“主、ともにいます(インマヌエル)”
イエス様がどんなときもともにいてくださったことを思います。
『見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)』新約聖書 マタイの福音書1:23
イエス様はインマヌエル…神様は私たちとともにおられる…と呼ばれるとある。
私たちの人生の中にもいつもイエス様はともにいてくださる。
私の人生の節目のような出来事の中にもイエス様はともにいてくださった。
暗やみが心をおおい尽くし、もう生きていけないと思った日…主は「あなたが生きていくのではなく、わたしがあなたを生かす」と教えてくれた。
自分よがりの信仰を捨てなければならないとき、悲しくて、悲しくて3日泣いていたが、その大手術のような痛みの中、ともにいて慰めてくれた。
英語も韓国語もわからない中、韓国の断食祈祷院に神様のことばを求めて祈りに行ったとき、一度も一人きりにならなかった。
いつも、日本語を話せる韓国の人か、韓国語を話せる日本人か、英語を話せる日本人を一緒にいさせてくれた。イエス様がともにいて、そうしてくれた。
母が天に召されるとき、賛美の天使を送ってくださり、一緒に賛美で母を天国に送った。
私が握っているものