属している教会の悪い噂を聞くよ。もしかして、教会がカルト化してるかもよ。出たほうがいいかもよ。」「ふうん、わかった。祈って考える。」

4年前、私の友人がその教会の中心地を出てからだった。その教会のカルト化がかなり進んでいるのをはっきり私も知った。姉もその教会の地方に属していた。と言っても、教会員は一人。姉は県庁のある大きな街に毎日曜日、車で一時間出かけ、借りた場所にキーボードを運んで、一人で4年間テープ礼拝をし続けた。たまに近隣の牧師がサポートする。

姉が一人で4年間も礼拝を守る…これは普通の牧師であっても難しいようなことと思う…だから、常々凄いなぁと思ってはいた。

その後、姉は結核になり、隔離病棟に移された。そのとき、姉は電話で私に話した。

「旧約聖書にロバが口をきく記事があったじゃない。あの箇所どこだっけ?神様からあそこから教えられてさぁ。私、病気にもなったし、神様がそこに行くなって言ってる感じだし、近隣から来た牧師にも手紙書いて、もう属するのを辞めるよ。」と言った。そして、丁寧にその牧師にお礼の手紙を書いて、そこから出た。

そのあと、様々な情報で、その教会がカルトだったことを姉もはっきり知り、本、テープなど、関係していたものをすべて捨てた。

人との交流が密でなかったので、あまり後遺症はなかった。が、信じていた人たちが、神様でない、人間の権威に従っていたのはきっと、ショックだったに違いない。

姉はその前は自分の住む町の教会に、田舎に帰ってからずっと属し、その教会が牧師婦人の預言からカルト化していく経験をした。

そして、今回もまた…。

姉の中でカルトという言葉は知らなかった。「何、それ…オカルト?」と聞いてきたくらいだし。自分の町の教会の牧師婦人からは信仰の基礎を訓練されたと感謝していた。

さすが、神様ではく人間のコントロールが入るカルト化を二回も経験して、姉は「信仰の虐待」などの本を読むようになった。

4年起しに姉は町の愛した教会のカルト化について客観的に勉強し、知った。とても辛かったと思うが人間の弱さを学び、なお神様が素晴らしい方であることを知ったのだと思う。

神様、人間の弱さを許してください。今なお、カルト化した教会で、本当の福音、神様の恵みではなく、人間の脅しや恐れにコントロールされる人たちが、そこから脱出して、神様の安心の中に憩えますように。

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2008年12月 8日 (月)

子ども時代をやり直した主人

子どものとき、あんなことしたかった…親になって主人はやり直せたみたいです。

『してみると、あなたがたは、悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父(神様)が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』新約聖書 マタイの福音書7:11

中学になる私の一人息子は今、将棋に夢中である。多趣味な主人の最大の趣味は子育てで、今主人は息子の将棋マネージャーを勝手にやっている。去年、息子が将棋を始めた頃は、主人の方がはるかに強かった。対局したり、適切な本を買ってあげたり、様々な助言をしていた。が、今では子どものほうが、かなり強くなってしまった。が、息子は気がついていないが、大会で負けたときとか、気落ちしたときとか主人は何気なくフォローし、息子の気持ちを盛り上げる。私ですら、「今日の大会は負け越しだったんだ。残念だね。」と言うと、今日の大会での収穫はこれだったとか、周りからこんな評価を受けたとか話してくれるので、入賞できなかった大会でも「参加できて良かったんだね!」と思えるようになるから不思議だ。

そんな主人が「俺はアンパンマンとかポケモンとか、どうして子どもと一緒にあんなに夢中になれたんだろう。親は子どもと一緒にもう一回子ども時代をやり直し、取り戻すのかなぁ。」と言った。

主人のお母さんは、4人の子どもたちをそれぞれそのままで受け止め育ててくれた。が、お父さんは厳しく、特に長男の主人には一番厳しかったようで、子ども時代のいろいろな要求や願いがあっても、厳しいお父さんの中で制約されていたことも多かった。

息子がアンパンマンが好きだと、我が家はアンパンマン一色だった。私も子どもと同じ精神年齢になって楽しんでしまうので、アンパンマンのキャラクターの話題で我が家は飛び交った。

子どもがポケモンとなると主人も私もキャラクターの名前を覚え、車中でポケモンシリトリをよく3人でやった。私は第一弾の105個しか覚えられなかった気がするが。次のキャラクターシリトリからママはハンディ付きだった。

遊戯王、ガンダム、他多数アニメ、カードゲーム、テレビゲーム、主人はどっぷり子どもと遊んだ。主人も楽しかった。

将棋になって、ゲームもカードも卒業した子どもだが、主人は同じ将棋を共有している。

「子どもと一緒に、自分の出来なかった子ども時代を楽しめて良かったね」と私は思う。そんな中にも子ども時代の癒しがあるのかなぁと思った。

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2008年11月22日 (土)

主人の最近の趣味事情

誰にでも興味があること、趣味となることがあります。ささやかな中にも、神様は楽しみを与えてくれています。

『実は神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神のたまものである。』旧約聖書 伝道者の書5:19

私のかつての趣味は、旅行することと絵をかくことだった。旅行というと聞こえが良いが、街で友人と心のすれ違いのたび、現実逃避の放浪の旅だった。絵をかくことも孤独を昇華するものだった。

クリスチャンになって心満たされる今は無趣味に近い。地域ボランティアと人の交流、そしてブログを書くことかなぁ。

主人は私と違って昔から多趣味だった。本は良く読むし、高校時代は天体クラブの部長をしていて、星などにやたら詳しい。将棋も一時夢中になったとのこと。詩を書くことや写真をとることにも精をだした。歌や音楽が大好きだった。テレビゲームもかなり好きだった。

子どもが生まれとき、主人は息子にはピアノをやってほしい(自分がやれなかったから)と、3歳からヤマハグループのレッスンに通わせた。「この子、ちゃんとやらないよ。パパ止めてもいい?」と当初はレッスン中にわけのわからない行動をとる我が子に私は悩みっぱなしだった。「ダメ、続けさせて。」の主人の一声で続けた。個人のピアノの先生についてからは7年目になる。この前、中学の合唱コンクールで大勢の前で伴奏のピアノを弾き、喜ぶ我が子に「続けて良かったね」と思った。

主人の中ではいろんな趣味が忙しい毎日の中で封印されていた。が、最近いろいろ復活し始めているようだ。子どもは去年、将棋を初めてから一切辞めたが、それまでは、親子で土日になると一緒にテレビゲームに興じていた。息子は私のことはバカにするが、主人に対しては過大な尊敬を抱いている。「パパはゲーム強いんだよ。」から始まったようだ。

音楽好きは今礼拝賛美を組み立てるのに生きている。忘れていた将棋は、突然子どもが始めたことで「子どものマネージャー」として復活した。

主人もブログを書き出して、詩も書くようになった。

そして、私のブログ管理人の主人が、私のブログに写真を張り付けてくれるようになり、写真の趣味も復活した。二人で近所を歩き、写真をとる姿が妙に老後の夫婦のようで笑えるが。

趣味もまた神様が一人一人に与えてくれたプレゼントと思う。神様を喜びながら趣味を使うとき、自分以外の人への喜びにもつながるのかなぁと思った。

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2008年11月15日 (土)

「信仰」という名の虐待

教会のカルト化…と聞いて、ある人が「それ、何?オカルト?」と言いました。ある人にとっては、馴染みのないことばかもしれません。

『また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。』新約聖書 第1コリント人への手紙13:2

私の姉は10年程通っていた教会があった。小さな田舎の教会だったが、とても熱心な温かい教会だった。が、牧師婦人が預言を語りだしたころからなんか変になった。姉は祈った結果、その教会を出た。今でも姉は「いろんな基礎はあそこの教会で教えられた。」と感謝しているが…。

親しい友人の何人かも別のカルト化した教会を出た。

カルト化を一言で言うと、神様と人の間に牧師とかが入り、支配することらしい。私は、周りのカルト化した教会は、申し合わせていないのに、裁きや脅しが強くなり、共通点が多いのは何故だろうと思ってきた。

「信仰という名の虐待」を書いたパスカル・ズィヴィー氏は「信仰という名の虐待はキリスト教や宗教から出てくる問題ではなく、人間の心から出てくるものである。」と言う。

「普通の家庭では、両親の良い関係の中で子どもたちは育てられ、成長します。しかしある家庭では、子どもを無視し、親の必要のために利用されています。安らぐ場所が地獄のような場所になっていくのです。…普通の教会は、神様の愛と救いを教える場所です。…しかし牧師たちが自らの欲求のみを満足させるために信者たちの心を利用するようになると、これは信仰という名の虐待となります。」

聖書のことばを使ったメッセージをしていても、そこに脅し、恐怖、罪責感、奴隷化する権威主義などがあったら、要注意である。

教会に通う人は、真面目で、神様に従いたいと強く願っているので、支配する人のコントロールに気がつきにくい。

神様は聖書に従わなかったら、罰を加えたり、怒ったり、呪ったりする、そんなスケールの小さい方ではない。私たちが弱く、従えないことを重々知っていて、イエス様の十字架で全部赦すよと言ってくれている。

一番大切にしている神様、聖書、信仰を利用されコントロールされた人たちのダメージは大きい。

イエス様は赦すためにきた。誰かにコントロールされていないとしても、信じれば信じる程、苦しくなったり、恐れが生じるなら、安心の信仰への点検が必要かもしれない。

神様、もし信仰を持ちながら、ドンドン苦しくなる人がいたら、その縛りから解いてください。私たちは何かをしなければいけないということはありません。何かをしても、しなくても、キリストの十字架の完全さのゆえに私たちは赦され、受け入れられてることを知ることが出来ますように。

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2008年11月 6日 (木)

サンタクロースを殺さないで

サンタクロースを信じる子ども、いないと言われて信じていない子ども、様々だったのを思い出しました。

『すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。』新約聖書 ヤコブの手紙1:17

我が家は、神様がいるので、サンタクロースは不在だった。息子が幼稚園のとき、近所の人が「サンタさんから何か貰った?」と聞かれると、「うん、幼稚園に来たサンタさんから貰ったよ。」と答えていた。

我が家では、主人が息子とじっくり相談を重ね、主人がクリスマスプレゼントを買うので、イブの夜のサンタはいなかった。

その頃、お母さんたちの会話では、「まだ、お宅のお子さんはサンタ信じてる?」「薄々気がついて来てるかなぁ。」なんて話しで盛り上がっていた。

小学2年か3年のとき、息子の友人4〜5人が家に来て、会話していた。「昨日、サンタが来て、ゲームをおいて行ってくれたんだよ。」「お前サンタ信じてるのかよ。あれ、父ちゃんだぜ。」「そうだよなぁ。」「違うよ。サンタだよ!だって父ちゃんがゲーム買ってくれる訳ないもの。」「……。」「うそ、うそ、知ってるよ。父ちゃんだよな。」

横でじっと話しを聞いていた私は、家庭でのロマンはこうやって崩されていくのかと、ちょっと気の毒だった。

賀来周一著の「気持ち整理&生き方発見」(カウセリング・ノートより)に「サンタクロースを殺さないで」と言う面白い記事を見つけた。

「空から煙突を通ってサンタクロースがやってきるのは、幸せが予測のつかない意外なかたちでやってくる象徴です。…クリスマス…この日ばかりは子どもの心を取り返したいと願うお父さんや、これを機会に家族の絆を回復しようとするお母さん…幸せでありたい願いの表れです。その時こそ、サンタクロースに登場してもらうよい機会ではないでしょうか。」

我が家にはサンタはいなくても、困らなかったと思うが、サンタへのささやかな夢や大人の願いの分析になるほどなぁと思った。

そして、プレゼントもまた、素晴らしいが、「私はあなたがとっても大切な存在で、いつも一緒にいたいんだよ。」という親から子どもへのメッセージがすべてにまさると思う。

今日も天のお父さん(神様)は私たち子どもにこのメッセージを降り注いでくれている。

Hana0874

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2008年11月 5日 (水)

私のブログ事情

ブログを始めて、3か月余り立つ。パソコンも開けなかった私だったが、ブログを書くことが日課になりつつある。また、見に来てくださる方々に感謝している。

私はもっぱら携帯からブログを書き込んでいる。主人が、ブログの管理人で、アクセス数が途絶えないよう、努力し続けてくれている。が、突然、主人のパソコンが壊れ、管理人の機能が果たせなくなった。ので、最近載せていた写真もカテゴリー分けも出来ていない。

私といえば、携帯から変わらず、ブログを書いている。

再び、パソコンも動き、管理人の仕事も始まりますように。ちょっと他力本願的な私は、自分のできる分をしている。

いろいろ、見にくく、すみませんm(_ _)mが、また、来てください。

Hana06

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2008年10月31日 (金)

苦痛の経験が産んだもの

何故、私たちは苦しみに出会うのでしょうか。

『もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。』新約聖書 第2コリント人への手紙1:6

「姉さん、僕頑張ったからね。」とおじさんが母に話しかけるのを聞いてしまった。

両親が生前の時、父の退職祝いで、親戚が一同に集まったときだったと思う。おじさんが、私に「お前はいったい、何がしたいんだ。」と聞いてきた。私は自分の将来に対する正直な気持ちを話した。その答えとして、おじさんが何を話したかは一切覚えていない。

つまり、母は娘が理解に苦しむ選択ばかりするのを心配して、おじさん(母の弟)に説教を頼んだらしい。

いつでも娘の思いを聞ける近い距離にいながら、全く理解が出来ず心配し、気を揉む母に、どこまでいっても、水と油のように接点がなく、理解してもらうことは出来ないんだと、その現実を改めて突き付けられた気がした。

母は我が子を心配し、母なりに愛情を注いでくれた。が、そのときは、一番理解してほしい人に理解されないことに悶々とした。その影響は大だった。理解されない私はすさんでいった。

「5つの目的」の本に「苦痛の経験こそ、神があなたをミニストリー(奉仕)へと準備させるために最もよく用いられる経験です。神は決して痛みを無駄にはなさいません。」とある。

私にとって、理解される、理解するということは、とても大切なテーマとなった。神様に理解され、人を理解したいと思うようになった。…もちろん、限界はあると思うが。

あの母から理解されない渇望が、理解したい渇望へと変えられた。

もし、苦しみがあるならば、誰かの慰めと救いへとなりますよう、祈ります。

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2008年10月30日 (木)

大切な友人たち

人との関係で一番傷ついた私は、今人との関係に一番喜びを見い出しています。神様は深いマイナスを高いプラスに変えてくださるのですね。

『香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。』旧約聖書 箴言27:9

学生時代、私は友を求めていた。そして、たくさんの素敵な友が与えられていたにも関わらず、自分を理解してもらえないショックのたびに、放浪の旅に出た。

今、私は神様から理解されているという安心感の中で、たくさんの友人が与えられている。

思えば一人息子が産まれ、幼稚園に入ると、私は幼稚園での役員やボランティアを3つ、4つと掛け持ち、遠い幼稚園に、自転車で毎日のように通った。ある方に「どうして、そんなに掛け持ってるの?」と聞かれ「この関わりの中で友だちを作りたいんです。」と答えた。

あれから8年余り、一年間だけ、役員をお休みしたが、学校の役員などずっとやってきた。

今、出会っている多くの友人はその役員時代を共に過ごしたり、そこから広がるボランティアで出会った方々だ。

神様から、理解されてると感じている私は、出会わされた人を理解したいという思いに変えられた。

そこでふれ合ったり、分かち合えたり、一緒に何かが出来たり…お一人お一人が私には宝物と思う。

何気なく主人が「そんなに日記ばかり書くなら、ブログを始めればよい。」と勧めてくれ、ある日、突然始めたブログも、その友人たちとの交流を深めるのに役立ち、感謝。

みんなそれぞれに宝物があるのだと思う。私にとって、神様やその聖書のことばは、死活問題に関わる食べ物のような、生きていくうえで、不可欠な物だが、大切な家族、与えられた友人たちは一番の宝物と思う。

人は何かに興味をもったり、関心を抱いたり、情熱を注いだり、それは皆違うことに対してあるのだと思う。私の場合、この人間関係の中に、深い喜びと慰めを感じ、情熱を傾けたいと感じている。

今、私が属しているボランティアは、そこで何か成したい以上に、神様が造られたお一人お一人を誉め称えたい、交流を楽しむためにあるのだなあと思う。

素敵な皆さん、素晴らしい関わりを心からありがとう。

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2008年10月29日 (水)

私の心の庭仕事

庭仕事をしながら、この聖書のことばを思いめぐらしました。

『わたし(イエス)はまことのふどうの木であり、わたしの父(神)は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶため、刈り込みをなさいます。』新約聖書 ヨハネの福音書15:1.2

「秋は寂しい。」と言う人がいます。自分の内面ばかり見てきた私は、季節の風流にも気がつかなかった。今日、自宅の庭にある桜の葉っぱがちらり、ほらり落ちていく様に、確かに秋は寂しいなぁと思った。

我が家の小さな庭には、八重桜の木、あじさい、ななかまどの木がある。あとは、スズキにミョウガにミツパにシソ…。というとなんか綺麗な庭を思うが、それらの間を所狭しと雑草が生えている。「我が家は、雑草を育てているね。」と荒放題の庭に主人と苦笑する。

この前、久々、雑草を取った。狭い庭が、スッキリした。花好きの主人は、花を買ってきて、6つのプランターに草花を植えて飾る。見違えるように庭が綺麗になった。

こぎれいになった庭を眺めながら気持ちが良かった。私の心もこんなかなぁと思った。手入れをし、刈り込みをし、雑草を取り除き、花を植える…そんな作業を怠ると、我が家の庭のようになってしまうのだなぁ。

ときに、神様からの刈り込みは痛いけど、神様の実をたくさんつけるためにはそれも必要。

神様、私の心の庭を刈り込んでくださり、秋にはたくさんの美しい実を結べますように。

『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。』ガラテヤ人への手紙5:22.23

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2008年10月27日 (月)

限界を感じる最近

私にとって、今夢中になっていることは仕えるということですが、限界を感じる日々でもあります。

『勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。』新約聖書 ローマ人の手紙12:11

我が息子は、一年半前から始めた将棋に夢中である。昨日も大会に行き、5位入賞で、扇子と蕎麦とハンカチと石鹸をもらってきた。疲れ果てて、そのあと、リビングで寝てしまった。途中目を開け、珍しく寝言をいう。「次の対局相手誰?」夢の中でも対局してるらしい。

「何かに夢中になれることは、よいことだね。」と周りの方々に言ってもらえる。私はといえば、自慢ではないが、一芸がない。

が、今、こうして平和な心で日々を過ごしていることは、かつて動機付けがなく、何も出来なかった日々に比べたら、奇跡のようだ。

だから自分に与えられたもの、癒されたものは、自分のためのものではないと思っている。

基本的に人から頼まれたことは断らないことにしているし、人のために喜んでもらえることなら、自発的にしたいと願っている。

神様が足りない私を愛してくれている、それだけで何でも出来る気がする。

が、何でも出来る訳でもない。今朝、「死にたくなるほど、疲れた。祈ってくれ。」と友人から電話があった。

祈っているけど、足りない祈りに、限界を感じる。神様の内側からの熱い霊によらずして、彼女の苦しみからの脱出を祈ることは出来ないのかも。

人に仕えられる楽しさと、仕えきれない限界を感じる今日この頃である。

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2008年10月22日 (水)

私は歩く 一歩ずつ前へ(主人の詩)

障害をもっていても、障害を持っていなくても、会社に出れば厳しい現実にさらされる。優しい人ばかりではない。理解してくれる人ばかりではない。それでも、家族がいるから、どんな辛いことも乗り越えられる気がします。

『主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。』旧約聖書詩篇5:12

私は歩く 一歩ずつ前へ。

人から見れば遅かったとしても。

人から見れば進んでいないように見えても。

人から見れば努力が足りないように見えても。

私は歩く 一歩ずつ前へ。

時に浴びせられる冷たい視線。

時に浴びせられる冷たい言葉。

時にひるんでも。

時に立ち止まることがあっても。

私は歩く 一歩ずつ前へ。

受け入れてくれる人がいるから。

受け入れてくれる場所があるから。

そして何より、必要としてくれる人がいるから。

私は歩く 一歩ずつ前へ。

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2008年10月18日 (土)

歯科医院の治療中の息子

息子の通う歯科医院はサービス業と思う程、安心感を与えてくれます。

『神のことばはいきていて、力があり、両刃の剣(つるぎ)よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』新約聖書 ヘブル人への手紙4:12

昨日、息子の歯科医院に付き合った。とても、親切で、丁寧で、笑顔の素敵な先生のところ。かれこれ、そこの先生のところに通って6年になる。

初めて行ったときは、とても驚いた。出来れば、歯医者のところなんか行きたくない…私たちの時代(小学生を昭和40年代で過ごした子ども)は歯医者が嫌いだった。

月日の流れか、その歯科医院が素晴らしいのか、痛い、我慢するとは縁遠いサービス業を思わせる、居心地のいい、安心してお任せできるところだった。

なので、病院が新しく建てられ、移転した際も、迷わず通い続けた。(方向音痴な私は、何度か迷い、子どもに文句を言われたが…。)

3年程前の暑い夏、学校帰り、子どもは急いでおにぎりを食べて、30分位かけ、自転車でかけつけたため、病院に着いたとたん、食べてきたおにぎりを、きれいなフロァーに吐いてしまったこともあったが。

今日は、レントゲンを見ながら虫歯の治療の説明を聞き、「今やっているのは、奥まで通ってきれいになったか、電気を通して確認しているんですよ。」と言いながら、パソコン画面の動画で説明してくれた。

息子はというと、ぴくん、ぴくんと体が動き、完全に寝ていた。(ここは床屋か!)

私は高校のとき、歯を抜かれた。高齢の先生が「若い人の歯は抜けないねぇ。」と力任せに全力で抜いていたのを思い出す。

聖書のことばは、レントゲンのように、私の隅々まで照らし出す。そして、神様は最高の医者として、私の心の中(霊的なところ)を適切に治療してくれる。治療は死ぬまで続くが、神様にお任せするばかりである。

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2008年10月16日 (木)

「ありがとう」にまつわるエピソード

「ありがとう」の言葉はいつでも使える素敵な言葉ですね。

『すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』新約聖書 第1テサロニケ5:18

「ありがとう」と言う言葉は、とても素敵な魔法の言葉と思う。言われていやな人はいない。が、私はある時期、「ありがとう」と言えなかった。

私の生まれ故郷、秋田では、方言で「わりなぁ」と言う。つまり、直訳すると「すまないなぁ、申し訳ない」というのが、「ありがとう」の意味である。多分、突然標準語で「ありがとう」とは言わない。東京に出て来て、抵抗なく「ありがとう」と言えるのに、かなり、時間がかかった。

話しはずれるが、主人が結婚直前、私の家にゼリーの土産を買ってきた。私の母は「あや〜、まんじ、しかだねごど。」を主人に連発した。秋田では「まぁ、申し訳ないことです。ありがとう。」と言う意味である。主人の実家、岩手では、「仕方ない」というのは、「どうしようもない」と言う否定的な意味らしい。主人は、何故、土産を失意の中で受け取られたかのか、わからなかったと言う。誤解が解けて良かったが…。

「ありがとう。」という言葉は、親が使わないと、子どもも使いにくいというのは、私で実験済みである。症例が一つで申し訳ないが、「ありがとう」とか「ごめんなさい」と言う素敵な言葉は、親や大人がたくさん使ったほうがいいと思う。

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2008年10月13日 (月)

子供の障害を一緒に背負う母

お母さんの心の責めがなくなりますように。

『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから購い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。』新約聖書 ガラテヤ人への手紙3:13

私が主人と結婚することになったとき、主人のお母さんから手紙をもらった。「息子は障害がある(右手を切断した)から、結婚は出来ないと思っていた。ありがとう。」という内容のものだった。

主人は、ハンディがあったが、お母さんが何でも一人でやれるように厳しく、優しく育ててくれた。だから、今では車も運転するし、パソコンは上手いし、私よりはるかに出来ることが多い。

数年前、お母さんは、地元の日報新聞の応募に募集し、原稿が採用になり、その日報社の出版の本に載った。

主人が3才のときに右手を切断し、入院していたときの描写だった。『「ボク我慢するから…」と左手を口いっぱいに押し込んで痛みに耐え、泣き声を漏らすまい、としている。慌てて口からはずさせ、…息子を背負って真夜中の診療所を抜け出した。「痛いね。ここなら我慢しなくていい。大きな声でいっぱい泣いて… 」』そんな息子と母にフクロウがスローテンポで愛嬌も感じられ温かい鳴き声で鳴く。そこで「あれは何か」としばし息子と彼を背負う母は会話する。

お母さんにとっては忘れられない夜だったのだろう。

「長男の不幸を一生涯かけても償いきれない私は、黄泉への旅路も、この悲しみだけは背負っていかなくてはならない。三途の川のほとりで、またあの夜のように大木の上から慰め、励ましてほしい。ゴロスケオッホー、と。」と文を閉じている。

主人が今、こうしているのは、お母さんの愛情のおかげだし、主人はお母さんに多大なる尊敬をもって、感謝している。

お母さんが裁かれるようなことはないと思うけど、もしその心に責めがあるなら、イエス様が代わりにのろいの木にかかってくれた。すべてが赦されている。黄泉に行かず、息子家族と天国へ行こうよと話したい。

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2008年10月10日 (金)

信頼できない病院、信頼できる病院

病気になると、病院にいきますが、信頼できるかどうかがとても大切だと体験しました。

『この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。…川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が成長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、…その実は食物となり、その葉は薬となる。』旧約聖書 エゼキエル書47:9~12

中学の息子が、手や足にじんましんができ、ドンドンひどくなった。1か月前に近くの皮膚科に行った。

そこでは、呼ばれると看護師さんから「その台の上に足の患部を見えるように出して待ってください。」と支持がある。看護師さんと入れ替わりで、別の部屋から医者が来る。かがみ込むこともせず、遠目に患部を見て、一言「じんましんだね。看護師から支持を貰って。」と言い、わずか10秒位で部屋を出る。すると、扉の向こうから看護師が入り、すぐに引き出しを開け、薬の塗り方を書いた紙を渡される。診察完了。

たくさんの飲み薬とステロイド入りの塗り薬を貰って帰った。

何の説明もなく、山のような飲み薬は怖くて、飲ませることが出来なかった。塗り薬は、塗ったときはよくなるが、すぐまたブツブツ出てきて、やはり不安で、違う病院へ行こうと思った。

今日、めでたく時間が出来て、違う評判の良い皮膚科に行った。丁寧に見て、丁寧に説明してくれた。

続いて、年配の明るい看護師さんが、薬を実際に患部に塗りながら、漫談のようなトークで、「皮膚の形成のため、早く寝ること、野菜を食べること、適度な運動よ。」と話してくれた。息子も「看護師さん面白かった。」と満足げだった。

とにかく、説明が丁寧でよくわかり、信頼できた。多分、貰った薬は前の皮膚科とそんなに違わない。が、信じて、安心して、言われたとおりにやり、治そうという気持ちになる。

あまり、病院通いをしない私だが、病院や医者や、看護師を信頼できる大切さを学んだ。

私の人生においては、神様のことばが、何より信じられて、そのとおり歩めば、間違いないというのと同じだなぁと思った。

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2008年10月 7日 (火)

私は心の手をたたく(主人の詩)

たとえ障害があっても、心を無くしたわけではありません。みんなと同じように、心躍らせる楽しい気持ちを持つこともいっぱいあるのです。(主人)

『いつも主にあって喜びなさい。』新約聖書 ピリピ人への手紙4:4

私は心の手をたたく。

嬉しいとき。

楽しいとき。

応援するとき。

歌うとき。

現実の右手はないけど、

手をたたきたい時はいっぱいあるんだ。

だから私は、心の手をたたく。

時には思いっきり声をあげ、

時には思いっきり手を上げて、

時には思いっきり足踏みして、

時には思いっきり踊って、

私は心の手をたたく。

心の手をたたくと、
気持ちはもっと弾むんだ。

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2008年10月 3日 (金)

母の葬儀での争い

葬儀は残された人のためでもあり、そこで、争わず、穏やかに事を済ます大切さを今は思います。

『神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。』新約聖書 第2コリント5:18

母は亡くなる10日前に、イエス・キリストを自分の神様と信じた。そして、病室は、祈りと賛美の中で、和やかだった。母が息をひきとったとき、聖書にあるように、その死は慰めと希望があった。泣き虫の私だったが、涙はなかった。

母の葬儀のとき、母方の親戚ともめた。牧師が「ここにいるのは、脱け殻で、霊は天国に行きました。」と言ってしまった。母の兄弟たちは、「ご遺体を脱け殻とは何ごとか!」と怒った。

そして、その矛先は、私と姉にきた。「お前たちにとっては、天国に行くまでのしばしの別れかもしれないが、オレらにとっては、永遠の別れだ。お前たちは、涙も流さないのか。」と言われた。

今思うと、母の兄弟に相談もせず、キリスト教式で葬儀をやったことなど、怒っていたのかもしれない。が、そのころは30代の姉と私は、遺族は私たちなのに、何を怒られているのか、解らなかった。

母の身支度をしながら、そのまわりで、争ってるのを母が一番悲しんでいたのだろうと思う。米を洗うような音が、争ってる中でずっと聞こえた。

葬儀は、死んだ人のためのものでもあるかもしれないが、生きて残された人のためのものと思う。キリスト教では、初七日とかはないが、残された人が少しずつ、心の整理をして悲しみを薄めていくのだなぁと思う。キリスト教式であれ、仏式であれ、神様の平和と和解の務めを担うものとしてありたいと、今は思う。

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2008年10月 1日 (水)

電気が消えてしまった家庭

家庭でお母さんがいつも笑っていたら、子どもは幸せだと思います。

『太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主(神)があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの栄光となる。…主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。』旧約聖書 イザヤ書60:19

家庭の中で、お母さんの笑顔は太陽とよく言われる。してみると、私が小学4.5年の頃、父が病気を発病して、母は笑わなくなり、我が家は電気が消えたように暗くなった。

それでも、無邪気な私と姉はじゃれあって、「バカ、やめてよ。」と言うと、「バカなんて言うな!」と過敏になっている母に怒られた。夜は姉妹2人で、布団の中でふざけて、クスクス笑うと、「笑うな!」と怒られた。

聖書では、太陽や月が光を照らさずとも、神様が光と希望となって、私たちを照らし続けてくれると約束してくれている。

私も家庭の光となりたいが、私自身は月のようなもので、自分自身で光放つものにはなれない。太陽のように照り輝く光(神様)に照らされて光を放つものとなるのだろう。

『主が御顔をあなたに照らし(微笑みかけられ)、あなたを恵まれますように。』民数記6:25

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2008年9月30日 (火)

鉄格子の中にいた統合失調症の父

時々、「かわいそうに。」と人がいう言葉に、上から見下ろして言っている、差別と偏見と優越感を感じ取ってしまうときがあります。

『「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」』旧約聖書 詩篇2:3

私が小学5年のとき、統合失調症(分裂病)で入院している父の見舞いに家族で出掛けた。父は小さな4畳位の鉄格子のある部屋にいた。私の母に「母さん、どうして俺はこんなところにいるんだ。」と話しかけていた。筆まめな父から、子ども宛ての手紙をもらった気がする。

そのことについて、母や姉と何か話した記憶はない。ブログを書くため、自分の過去を振り返り思い出したが、そのことを人と話したこともない。暴れる訳でもないのに、なんで、あんなところにいれられていたのだろうと思う。

最近、私の友人の入院で、何度かお見舞いに行ったことがある。各階ごとに鍵をかっていたが、光が差し込むきれいなフロアーをみんな自由に行き来していた。

この病気に関して、私は何の知識もないが、きっと、医学が発達し、また、人間的な偏見が少しずつ変わり、今に至っているのかもしれない。

障害であれ、病気であれ、弱さであれ、人はその中で、人として尊厳をもって生きている。神様はキリストの十字架のゆえに、そのままでその人を受け入れ、愛してくれる。神様と同じように、そのままで受け止められたらと思う。

そして、弱さを担ってる人のほうが、より深い真実をみて、感じていたりするのかもしれない。

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2008年9月29日 (月)

孤独から解かれる

深い孤独がある人の、その穴が埋まるよう祈っています。

『死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主(神)の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」…まことに、あなた(神)は私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。』旧約聖書 詩篇116:3~8

深い孤独はどこからくるのか?人は愛されるために生まれてきた。理解されない、受け入れられない状況が長く続くと、人の心に穴があく。それが、大切な家族の中であったり、幼少時代であれば、その穴は大きい。

私は居心地の悪い家から早く出たかった。大学生活で家を離れられて嬉しかった。が、一人暮らしを始め、たくさんの友人が出来たが、誰も私を理解してくれないということに愕然とした。(今思うと、人が他の人を理解出来なくて、あたり前なのだが。)親に理解されなかった私は、誰かに理解を求め、得られず、ますます孤独になった。その孤独に耐えられなくなると、旅に出た。「孤独は山にあるのでなく、人の多い街にある。」という三木清の言葉に納得したものだった。

孤独は外からくるものでなく、内側から湧いてくるものだと思う。その孤独の穴を人が埋めるのは難しい。愛するために人を造られた神様によって、私は孤独が埋められた。それだけでなく、そのところから、神様の愛が溢れてくるのを感じる。

神様、孤独な人を神様が愛で満たしたいと思っておられるのを思います。どうぞ、求める人に神様の愛が覆われますように。

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2008年9月25日 (木)

シーズー犬タローの安眠妨害

神様は恋人のように、いつも私たちを思い、忘れないと言っています。

『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(神)はあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。』旧約聖書 イザヤ書49:15.16

姉が結核になってしまったとき、姉の愛犬生後9か月のシーズー犬タローは5〜6時間電車を乗り継いで、我が家にきた。半年、遊び、しつけられ、お利口犬になって、姉のところに戻っていった。

次の年、子どもと一緒に、姉のところに行った。タローは喜んだ。ぴょんぴょん跳びはね、絡みついて離れなかった。

夜、電気を消して、子どもと姉と川の字になって寝た。タローの興奮さめやらず、眠ろうとする私たちにじゃれてきて、寝ようとしない。

「タローやめてよ。」「姉ちゃん、なんとかしてよ。」一晩中、バタバタしていた。

次の日、私たち3人は寝不足でげっそりした。タロー含めてみんなで昼寝をしたのは言うまでもない。

犬が、一時世話してくれた人を忘れないのを体験した。母親は子どものことをいつも思い、神様は私たちのことを、大切な恋人のように忘れない。

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2008年9月24日 (水)

もし障害が無かったら?(主人の詩)

主人がとても素敵な詩を書いたので紹介します。(主人は3才のとき、牧草用の機械に挟まれ、右手を失いました。)

『まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。…なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。』旧約聖書 詩篇84:10.12

もし障害がなかったら?考えてもしょうがないけど、たぶん多くの障害者が一度は考えることです。私もよく考えました。

もし障害が無かったら?

いろんな楽器を弾いて音楽を思いっきり楽しみたかった。

もし障害が無かったら?

いろんなスポーツに思いっきり挑戦してみたかった。

でも、もし障害が無かったら?

今の自分にはならなかった。

今の人生にはならなかった。

今の家族には逢えなかった。

障害も障害で経験したことも、全部含めて今の自分だね。

Hana04

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2008年9月19日 (金)

与えられているものに感謝する

無いものではなく、与えられているものに目を向けたいものです。

『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。』新約聖書 ヨハネの福音書3:27

かつて、私は自分の中にも、自分の外にも、たくさんの素晴らしいものが与えられているのに、それらが見えず、何もないと悲しんでいた。与えられているものを見る心の目が曇っていたのかもしれない。

主人は、怠け者の私の代わりに、休日になるとよく洗濯をしてくれる。この前、私は電話の受話器を片手に持ち、洗濯物を干した。そして、その作業がとても大変なことに気がついた。そして、主人は片手しかないので、それでその作業をやってくれていることに驚いた。

主人は5か月前、ラーメンを一人で作り、熱湯が右手の切断したところにかかり、火傷を負った。そして、その何か月かあと、「無い右手でも、日常に役にたっていたんだなぁ。」と言った。

私たちは、無いものに目がいきやすいが、あるものを感謝する大切さを思う。

何より、命が与えられ、生かされていることが素晴らしい。ご飯を3食たべることができる環境(日本)に生まれ、衛生状態も守られている。劣悪な環境に生きる人々のため、私が、この日本の国の人が出来ることもある。

『多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。』ルカ12:48

多く与えられていることを知ると、それに伴う苦労は苦にならないのかもしれない。

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2008年9月18日 (木)

誉めて徳を高める

誉めるという行為は人の徳を高めます。有効な誉めの話しです。

『あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。』新約聖書 第1コリント人への手紙14:26

うそをついたり、おべっかを使う必要はないが、人を認めて誉めることは、人の徳を高める。ある講演で、子どもには、2重の誉めと言うのが、子どもを育てるとき、とても良いと聞いた。「お母さんね、お父さんから聞いたけど、あなたはとても良く頑張っていて、えらいって言ってたよ。」と誰かが誉めたことを教えることで、話した人、伝えた人、二人から誉められたことになる。

主人が、子どもとある将棋大会に行ったときのこと。そこに、若いプロ棋士がいて、出身が同じだったので、声をかけた。すると彼は「支部にEさんという強い人がいて、僕もよく対局してもらいましたよ。」と話していた。別の大会で、主人はEさんに会った。そのプロ棋士の話しをそのまま伝えたらしい。「そうですか。彼はそんな風に言っていましたか。」と嬉しそうだったらしい。

人の悪口は伝える意味はないが、誰かが言っていた誉めは、忠実な伝書バトとなって伝え、人の徳を高めたい。

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2008年9月16日 (火)

楽しいことを繰り返し話す祖母

すべての人に老いは来るが、美しく老いたいと願っています。

『胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたし(神)は同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。』旧約聖書 イザヤ書46:4

祖母は今、実家の市の老人ホームにいる。口はわざわいのもと…というのか、姉が結核で入院中、母方の親戚の家に預かってもらったときがあったが、嫁である母に傷があったため、その話しをして2箇所で返されてしまった経緯があった。

長い人生、苦労して生きてきて、たくさんのいやだったこと、傷ついたことがあったと思う。昔話しをするともなく、そんな傷が繰り返し、繰り返し思い出されて、人に話しをしていた。

ホームに入居する前日、私の母を赦す祈りを私は祖母と一緒にした。

昨日、姉から祖母の近況を聞いた。ホームに会いにいくと、楽しそうに民謡を歌ったり、みんなと歌えて楽しいということを繰り返し、繰り返し話ししたとのこと。

誰でも良いこと、楽しいことを発信すると周りも楽しいし、悪いものを発信すると離れていく。聖書では、内側をきよめないと、いくら外側をきれいにしても白く塗った墓のようだとある。

神様は祖母の過去の傷を癒し、しみのないもののようにしてくれた。同じことを繰り返し言うが、楽しい繰り返しを話し、神様の子どもとして喜んでいる。

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2008年9月15日 (月)

姉の人生を変えた「ブラザーサン・シスタームーン」の映画

誰もが人生を変える何かに出会っているのでしょう。

『空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。…そういうわけだから、…心配するのはやめなさい。』新約聖書 マタイの福音書6:26.31

姉は高校生のとき、映画「ブラザーサン・シスタームーン」を見た。そのとき、こんな生き方があるのかと、大きな衝撃を受けたと言う。映画の内容は聖フランシスコの生涯の話し。

豊かな家に生まれフランシスコは、戦争に行くが、脱走する。そして、生まれて初めて貧しい人たちの生活苦を目の当たりにして、嘆く。その後、自分の家にあった布を貧しい人たちに窓からばらまき、自ら貧しい人とともに暮らす。

Dsc00103 全ての財産をすて、自然の中で、「鳥たちを見なさい。…花を見なさい。」とイエス様と同じことを語る。

姉が話してくれた。「人にとって苦しいのは、人を憎んだり、苦しめること。フランシスコは、自分の心の苦しみから解放され神様の喜びと安らぎの中に生きた。凄いと思ったんだ。」

今、姉も質素な生活をしているが、神様こそ我が父、我が夫、また、我が友と喜んで生活している。

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自分の多面性、人の多様性を楽しむ

一人一人には数えきれない良い面があるのだと思います。

『しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量(はか)りに従って恵みを与えられました。』新約聖書 4:7

子どもが小学生低学年のとき、田舎に帰り、子どもと私の姉と私とで食事をしに行ったときのこと。子どもに「おばちゃんのいいところは何?」と聞くと「面白いところ。」と即答した。「ママのいいところは何?」と聞くと、「う〜ん、えっと…、えっと…、面白いところ。」と悩みに悩んだ末に言う。(いろいろやってるのに、それだけかい!)「じゃあ、パパは?」と言うと「パソコン出来ること、ゲーム上手いこと、遊んでくれること、面白いこと。」と間髪入れずに答えた。

母のよいところを見い出してもらえなかったのは、残念だが、我が子は、“人間おもしろいことが重要”と思ってるらしい。

私も皆さんからいろんな評価をいただくが、そして、私たちにはいろいろな側面があるのだが。私たちが、人の何を重視しているかということが、人との関係づくりに繋がってくる。自分が持ってる多様な面で、人に楽しんで喜んでもらいたいし、一人一人のもっている多面性を楽しんでいけたらと思う。

かつて、人と違うということが私にはとてもきつかった。自分をあるがままで受け入れられたとき、自分と違う人の多様性を楽しめるようになった。

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2008年9月14日 (日)

男性のもっているプライド

プライドを捨てることが私にとっては、自由になることですが、人のプライドは尊重できたらいいなと思います。

『わたし(神)は、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。』旧約聖書 ホセア書11:4

プライド…それは誰もが持っているが、一般的に女性より男性のほうが、そこに敏感なのではないかと思う。

我が息子がまだ、幼稚園のとき、近所の可愛い女の子と家の前で遊んでいた。「危ないところで遊ばないでよ」と私が注意して叫ぶと、隣にいた主人が「女の子の前で注意するのは、プライドが傷つくからやめたほうがいいよ。」と私にささやいた。そのとき、「男性たるもの、なんと繊細なことよ!」と心の中で思ったが、勉強になった。

昨日は息子の中学の体育祭だった。小学校と一番違うのは、転んだり、失敗したりした男の子たちが、すぐ起き上がって走りださず、あきらめ、ゆっくり歩いたりする姿だった。「失敗しても、転んでも、最後まで頑張ればいいのに…。」と私がつぶやくと、隣にいた主人が「あれが、プライドを保つ精一杯の姿なんだよ。」と解説してくれた。

男性陣のガラスのような傷つき壊れやすいプライドを女性群は理解できず、傷つけてしまっているのかなぁと思った。すくなくとも、プライドが重要でない私はどこかで、誰かの大切なプライドを傷つけているのかも。ごめんなさい。

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2008年9月13日 (土)

夫婦間の愛情が子どもを育てる

子どものために、私たちが優先して大切にすることが、夫婦の関係と思います。

『「ああ、わがわが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。…あなたの目は鳩のようだ。」「私の愛する方。あなたはなんと美しく、慕わしい方でしょう。私たちの長いいすは青々としています。」』旧約聖書 雅歌1:15~16

アメリカ人と結婚した友人に「I love you」と日常で言うのか聞いた。言うとのこと。日本には、「あなたを愛しているよ。」と夫婦で言い合う文化はない(そのように語らってるご夫婦もいるかも知れないが。)言わない中で、大切にされてることを悟る文化ではないかと思う。

私は小さい頃、何故か、優しい父に、物凄く気を使った。「なんでも欲しいものを買ってあげるよ。」と言われ、「いえ、大丈夫です。」と答えていたのを覚えている。

今思うと、父が病気になる以前は、母がとても父に気を使っていたからだったのだろう。私たち子どもも、自然に母と同じように父に気を使ったのだと思う。

ある方が言っている。「両親がいつも互いに微笑みを交わしている家庭で育った子どもは、親に微笑みを返し、やがてこの世界に向かって微笑みを提供するだろう。」

言葉を越えた両親の愛情や温かさを子どもは、肌で感じ、育っていくのだろう。子育てで私たちが、努力するのは、ときには子どもに対してよりも、夫婦お互いに対してのときもあるのかもしれない。そして自分を赦すように、相手を夫(妻)を深く赦すことが、子どもの愛情をはぐくむのかもしれない。

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2008年9月12日 (金)

障害者が生きやすくなる世界

障害…そのパリアフリーは理解することから始まると思います。

『弟子たちは彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪が犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」』新約聖書 ヨハネの福音書9:2.3

北京パラリンピックの卓球女子で金メダルをとったのは、ポーランドのナタリア・パルティカ(19)だった。彼女は生まれつき右腕のひじから先がない。彼女は北京五輪の団体にも出ている。

私の主人も右手を切断して無い。中学のとき、自分で工夫し、ハンディがありながら卓球をしていた。親善試合では負けなしと、強かった。正式試合のとき、相手チームから「左手でボールを上げ、左手で打つのは反則ではないか」と異議申し立てがあった。主人についていた先生は、弁護しなかった。結果、試合の前に棄権となった。もし主人が強くなかったら、誰も文句は言わなかっただろう。

「パパ、パラリンピック卓球で金をとったこんな人がいるよ。パパも、あのまま卓球を続けていたら、パラリンピック行けたかもね。」「まだ、あのころはパラリンピックがなかった。」と会話した。

ハンディはみんな様々にある。目が悪い人は眼鏡をかけるし、いろいろな工夫でそれを補う。ハンディが辛いのでなく、人を差別する心、無理解な思い、人が作りあげたものが、ハンディにさらに壁を作りあげて生きにくくしているのを思う。

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2008年9月10日 (水)

過去を振り返られる恵み

過去を振り返るとそこに神様が共にいてくれたことを今思います。

『わがたましいよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴からあがない、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。』旧約聖書 詩篇103: 2~5

ブログを始めて、私は自分の忘れていた過去を思い出すことができている。そして、心がたくさん癒さた今、過去を振り返るとき、不思議と今までと違った過去が見える。

20年前、カウンセリングのセミナーを受けたとき、自分史を書いてくる宿題があった。そのとき、私は小学4年ときに父が病気したところから先が書けなかった。たぶん、その悲しい出来事をまだ、受け止めきれなかったのだと思う。その後、母との関係の回復、父との関係の回復があり、この2〜3年、父との影響からきた傷、母との影響からきた傷、この2大傷口が癒された。クリスチャンになって、癒しの旅が始まり、25年たっていた。

だから、癒しは影響を受けた年月以上にかかるのかもしれない。が、求めるならば、少しずつでも癒されていく…ということを私は信じている。

過去は変わらないかもしれないけれど、癒しとともに、過去の持つ意味が変わるのかもしれない。辛く、苦しく思えたことも、今、誰かの慰めに少しでもなるならば、私の過去にも神様の愛が満ちている。

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2008年9月 9日 (火)

私が目指す朽ちない金メダル

すべての人が特別な能力を与えられています。

『キリストは、私たち一人一人に特別な能力を与えてくださいました。それは、彼がその豊かな賜物(与えられる能力)の宝庫から、私たちに与えたいと願われたものです。』新約聖書 エペソ人への手紙4:7(LB訳)

子どもが最近の行われた将棋大会、1組で銅メダルを貰った。団体のメダルはあったが、初めて個人戦でのメダルだ。

我が家は主人はアビリンピックでメダルを貰い、メダルラッシュ?だ。私と言えば、中学マラソン大会でのメダルと過去の栄光のものしかない。

すべての人には、その人にだけ与えられている能力があると、聖書では言っている。ありのままを受け入れ、自分の限界を認めていくなか、その人に与えられた能力は輝きだす。その能力は、大会で評価されるようなものもあるかもしれないが、目には見えないけれど、とても大切なものもあるかもしれない。

私は心が癒されて、ますます人と関わるのが楽しくなった。私に与えられているものは、人間関係に関するものかなぁと思う。そして、私はあるがままで自分を楽しみたいが、人一人一人に与えられている良いものを発見する、探検家でありたい。天国では色あせない金メダルが貰える(第1コリント9:25)とある。ちなみに、私の目指す競技は、「人の能力発掘したで賞」ありになるのかな。

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2008年9月 8日 (月)

拾った仔犬と新しい家

私たちは小さな生き物によって、たくさん慰められています。

『そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。』旧約聖書 創世記1:26

姉が中学のとき、白い捨てられた仔犬を拾ってきた。「飼いたい。」と母に頼んだ。昔から、母は動物は飼わないと言っていたので、許可はもらえないと思った。が、「動物は先に死ぬからいやなんだよ。可哀想で…。」と言っていたが、どういう訳か飼うことになった。

犬小屋もなく、夜は玄関にいれて、可愛いがった。が、貸家だったので、玄関が傷がついて、私たちは大家に追い出されることになった。

今、思うとそれから母の持ち家計画が始まったのだろう。ある日、私と姉は一度も見たことも行ったこともない場所だったが、学校帰りに待ち合わせて二人で地図をたよりに新築の家に行った。その日からそこが私たちの住まいだった。

姉はその家に、高校3年間、私は中学、高校6年間住んで離れた。両親と犬のシロが残り、結局最後にシロの面倒をみたのは母だった。

母はよく口癖のように言った。「シロのおかげで、家を建てることになって、ありがたいねぇ」母が親戚に相談して、いろんな苦労をして家を建てたのだなぁと今になって思う。

そんな中で、シロは父、母の慰めになってくれたのを思う。シロは母に看取られ生涯を終えるが、犬は居るだけで、癒し、慰めてくれる不思議な存在だと思う。

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2008年9月 7日 (日)

2度の結核が益となった姉

『主(しゅ)をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』旧約聖書 詩篇37:4.5

姉はこれまで2度結核になっている。一度目は、多分5才か6才のとき。その頃、父も胃潰瘍で入院し、母は大変だったと思う。特に、幼い子どもの結核には、今は治る病気といえど、どんなに心配したか、私も親になって思う。

そんな大変な状況であったが、姉にとっては、人生を決める決定的なときとなった。その入院生活を通して、姉は幼心に自分は将来看護師になりたいと思った。

姉はその思いを貫き、看護師になった。4年前、2度目の結核になる。

祖母のこと、愛犬のこと、家を支えていた姉にとって、解決しなくてはいけないことがたくさんあった。が、すべてうまくいき、姉は忙しい生活を一時中断し、隔離病棟に入った。神様に祈る静かなときだった。「神様に、お母さんが赤ちゃんを抱っこするように抱いてもらい、包まれているのを感じた。」と話してくれた。50才近くにして、何かが癒され、新たな思いで神様とともに歩むときとなった。

神様は、結核という誰もが決してなりたくない病を通して、姉を確かな道に歩ませてくれたのを思った。

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2008年9月 6日 (土)

蛇と闘った母

不完全な親ではあっても、たくさんのことをしてもらい、今の私がいることを感謝しています。

『彼女(妻)は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえ…。』旧約聖書 箴言31:27.28

私の心の傷、そしてその癒しの話しで、母がよく登場する。母を悪者にしてしまってる傾向があるが、父が病気で、父の面倒を見ながら子ども2人を育ててくれた立派な母だった。価値観が全く合わなかったことが、私にとって、少し不幸だったが、今ではたくましい母に感謝している。

小学6年のころ、貸家に住んでいた。後ろには土手があった。ある日、信じられないが、60センチぐらいの蛇が家の中に入ってきた。今の私なら、子どもと二階に退散して、主人の帰りを待つだろう。

母はほうきか何かをもって、果敢に立ち向かった。その結果、その蛇が死んだか、逃げたか、あまり記憶がないが、そこに表れるように、母はたくましかった。父が元気なときは、3歩後ろを歩くような、父にひたすらついていく母だったが。

母がしてくれた多くもまた、ブログに沢山書けたらと思う。

私もまた、今、欠けだらけの母親になり、育て方はともかく、子どもへの思いは溢れて変わらない。神様は私をも親にして、育ててくれているのを思う。

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2008年9月 1日 (月)

私の記念日

皆さんにとって、大切な記念日はありますか?

『主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂(さ)き、こう言われた。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われた。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」』新約聖書 第1コリント人への手紙11:23~25

今日、主人がきれいな花束を私にプレゼントしてくれた。結婚して18年位になるが、主人はいつも、結婚記念日に欠かさず花束を私にプレゼントしてくれる。「いつもありがとう。」と言葉付きだった。「いや〜、家事もありったけ怠けてますが…」と心で思いつつ、「花束ありがとう」と受け取った。

私は主人と違って記念日を良く忘れる。ある年はしっかり主人の誕生日を忘れ、主人が自分で名前入りのケーキを買ってきたことがあった。誕生日しかり、節目節目の記念日は大切なのだろう。

キリスト教にも記念日がある。聖さん式と言って、クリスチャンが、私の罪のために十字架にかかってくださった、その犠牲のからだと流された血によって、今神様の子どもとされていることを思い出す、記念する式。私の教会では、聖さん式を毎週している。

家族の忘れてはいけない大切な記念日もあるが、私が今生かされている出発点のキリストの十字架を覚える(記念する)…私にとっては実は毎日が記念日なのかもしれない。

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2008年8月31日 (日)

意志の弱い私

皆さんは意志が強く決めたことが続くタイプですか?

『しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたは代々に続きます。』旧約聖書哀歌5:19

意志の強い人は、決めたことは何をやっても継続できるのだと思う。私は自慢ではないが、とても意志が弱い。そして、努力するとか、続けるとかいうことは、基本的に苦手なタイプ。

父は病気するまでは、よく本を読み、筆まめで日記を毎年書いていた。そして、年の暮れになると、私と姉に新年のハードカバーの日記を買ってきてくれた。私は3日後のページは真っ白の、まさに、3日坊主を毎年繰り返した。お陰様で、大人になっても、家計簿たるものが続いた試しがない。

これも自慢ではないが、大学を中退し、そのあとの絵の専門学校も中退した。私ほど、意志の弱い人間はいないかもしれないと思う。

そんな私が神様を信じ続け、教会は幾つか変わったが、教会に行き続けている。私にとっては奇跡のようだ。けれども、それが何故続いているか、原因がわかる。『あなたがたがわたし(キリスト)を選んだのではなく、わたし(キリスト)があなたがたを選び…』(ヨハネ15:16)と聖書にある。神様が私を選び、私の手をつかんでくれている。私が手を離しても大丈夫という訳だ。そこは、努力と意志の力の法則が働かない、憐れみに生かされる世界。我こそは、意志も努力もないという私の仲間は大歓迎の世界である。

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2008年8月30日 (土)

リビングで感じる受容体験

我が家のかたずかないリビングの中にも私の受容体験(そのままで赦されている)があります。

『愛はすべてのそむきの罪をおおう。』旧約聖書 箴言10:12

我が家のリビングは、お客様が来るときはかたずけてきれいになる。が、人が来なくなるとたちまち変身する。

子どもの周りは将棋本が散乱し、最近私の周りはブログのための聖書やノートや本や日記で散乱している。

主人はというと、自分の部屋からリュック一つ持って降りてきて、リュックを持って部屋に戻る、慎ましい生活をしている。

主人と結婚して良かったなぁと思うのは、妻の足りないところを責めず、受け入れてくれることだ。リビングが散らかってることはいいことではないが、その中に私の受容体験がある。

小さいときからかたずけが下手な私は母から「お前は女のくせにだらしない。」と言われて育った。私はだらしがないと評価され続けた。

苦手なことがあっても、得意なこともあり、楽しく生きていける今を感謝する。私は部屋をきれいに出来ないが、人を招くときは、きれいにかたずける努力が出来る、それはすごいと自分で思う。足りないことが多いと受け入れられているありがたさも増大する。

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私のブログ研究

ブログを見に来てくれている人たちにとても励まされ、ブログ続いています。ありがとうございます。

『あなたがたの中で知恵に欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。』新約聖書 ヤコブの手紙1:5

2日前、子どもの夏休みの宿題を手伝っているときのこと。「ママでも知ってることがあるんだ。」と子どもが言う。「母親をバカにする発言」が子どもは多い。親に問題があるのかもしれないし、子どもに潜む罪の性質かもしれない。

それにしても、私は聖書のことと心の癒しのこと以外は殆んど、よくわからないと自分でも認めているので、子どもの発言には納得してしまう。子どもは博学な主人に何でも聞いて頼っている。私も世の中の知識は主人に聞いたりする。

パソコンも開けない私だが(私のブログは携帯から打ち、主人が管理者となってる)、今日、生まれて初めて、人のブログを見た。

私は聖書のことばを紹介したいと、記事の一番最初にもってきているが、検索のとき、それでは内容がわかりにくいことがわかった。

私のブログはたいした内容ではないが、聖書のことばを紹介してることが、すばらしいと自画自賛する。神様のメッセージのことばが一人でも多くの人に伝えられることを祈りつつ、今日もブログネタをノートにメモっている。

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2008年8月28日 (木)

酔っぱらいに投げられたどんぶり

『酒に酔ってはいけません。そこには放蕩(ほうとう)があるからです。御霊に満たされなさい。』 新約聖書 エペソ人への手紙5:18

ある思い出話しをすると、主人から言われる。「きみさぁ、自分があんな目にあったら、笑ってられなかったと思うよ。」

4年程前、家族でレストランに食事に出掛けた。楽しく、美味しく私たちは食べていた。が、通路を挟んで、隣の一行がなんか騒がしい。夫らしい人が奥にすわり、隣にすわる奥さんらしい人に罵声を浴びせてる。昼だったが、酔っていたらしい。そのうち、酔っ払いさんはコップの水を奥さんにかける。が、奥さんは慣れているのか、サッとよける。次の瞬間、何を思ったか、その男性は目の前のどんぶりを奥さんに投げつけた。これもみごと奥さんはよけた。とそのどんぶりと中身の蕎麦と汁が勢い余って、通路を隔てた主人にビッショリとかかった。私はマンガみたいと、笑ってしまった。が、うちの主人は凄く怒っていた。投げつけた酔っ払いさんは、さすがに酔いも覚めたらしいが…。

私の主人はお酒を一切飲まない。おそらく、小さいときから自分のお父さんのお酒を飲む姿を見て、お酒はいやだなぁと思ったのだと思う。みんながみんな、お酒を飲んで、酒乱となる訳ではないが、お酒を飲まずに、良いものに満たされていたいというのが、我が家の考えである。

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2008年8月27日 (水)

むちうちになった主人

『あなた(神)は、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。』詩篇4:1

3年前、私たち家族3人は車に乗っていて、渋滞で止まっていたところに、後ろの車によそ見で後ろからぶつけられた。幸いといえるか、子どもと私は大丈夫だったが、主人はむち打ちになってしまった。車も破損したし、人身事故を起こされた訳だ。

そんな現場で、相手の家族には2才ぐらいの小さな女の子がいた。ナンバープレイトを見ようとしたら、その女の子が「ダメ」と両手を広げて隠した。こちらは大変な状況だったのに、帰りがけ、主人は「あの女の子、お父さんを守ってたんだね。かわいいね。」と言った。いいことが何もない、ひどい目に会わされたのに、出た話しがそれだったので、ゆとりを持たせてくれてる神様を思った。

その後アビリンピック(障害者技能大会)出場のため、パソコン(データベース)の練習をしたが、首と腰のむち打ちのため、10分ごとに休まなくてはならない状況だったらしい。そんな苦しい状況で大会では金メダルを取り、世界大会の出場権を獲得した。

むち打ちが痛み、一年位病院通いした。今も疲れると首に症状が出てくるが、ゆとりを持たせてくれている神様に感謝する。

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2008年8月26日 (火)

姉ともてなしをした集まり

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』詩篇133:1

私の神学校時代、仲の良い姉と、二人で4年余り、家庭集会をやった。名前はマラナタ会。月一回ペースで、準備は、料理と人を誘うことと、メッセンジャーを頼むことだった。神学校の友人はたくさんいたので、いろんな人に聖書の話しをしてもらった。

当日は、姉と二人で朝から買い出しに行き、日頃作らない料理やデザートを目一杯作って夕方に備えた。

夕方になると、仕事の終わった友人たちが来てくれて、6畳の部屋は所狭しとひしめき合った。

なんだかとても楽しいイベントだった。来る人たちも、喜んで来てくれた。みんな独身の人たちが、狭いアパートに集い、食べたり、話したり、都会での憩いの場だったなぁと思う。

今は姉も田舎に帰り、一緒に人をもてなすことはなくなったが、美味しい食事はともかく、家に人を招いて語り合う…私にとって、大切なことの一つであり続けたい。

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2008年8月24日 (日)

末期ガンの母が喜んでおどった踊り

『わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主はわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套(がいとう)をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。』イザヤ書61:10

私たち夫婦は、2箇所で結婚式をした。8月に教会で、すべてが手作りの温かい結婚式をしてもらった。もう一つは、10月、私の田舎で、遠方からも多くの親戚を呼んで、盛大な披露宴をした。コーディネーターは母で、ほとんど母が自分の結婚式のように段取りを組んだ。

披露宴が終わると、私たち新郎新婦は置いてきぼりで、母は遠くから集まってくれた自分の親族とバスに乗って温泉旅館に行った。

母はそこで、喜んで、踊りを踊ったと聞いた。末期ガンの母だったが、娘の結婚式を親戚に祝ってもらうのが、とても嬉しかったらしい。その直後、母は入院し、12月には天に召された。披露宴当日は主人の親族もバス一台貸し切りで、朝早く披露宴に大移動してくれたり、ひたすら母中心の披露宴だったが、母が喜んでくれ、まわりの人も喜んでくれた。主人も母が召されたあと「田舎の披露宴、お母さんのためにやれて良かった。」と言ってくれた。母はキリストの花嫁のように、喜びながら天に召されたと今、思う。

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2008年8月22日 (金)

父の分裂病(統合失調症)

『彼(キリスト)はいたんだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる燈心(とうしん)を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。』イザヤ書42:3

父は将来を約束された国鉄職員だった。42歳のとき、仕事のトラブルと体の病気に対する不安で、分裂病(今の統合失調症)を発症した。

「パンセ」の中でパスカルは「人間は考える葦である。」と言った。人は複雑、繊細に出来ている。

父は祖母にその頃、手紙を書いていた。孤独と悩みを綴ったものだった。負いきれない悩みを抱え、どんなに苦しかっただろうかと、大人になり、私も父との関係が癒されて、やっとそう思う。

人は壊れてしまいそうに、ときには弱い存在なのだと思う。私が神様に話しを聞いてもらい、慰められてきたように、私も重荷を背負う人の話しを聞き、寄り添いたい。子どもだった私が、父に何も出来なかったが、天国の父も、自分の病が無駄でなかったと喜んでくれるだろう。

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2008年8月21日 (木)

シーズー犬タローが我が家で過ごした日々

『こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。』エペソ人への手紙2:19

今から5年前、姉が結核で急きょ次の日に入院することになり、姉は電話でこう言った。「妹よ。すぐに来てくれ。ばあちゃんは人間だから、行き先はなんとかなる。タローはすぐ妹に預かってもらわないと保健所行きになるから大変だ。」

こうして、生後一年に満たないシーズー犬タローは突然我が家にやって来て、6カ月居候することになる。

可愛いタローは、散歩仲間の犬たちにも、子どもの友だちにも大人気になった。

姉が可愛りすぎて、お手の一つも教えておらず、主人の訓練が始まった。子どもが夜に30分のピアノの練習をする時間が、タローのしつけ訓練の時間となった。主人とタローは廊下で特訓した。6カ月でしっかり芸をマスターした。お手、おかわり、待て、ふせ、ハイタッチ。主人曰く「タローちゃんはとても頭の良い犬だ」

姉にタローを返しにいったとき、姉はお利口タローになっているので喜んだ。今は餌をあげるとき、お手、おかわり、待てを必ずさせているらしい。

我が家に可愛い居候が来た思い出だ。おかわりをするとき、短い足を一杯に外から回してくる仕草が忘れられない。私は道端で、可愛いシーズー犬とすれ違うと「タロー!」と心の中で呼び掛けている。Dsc00076

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子育ての中で親の力の危険

『イエスは…言われた。「…異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。…あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。』マタイの福音書20:25.26

前のブログで、子どもが子どもらしく時を過ごす大切さを書いた。「人を知り人を生かす」という本で、クリスチャンで精神科の医者である工藤信夫先生が次のように書いてあった。私の下手な表現をうまく代弁してくれているので抜粋する。

題は力の危険。「親と子、一方があまりにも強すぎると、他方は力の均衡を保つことさえ困難となって防御に回る結果となり、自我の開花は著しく阻害されることもあるのです。…大切なことは、子どもに冒険や失敗、反抗や批判の余地が残されていることです。親は必要以上の過度の力を行使してはならないし、子どもたちから選択の機会を奪ってはならないのです。」

私の場合、母親の価値観を押し付けられ、反抗し続けたが(中学から母が亡くなるまでだったので疲れた)、反抗できなかったら、自分を確立出来ずに、アイデンティティーもなく言いなりになって、何もなかったかもしれない。親は不完全だが、いつも子どもは神様から与えられた、自分とは全く違う存在として、受け入れ、教えられ、その子どもの良さを発見させてもらうことが大切かもしれない。親の力を過度に行使せず、親として子どもに育ててもらうのかもしれない。

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2008年8月19日 (火)

限りある時間の中で、私がしたいこと

『この天地は滅びます。しかし、わたし(イエス)のことばは決して滅びることがありません。…目をさまし、注意していなさい。その定めのときがいつだか、あなたがたは知らないからです。…主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。』マルコの福音書13:31~36

3年前まで、パートで働いていた。仕事は、なかなか覚えられず、みんなに助けられていたが、それでも3年位続けていると、シフトの一部となっているので、なかなか止められないと思っていた。その頃、乳ガン疑惑が出た。天国行くのかなぁと思ったら、今限られている時間、自分が本当にしたいことは何か考えた。そして、仕事を止めた。

母は53歳で天に召された。私も限りなく、その歳に近ずくと、地上では後、何年生きられるかと考えてしまう。若い時は、時間も健康も無限にあるような気がして、大切にするなんて考えなかった。が、だんだんその限りがあることを痛感すると、今しか出来ないことをと思う。

かつては自分自身が生きていくこともしんどかった私だが、神様に拾ってもらい、癒され、自由と喜びが与えられた。今、限りある中、私がしたいこと、それは恩返し。私が神様の中で、生き返ったように、私自身の労力、能力、祈り、時間、健康、すべてを持って、人に仕え、誰かが慰められ、励まされ、癒され、生かされるお手伝いをしたい。

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2008年8月18日 (月)

さすらい人が、その咎(とが)赦され、変えられる

『主(神)はカインに…仰せられた。「…あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」カインは主に申し上げた。「私の咎(とが)は、大きすぎて、にないきれません。…私はあなたの御顔から隠れて、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。…」』創世記4:12~14

アダムとエバの子ども、カインは弟アベルを妬み、殺したときの神様との会話。カインの咎の故、神様との関係が切れさすらい人となった。

私もかつては、さすらい人であった。生きる意味がわからず、目標もなく、自分に価値を見い出せず、さすらっていた。東京に住んでいた頃、渋谷の公園や、クラシック音楽喫茶に行っては、何のため生きているかと、日記を書いていた。
すべてが虚しく、うつろで、孤独に満ちていた。

親からたくさん受け入れられて、理解されて育った人は、こんなさすらい人の気分はないのかもしれない。けれど、私は新しい天の父にもう一度、赦され、受け入れられ、愛され、生きる目標を見つけ、自分の価値を見い出し、愛に満たされた。

『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。』第2コリント3:18

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2008年8月15日 (金)

一羽のすずめさえ、忘れられていない、恐れることはない

『5羽の雀(すずめ)は2アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。』ルカの福音書12:6

私は父の仕事の関係で、小学校を3回転校したので、記憶に残ってることが何年生のときのことか、よく覚えている。小学3年のとき、登校班で学校に行く途中、死んだ雀を見つけた。そんなことが子どもの私たちにとっては一大事なことだった。友人と「学校から帰ったら、埋めてお墓を作ってあげないとね。」と話した。そして、帰ってから急いで埋葬してあげた。

その頃、子どもの私には毎日が楽しく、心配もなく、「これが幸せってものなかぁ」と子ども心に思った。それから、一年もしないうちに、父が病気になり、私のささやかな幸せと感じていた家庭は崩れていった。

♪一羽のすずめさえも神様に忘れられず♪というような賛美歌がある。市場で最も安く売られてる雀さえ、神様には覚えられている。ましてやあなたがた一人一人を忘れる訳がない、恐れることはないと言っている。

私も父の病気、家庭の崩壊、自己否定、孤独、迷いと転がるように闇に入っていったが、神様に忘れられず、今、そのマイナスの時にあまりある神様の愛による癒しと慰めの中にいる。

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2008年8月13日 (水)

忍耐をもって走る生活の中に、励ましと支えを沢山見つけられますように

『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。』ヘブル人の手紙12:1

マラソン選手は、沿道から聞こえる声援に励まされ、苦しいけれど、頑張って走る。どんな競技にも、応援はつきものだ。

私たちの生活でも、小さな応援が大きな力になる。最近、私が嬉しかったのは、友人が「いつでも愚痴聞くからね。」と言ってもらったことだった。

うちの子どもは将棋をしているが、調子が良いとどんどん一人で進む。が、調子が悪くなると何をやっても勝つ気持ちがしなくなるらしい。マネージャー役の主人は、そこで、絶妙なタイミングで、何気ない励ましの声をかける。そして、後ろ向きの子どもの気持ちが戦えるように助けていく。

ときには、生活で走るのに疲れる、そんなときがあるかもしれない。忍耐して走れるそんな励ましと支えがありますように。

私も楽しくブログを続けさせてもらってるが、主人がいつも、来てくれた人の足跡をみて報告してくれたり、声かけしてくれたり、管理人といろいろ工夫してくれたり。今日は、記録用の厚いノートを買ってきてくれた。

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2008年8月12日 (火)

終わりがくる前に、傷ついた人は癒されて、愛情が豊かに受けられるように

『この天地は滅び去ります。しかし、わたし(キリスト)のことばは決して滅びることがありません。…人の子(キリスト)が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。…だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。』マタイの福音書24:35~42

「クリスチャンの信仰は終末に焦点を合わせていくものだ。」と愛読の信仰書に書いてある。すべてを捨てて、未開の地へ宣教に行く人たちは、この世の中よりやがてくる新しい地への希望を強くもって揺らがないと聞いたことがある。

揺らぎっぱなしの私の終末信仰はいずこに…という感じである。が、私は生きながらにして、地獄と天国を味わってきた。親とよい関係を結べず、孤独のどん底にいたところから、神様の愛情に癒されていく体験をした。人は愛情無しには生きられないし、親子関係の中で、人の愛情センサーが壊れてしまった人は、直さないと良いものを受けとれない。

この世に終わりがくる終末信仰に立っているかクリスチャンには問われている。しかし、クリスチャンでなくとも、この世の終わりは全ての人にとって、肉体の死をもってやってくる。

終わりが来る前に、人が人として愛され生きていく存在だという体験が、傷ついた人たちに癒しが与えてられ、豊かにあってほしいと願う。

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2008年8月11日 (月)

耳が開かれて話せるようになる

『人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるように願った。そこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ。」すなわち、「開け。」と言われた。すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった。』マルコの福音書7:32~35

赤ちゃんは、「あー」とか「うー」とかしか言えないけれど、周りの人たちの言葉を沢山聞いて、話しが出来るようになる。うちの子どもは、言葉を話せるようになるのがとても遅かった。それでも、主人と私が話しを始めると、そこに割り込んできて、訳のわからない言葉で、一緒に会話に参加したものだった。

言葉を話す、それは聞くということと深くつながっている。どのようなことを聞き続けているかが、どのようなことを話せるかにつながる。

イエス様は今日も私に「エパタ。」と言って私の耳を開かせ、神様の知恵を聞かせてくださる。いつも人の心の声が聞こえるように、そして神様からの励ましの声が聞こえるように祈りたい。

『神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。神である主は、私の耳を開かれた。』イザヤ書50:4.5

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2008年8月 8日 (金)

誉めて認めて、高め合う

『親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。』箴言16:24

私の主人は、とても誉め上手だ。私が何かやってることに対しても、さりげなく誉めてくれる。誉められて嬉しいのは、子どもだけではないのだなぁと思う。私はそんな主人に「パパは誉め上手だねぇ。嬉しくてやる気がわいてくる。」とフィードバックする。

人の言葉は、殺しもし、生かしもする。子どもが小さいとき、私はつい「うちの子どもは運動が苦手なんだよねぇ。」と子どもの前で言うと、すかさず、主人が「そんなことはない。いいセンスをもっている。」とか「練習すると、すぐに上手くなる。」とか言う。確かに、私は親から「お前はだらしない。」とか「女のくせに。」とかいろんなことを言われて縛られてきた。「この子は運動が苦手」と言い続けていたら、そうでなくても、そう信じ込んでしまう。人は信じたように行動する。どうせ信じてもらうなら、「やれば必ずできる」そんなチャレンジ精神を持った子どもに育てたい。

自分も誉める、人も誉める、子どもも誉める、良いところや可能性を認めあったら、みんなが嬉しくなる。

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2008年8月 7日 (木)

命を与え、養い続けてくれる神様

『神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。』詩篇139:17.18

結婚して、4年間、子どもが与えられなかった。あまり、考えないようにしていた。が、ある夜、目が覚めて、お祈りした。「神様、私も母親になりたいです。養子でもよいので、母親にしてください。」次の月に妊娠していた。

つわりがひどく、胃液を吐いていた。水すら飲めず、そういうこともあるんだなぁと思った。一週間、入院し、点滴をした。ひどいつわりだったが、ベットの上でこの聖書のことばを思いめぐらした。神様によって人は命与えられ、産まれてくる。この命ほど神秘的で尊く、素晴らしいものはないと思った。

可愛い赤ちゃんだった我が子は、あっという間に大きくなり、母親をちょっとバカにしたり生意気になる。それでも可愛いくて仕方がない。

神様も私たちを子どもとして、いつも心配し、大切な存在として、変わることなく養い続けてくれている。

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親替えによって与えられた平安

『人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』ヨハネの福音書3:3

中学か高校の頃、私は生まれかわりたい願望があった。お風呂に入ると、「ここから出たとき、別人になっていたらいいな。」とよく思った。

そして、神様にあって私は生まれ変わった。地上の父から、天にいるお父さん(神様)に親替えした。天のお父さんの価値観、教育、養いのもと、生きるようになった。

厳しいと思える訓練もあったが、愛されているのを感じてきた。

『主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられる…。…これによって訓練された人々に平安の義の実を結ばせます。』ヘブル12:6~11

かつては心の中が様々な傷でいっぱいで、どうすることも出来なかったが、天のお父さんの訓練の中、気がつくと、心の中が平安に満ちているようになった。

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2008年8月 6日 (水)

心配するより、安心して過ごせた時

『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。…あなたがたの天の父(神)は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』マタイの福音書6:31~33

6年前、突然主人が会社をやめ、転職すると言う。私にとってはあまりの突然でショックだった。家のローンもあるのに、どうするの!?

その夜、私は神様に祈った。「突然すぎます。心の準備もお金の準備もありません。どうしたらよいでしょうか。」そのとき、神様からこの聖書のことばを言われた。なんだか、見通しはないけど、神様が養ってくれるという安心感がきた。また、私が日頃、頼っていたのは神様でなく、主人のお給料だったことにも気がつかされた。

主人の転職までの一年半はいろんな有意義なときとなった。子どもがいながらにして、私はパートに働きに出られた。主人はいろんな勉強をして、沢山の資格をとれた。アビリンピック(障害者技能大会)にも出られた。子どもの習い事には、2人でついて歩き、見学した。姉の結核で、家をあけたときは、主人がこどもの面倒を見てくれた。経済的にも守られた。主人、無職ではあったが、特別な楽しいときを過ごすことが出来た。

聖書のことばが真実であると、教えられた時だった。

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子育てをする親が自分の自尊心を保つ方法

『私たちの齢(よわい)は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。…それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。…どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。』詩篇90:10~17

結婚したころ、主人は優しかったが、まだ、心の傷が完全に癒されていなくて、現実に与えられてるものが見えず、実りのある働きをしないことを嘆いていた。その頃の私の祈りが、この「手のわざを確かなものにしてください。」だった。

子育ての最中、親は子どもの成長を見ていく楽しみがある。子どもが何かうまくいくと、自分のことのように嬉しいし、失敗すると自分のことより、辛かったりすることもある。

ある講演会で、講師の方が次のように言われた。「子どもが誉められるとお母さん自身の自尊心が高まる。が、落とし穴になる。知らないうちに母自身のため、子どもをがんばらせたりする。共依存の防止が必要。お母さん自身の自尊心を子どもの結果以外のところ(働くとかボランティアとか)で持ってください。子ども以外でお母さんも認められ、誉められて、自尊心を高めてください。」

母であっても、また、一人の人間として、私自身の手のわざを確かなものとしてくださいと祈りたい。

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2008年8月 4日 (月)

あなたに計画されていることは、わざわいではなく、将来と希望を与えること

『わたし(神)はあなたがたのために立てている計画をよく知っている…それは わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』エレミヤ書29:11

何のために生きているのだろう…そんなつぶやきを繰り返している人がいるかもしれない。主人は、学校でいじめられていたとき、「死にたい」というより、「消えてなくなりたい」と思ったという。

今、いじめられていたり、不登校だったり、引きこもっていたり、うつ病だったり、前に進めず、そこにいる人たちのことを思う。

何のために生きてるのだろう…神様は聖書を通して、それは、苦しむためでなく、幸せになるためなんだよと語り続けている。

途方もない重い荷物を抱えて立ち止まっている人の話しを聞くときに、いつもこの聖書のことばを思う。もし、人々によって追い込まれ、苦しんでいる人がいるなら、そこから連れ出し助けることも、また、人に委ねられていると思う。

苦しむ人たちのために祈り続けたい。みんなの関心がそこに集まったら、みんなの少しずつの力で何か出来るように、私は思っている。

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母への怒りが別の人に投影される傷が癒されて

『そして(キリスト)は自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』第1ペテロの手紙2:24

昔、神学校時代、共に学ぶ学友がいた。男性の人で、有名な大学を出たような人だった。普段、会話をしていると普通なのだが、怒りだすポイントがあった。それは、女性との会話から支持、命令のようなものを感じとった瞬間に起こった。始めはびっくりしたが、きっとお母さんからひどくプライドを傷つけられて育ち、女性との会話で、そこの部分が出るとその人のお母さんに対する怒りが私に投影され、爆発するのだと理解した。

私も母への怒りが吹き出すポイントの場面を持っていた。それは、やはり誰かに命令されることだった。多分、母の一方的な命令に屈した怒りなのだったと思う。それが、仕事先でも、先輩でも、命令された瞬間、母への怒りが出るのだから、どうしようもない。傷だらけの扱いにくい者だったに違いない。

その怒りが目の前の人でなく、母からの傷だと気がついたとき、癒しは始まった。

あなたが、もし、何か不自由なポイントを持っているとしたら、親からの傷が癒されていない場合が大きい。気がつくことが癒しにつながる。その根本のところの傷がいやされ、自由になれますように。

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2008年8月 3日 (日)

母、妻の役割が終わったら、どんな自分が残るのだろう

『たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。…私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。』第2コリント4:16~18

美容室に行くと雑誌を鏡の前に持ってきてくれる。「50代を生き生きと過ごす」などというタイトルの雑誌である。その中で印象的な記事があった。

50代、女性は子育ても一段落し、子どもも離れ、若さも健康も失い、仕事や、やがては夫も失い、喪失の時代に入る…という内容だった(一般雑誌だから、そんなストレートではなかったかも)。なるほどと思った。独身時代は女性としての部分、子育てのときは母の役割が強い。また、夫婦のときは、妻としての役割もある。けれど、いろんなものがなくなっていくとき、何としての自分がいるのか?

その記事を読んで、私は生きていこうとした出発が全ての喪失から始まっているので、基本的にいつも人間とは…みたいなところが凄く大きく占めている。女性、母、妻の自分を喪失しても私の生活や考え方はあまり変わらないのかなぁと思った。

主人は「君は家にじっとしていたからといって、家事はやらないだろう。だったら、どんどん外に出て人と関わっていたほうがいいよ。」と言う。すでに現役ながら、主婦の部分はかなり放棄させてもらっている。

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2008年8月 1日 (金)

恐れと不安があなたをおおうとき、ともにいて、助けてくれる友がいますように

『恐れるな。わたし(神)はあなたとともにいる。たじろぐな。わたしはあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』イザヤ書41:10

姉は私と違っていつも堅実な生活をしてきた。私は母からよく「姉ちゃんを見習え」と言われたものだ。そんな姉も、人生の岐路に立たされたときがある。母が末期ガンと言われ、高校卒業以来長年住み慣れた東京の生活に別れを告げ、田舎に戻ることになった。

看護師の仕事も友達も楽しみも住み慣れた東京の場にあった。田舎に戻ってどうなるんだろうと思ったに違いない。そのとき、神様からこのことばで励まされたと、大きな紙に書いて貼ってあった。

そんな姉は、母と父を天国に見送り、今、田舎で看護師パートをしながら、愛犬シーズと楽しく生活している。

恐れや不安があなたをおおうとき、神様の守りがありますように。恐れや不安をもつあなたの横にともにいて、助けてくれる友がいますように。

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2008年7月31日 (木)

平和にまさるものはなし

『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。』箴言17:1

私の家族は父が病気になり、母は精神的に一人で家を切り盛りした。かつては父に文句も言わず、黙って従っていくような慎ましかった母は、外で働くようになり、みるみるうちにたくましくなっていった。離婚もせず、家族のために働いてくれた母には感謝しているが。

母は家で、父の行動を口うるさく注意するようになった。けんかというのではないけれど、穏やかな家庭ではなかった。早く家を出ていきたいと自立を願ったし、家を出てからは、帰ってきても長くはいたくないと思った。

今、主人と子どもとの私の家庭は、けんかもなく穏やかである。それが当たり前ではない、尊いことと深く思う。かたずいてない部屋だけど…と思うと、いつもこの聖書のことばを思いめぐらし、平和な家庭を支えてくれている神様に感謝している。

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自殺願望をもったエリヤに神様がしたこと

『彼(エリヤ)は、…自分の死を願って言った。「主(神)よ。もう十分です。私のいのちを取り去ってさい。」…主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。』第1列王記19:4.7

ときとして、人は大きなことをした後、精魂尽き果ててしまうことがある。エリヤは信仰の人で、バアルの預言者450人を一人で相手にし、どちらが本当の神か戦いをし、みごと勝利を治めた。

そんな英雄エリヤは、その後、命を狙われ、「もう駄目だ」と神様に自殺願望を話す。

エリヤに神様がされたことは、何か特別なことではなかった。食べて力をつけさせることだった。

私の息子は基本的に能天気なタイプだが、小さいときから、お腹が空くと人生ブルーになり、悲しくなる。親は「大変だ。食べ物、食べ物」と慌てる。食べるといつもの明るい子どもに戻る。

人生疲れ果てて、死んでしまいたいと思うときがあるかもしれない。そんなときは、まず、よく休み、食べることかもしれない。旅は続いている。ゆっくり、歩けばいい。

神様、自殺をしたい程に苦しんでいる人がいるのなら、誰かを送ってください。その疲れが少しとれるように、休み、食べられますように。そして、旅の途中でしかないことを思い出させてくださり、新しい力を与えてください。

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2008年7月29日 (火)

祈りが聞かれ、母の死を賛美の歌で送る

『何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。』第1ヨハネの手紙5:15

母は亡くなる前にイエス様を信じ、いつ、天国に召されたてもおかしくない状態が続いた。私はひとつのことを神様に祈り、願った。「神様、人は死んでいくとき、最後まで機能しているのが耳だと聞きました。どうか、母が天国へいくときは、私の賛美の歌で母を見送ることが出来ますように。」

それから数日たった夜中、母の病室に一緒にいた姉から電話がかかってきた。母が危篤という。すでに電話を受ける前に、私の中ではひとつの賛美の歌が流れていた。

病室で医者が、「ご臨終です。」というと同時に私は母の耳もとに近づき、ずっと私の中で流れていた賛美を歌った。

♪主イエスをほめよ、主イエスをほめよ、主イエスをほめよそのみわざを。我を罪より、救いあがない、主イエスをほめよ、そのみわざを♪

殆んど口ずさんだことのない賛美だったが、本当に母を送るのピッタリな歌だった。神様は母の死に際して、様々な祈りを聞いてくれた。

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2008年7月28日 (月)

自分を受け入れる中で広がる人との関わり

『イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。それから その弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。』ヨハネの福音書19:26.27

イエス様が十字架の上から母マリアと弟子ヨハネに言われたことば。自己中心を捨て、赦された者の新しい人間関係の象徴である。

私は母が召されたときは、「母さん、天国でまた会おうね。」と泣くことはなかった。その一年後、主人の実家でお正月を過ごしたとき、いつも一緒に正月を過ごした母はもう居ないんだと思い号泣した。そして母に出来なかった親孝行、誰かにします…と 祈った。

今日、地区婦人会に参加した。母ほどの年齢の人たちと、ゆったりとした楽しい一時を過ごす。最近、20歳位年上の人たちと関わりを持たせて貰うことが多いが、年齢を越えて、共感しあえたり、分かち合えたりが楽しい。自分が赦され、自分を受け入れる程に、違う人たちとの出会いが楽しい今である。

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思いわずらいを祈りと願いに変える

『何も思いわずらわないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』ピリピ人への手紙4:6.7

子どもは小さいときは、くよくよ悩まない。頼りになるお父さんやお母さんのもとで、安心して暮らす。何か困ったことがあっても、家族の人が考えてくれる。

私はかつてはかなり心配症だった。頭の中は何かをいつも心配していた。そのなごりか、口うるさくいう私に小さかった我が子に「ママは心配症なんだから。大丈夫だよ。」とよく言われた。

心配や思いわずらいを自分の中に留めておくのは、事を解決しない。心配を自分から、任せられる方に置く。それが私にとっては祈りであり、その与えられているときを、精一杯生きるときとなる。

あなたの思いわずらいが、願いと祈りに変わり、安心が心に訪れますように。

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2008年7月27日 (日)

傷と痛みも神様の栄光のため

『「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」』ヨハネの福音書9:2.3

主人は3歳のとき、牧草用の機械に手を巻き込まれ、右手を失った。お母さんは、何でも一人で出来るよう、しっかり育ててくれたので、何でもできる。パソコンは独学で勉強し、障害者大会で世界3位になった。私などより、はるかに努力家で能力がある。

主人は手を失ったこと以上に辛かったことがある。それはいじめを受けたり、差別や偏見を受けてきたことと思う。右手がない現実ではなく、人が作り出してきたもので苦しんだ。

そんな主人は、上記の聖書の言葉をもって話す。「自分が障害の痛みがなかったら、そつなく何でもやって、神様の慰めや憐れみの世界は知らなかったかもしれない。」主人は神様の愛情を受け、喜んでいる。神様のしてくださった恵みに感謝している。

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2008年7月26日 (土)

人は生きたように死んでいく

『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主(神)は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』ヨブ記1:21

「人は生きたように死んでいく」と誰かが言っていた。そうなのだと思う。生きた断片がそのまま仕事や人との関わりや、せざる終えないボランティアやそのまま出る。その生き方がそのまま、年をとった自分に表れ、死に様にでる。今の生き方のあり方がいつもどこにもつかながっている。

私は母の死を見て、自分が死ぬときは、神様と周りの人たちに心から感謝したい、そして私の死事態が人の慰めと希望につながってほしいと望んでいる。

裸で生まれ、裸で帰る。神様のところに戻ったとき、心の綺麗な自分となって、神様と出逢いたい。

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何度も話す女性の会話の大切さ

『あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。』エペソ人への手紙5:33

主人に、どうして女性はそんなに長電話できるか、不思議がられる。息子までが「ママ、長電話終わったの?」と言う。

ポール・トゥルニエという医師で、心理療法の専門家の人が、「結婚の障害」という本で次のように言う。「男性と女性の会話のもつ意味が違う。会話を通して男性は考えと知識を表現する。女性は感情、情緒を表現する。なぜ妻が、自分の体験を何回も語るかを説明する。夫に報告するためではなく、情緒的な緊張を和らげるため、もう一度話す必要があるのである。」

仕事でお疲れのご主人を妻が優しく迎えられたら素晴らしい。が、妻の話しをよく聞いてあげるだけで、妻たちは明日からの育児も頑張ろうと思えるのだと思う。それが、夫の大きな育児参加となるのだろう。

ランチ産業は盛んだなぁと思うが、夫に聞いてもらえぬ愚痴をランチしながら、友人に聞いて貰うのは、女性のたくましい知恵とも思う。

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自己否定の子どものつくり方、治し方

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。』イザヤ43:4

私は20才のときには、100%自己否定、自己嫌悪の人間だったので、自分の生育を振り返り、人はどうやって、否定感を養っていくのかわかる。私の母は、鬼のように怖い訳でも、厳しい訳でもなく、きっと愛情深いほうだったと思う。ただ、不幸なことは、私が父親似だったので、母との価値観が水と油のように違っていたことだった。自分の思いをいくら話しても母には理解できない。理解されないということが一番つらかった。まるで、四角の自分が、丸い入れ物に無理やりいれられ、お前はお前であるなと言われ続ける、否定され続ける感じだった。

今、100%自己肯定感のある私は、弱く足りないところはあるけど、大丈夫。私だけの良いところもたくさんある。良いところも足りないところも神様が見る目と同じ目線で、私は両方含めて大切な存在と思える。子どもを理解し、認め、褒めて褒めすぎることはないと私は思う。

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ブログを見に来てくださった方に神様の慰めがあること、祈っています

『ことば(キリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた。』ヨハネ1:14

ブログを始めて、私の生活は変わった。朝、主人の弁当を作りながら、今日は何を書こうか、気がつくと考えている。パソコンを開けない私は主人が帰ると、パソコンを開いてもらい、ブログに訪問してくれた足跡を見て、感謝する。夜は今日ブログを見に来てくれた人(誰かはわからないけど)に、神様の言葉からの慰めがあるよう祈る。

そして、日中は携帯を打ちまくっている。この夏は、パソコン一人で開けるようになりたい!

つたない文を読んでくれて、ありがとう。私の中には、いろんな知恵やアイデアは乏しいが、神様のことばを紹介できるのが、何よりうれしい。イエス様が私の生活に入ってこられ、優しく語って私を生かしてくれたように、あなたを慰めてくれることを、祈っています。

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子どもの不登校で、変えられた私の祈り

『わたし(キリスト)が来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。』ヨハネの福音書10:10

子どもが小学4年のとき、先生と合わなくて、毎日のように、「ママ、なんで学校いくの?どうして勉強しなくちゃいけないの?」と問われた。「ママは20才のとき、何のため生きるか悩んだけど、あなたは今その問いにぶつかったんだね。答えがわかるように、神様に祈ろう。」と一緒によく祈った。

ある日とうとうベッドに体を丸めて、「学校、行きたくない。」と言う。「じゃ、なんて連絡帳に書けばいいの?」と私は泣いていた。主人が「明日も学校休んだら、校長に話しをしに行く。」と言うと、子どもはシャキンとなって次の日、学校へ行った。が、すでに体調悪いとかなり休んだ後だった。

それまで、子どものことは順調で悩んだこともなく、ピアノが上手になるようになんて、のんきに祈っていた。が、それを境に、子どもがイエス様に会えるよう、神と人に役立つものになるよう、私の子どもへの祈りは変わった。子どもの人生に何が必要か、教えられた。

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主人、天国の入り口にいく!?

『私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。』ピリピ人への手紙1:21

主人は二十歳のころ、トラックと自家用車の正面衝突で死にかけた。医者に駄目かもしれないと言われていたころ、主人は臨死体験をしていた。

体が宙に浮いて、病室の自分や家族が見えて、やがて、しばらくいくと光に包まれたらしい。とても居心地よく、ずっとそこにいたいと思った。母親から名前を呼ばれ、戻ってきたらしい。

「そこで死んでいたら今の私たちの家族はなかったよね」と話す。一度、死を体験した人は、命の与えられているありがたみを思い、人のために生きたいと強く思うと、テレビで見たことがある。そんな主人は、家事の苦手な私のために、むち打ちで痛めた腰を抱えたときも、命がけで洗濯物を干していた。

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2008年7月24日 (木)

祖母が嫁から受けた傷が癒される

『そして(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』第1ペテロの手紙2:24

姉が結核になったとき、祖母ははじめ、ご好意で母方の親戚に預けられた。祖母には遠い昔の古傷が心にあった。それは、嫁である私の母にじゃけんにされたことらしい。私には真意はわからないが、祖母は傷つき、自分も気がつかないうち、その話しを繰り返すようになっていた。その結果、その親戚の家から別の親戚の家に移された。そこは母の姉の家だった。同じく愚痴ともならぬ昔話をし、その家からも遠慮の申し出があった。

祖母と話した。「ばあちゃん、母さんが悪いことしたなら、ゆるしてやってくれないか。」祖母は「私は天国に行った人は悪く思ってないよぉ」「それじゃ、私と祈ろう。後に続いてね。母さんのじゃけんにしたのを、イエス様の十字架で赦します。ばあちゃんの傷を癒してください。」

共に祈った。そのときから、祖母は母である嫁の話しはしなくなった。上手に明るく年老いている。

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母の夢に現れたイエス様

『わたし(イエス)の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです。』ヨハネの福音書14:2.3

母は危篤状態の酸素マスクをして、イエス様を自分の神と信じた。次の日、不思議と元気になり、姉に話した。
「昨日の夜、イエス様がなぁ、夢に出てきてなぁ、私に向かって言うんだっけ。「そっちは人少ないでしょうが、こっちには沢山いますよ。」って。イエス様はなぁ、モンペみたいなのをはいていて、後ろに沢山の人がいるんだっけよぉ。」それから20日後、母は天国に召された。聖書も読んだことのない母だったが、夢で会ったイエス様の言葉を信じ、安心して、旅立ったに違いない。

『朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。』第1コリント15:54

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家がつぶれてしまわないように祈る姉

『私たちは…悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。』第2コリント人への手紙6:10

私より3歳上の姉もクリスチャンで、秋田で看護師のパートをしながら、シーズー犬と暮らしている。そのシンプルな暮らしぶりが実に見事である。

「母さんが死んだときは、とにかく荷物が多くて、かたずけるのに苦労した。私は一人暮らしだから、誰かに迷惑はかけたくない。」と言う。そして、その家に帰るたびに、家具がなくなり、古い家は広くなる。中古の車が壊れて道の真ん中で止まったり、シャワーが壊れて、直すためお金を貯めている話しを楽しく話す。私もいるときは、「出かける前には、古い家がつぶれないよういつも祈るから、今日はお前が祈ってくれ。」という。祈りのスケールが大きい。

そんな姉が「神様は、私が父でもあるが、また、あなたの夫であり、あなたの友だ。」と神様から言われた、一人ではないと安心していた。

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2008年7月23日 (水)

求めるならば、与えられる

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』マタイ7:7

前に書いたように、かつて私は何のため生きているのかわからず、悩んでいた。親にお金を出してもらったが、大学3年の終わりに、親に内緒で大学を中退した。そのことは後々母をひどく悲しませてしまった。

私の求めていた生きる道は、大学を辞めなくとも、見つかったかもしれない。けれど、不器用な私はそのようにしかできなかった。

母が召される前、私は母への最後の手紙にこう書いた。「母さん、あのとき大学中退して、悲しませて、ごめんなさい。でも、求めていた私の生きる場所が見つかったよ。今、幸せです。」

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神様が結核をも益とされた

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』ローマ人への手紙8:28

「明日、入院するから、今すぐ、来て。」と姉から電話がきた。結核なつたとのこと。私はすぐ新幹線に乗り込み秋田に帰った。

姉は次の日、入院した。私は姉と同居していた祖母の行き先を隔離病棟に入院している姉と相談した。

3回ほど、秋田に戻った。祖母の居場所は2転3転したが、ちょうどよい時、良い場所に決まった。その頃はちょうど祖母を一人家において、姉が働きにでる限界のときだった。姉の結核が長引き、倍率高い市内のホームに入ることができた。姉は現実の生活から切り離され、神様と二人っきりになり、特別なときだったと言う。心に癒しがきて、これからの人生の軌道修正のときだったらしい

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神業の中で家庭を保つ

『人(アダム)にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。そこで神が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り…一人の女(エバ)に造り上げ、その女を人(アダム)のところに連れて来られた。』創世記2:20~22

何故、神様は男と女を創られたか?未知なる異性の前に、人は半分しか分からない存在で、すべてを知ってる神様の前で謙虚になるためだと誰かが言っていた。
夫婦は、もともと他人で、しかも未知なる半分なのだから、そこで一緒に生きていくのは、神業なくしてあり得ないのかもしれない。

私は結婚したばかりの頃、かなり夫に優しくなかった。ゴミのことかで喧嘩になり、主人は荷物をまとめて、出ていこうとした。そのとき、結婚式の「あなたは病めるときも妻を愛するか」という誓いを思いだし、主人は出ていくのを思いとどまったと言う。

欠けだらけの私が、平和な家庭を築けてるのは、私の力でなく、ただ、憐れみの連続なのだとそこに神業をみる。

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2008年7月21日 (月)

あなたは必ず癒される

『おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。』エレミヤ書31:4
母は2番目の子どもは、男の子を切望した。女であったので残念がったし、「お前が男の子だったら」とため息まじりのぼやきをよく聞かされた。当然、子どもの私は、自分が女であることに否定的になった。スカートははかない、男は敵対するもの、自己否定は歪んでいた。
結婚して、主人は私の女性の欠けを責めることなく、受け入れてくれた。女性である前に、パートナーとして、互いがカバーすればよいと考えてくれた。いつの間にか、私は幼少時代の『女であるな』という暗示から解かれ、女性であることを受け入れ、感謝できるようになった。

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父の死、そして和解

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。』伝道者の書3:11

私が小4のとき、父の精神病が発病してから、私は父を受け入れられなかった。生きていながらにして、私の心では父は不在だった。
母が召され、3年後父も天国に召された。父の告別式のとき、部屋に入るとき、どこからか「頑張れよ、頑張れよ」と声が聞こえた気がした。私には父と母の天国からの声に聞こえた。告別式の最前列で私は最初から最後まで泣き通しだった。まわりはお父さんとの別れを悲しむ娘に見えたに違いない。しかしそうではなく、父への感謝の涙だった。病気を発病するまで10年間、父は私たち子どもをとても可愛がってくれた。10年だけだったけど、それで充分だった。やっと止まっていた時計が動き始めるよう、その後の病気も私との関係も仕方なかったのだと受け止められたときだった。父さん、育ててくれてありがとうと心で感謝した。

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2008年7月20日 (日)

母の死の慰め

『こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。』第1コリント13:13

母は53才で天国に召された。胃ガンだった。母は姉に「私はもう駄目なのか」とよく聞いた。看護師の姉は「母さん、人はいつか皆死ぬんだよ」と言った。誰もが迎える死だが、絶望的で恐れがおおう。母は酸素マスクをして、死にそうな中、イエス様を救い主と受け入れた。そのあとは天国に召されるまで、病室は賛美と祈りの中にあった。最期は私の賛美と皆の祈りで見送った。「母さん、また、天国で会おうね」母とは仲が良くない私だったが、最期は静かで平和で慰めのときだった。母のように死にたい…母から貰ったものだった。

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私の身代わりの死

『そして(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』第1ペテロ2:24
3年前、胸が痛くて検査した。乳ガン悪性の疑いと出た。私の母は53才で亡くなっているので、世話する必要がある人がいるうちは、天国に行かないようにと祈ってきた。不思議とそのときは、悲観せず、いよいよ、天国に行くのだろうかとなんか前向きだった。そんな私に主人は「僕は沢山の病気があるから、そのガンも君じゃなくて、僕だったらよかった。」と言ってくれた。日頃、病気知らすで、主人の病気に優しくない私だったが、心底からそう思って言ってくれる主人の言葉に泣けた。そして、イエス様は私の負いきれない私の罪の裁きを身代わりに受けてくれたのだと改めて思った。私の乳ガンは6か月検査して、その疑いなしと結果が出た。

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赤いドライヤー

『友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。』箴言17:17
神学校を卒業した私は教会に就職した。が、心の中に沢山の傷が渦巻いていて、誰かの役にたつどころか、明日はどうやって生きていけばよいかとゆきずまっていた。全てがうまくいかなかった。元気のない私は、姉と会い、一緒に食事をした。何か欲しいものはないかと姉に言われ、赤いドライヤーと食料を買ってもらった。両手にドッサリの食料がありがたかった。「姉ちゃん、ありがとう。」というと姉は「お前にはなにもしてやれないから。」とポツリと言った。何もしてやれないと、何も言わず、寄り添ってくれる姉がありがたかった。本当の慰めは何も出来ないけど…そこから始まるのかもしれない。赤いドライヤーはついこの前まで20年使いきった。

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あなたの呪縛が解かれるように

『『私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。』
マタイの福音書18:33~34
人からの呪縛、それは実は、その人を許さないことで、自分が獄吏にいれられている状態を言う。どうしたら、扉を開けてそこから出られるか? それは、許せない人を許す、その人に要求して、返してよという手を、その人から離すことしかない。支配されているのは、自分がつかんで離さないから。でも、私たちはわかっていても、自分で要求の手を離せない。神様だけが、私たちにその手を離させてくれる。私の癒しの始まりは、『母を赦します。私も赦してください』この祈りから始まった。
もし苦しんでいる人がいるなら、その呪縛が解かれるように、自由になるように祈ります。

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2008年7月19日 (土)

父母の呪縛から解かれる約束

『あなたの父と母を敬え』出エジプト記20:12
モーセが神様からもらった十戒(十の戒め)のひとつ。神様は生めよ、増えよと家族の祝福を語っている。子どもが両親から暖かい愛情で育てられるように神様はされた。が、人間は不完全。父、母を選んだわけでもなく、受け入れられず、親との絆が呪いのような鎖に変わることもある。キリストは人の不完全さをゆるし、その鎖を解くためにきた。私の父母からの呪縛も解かれた。心の癒しの始まりは父母との関係から始まる。誰にも理解されない父母との関係の苦しみを知って、解こうとしてくれる方がいる。

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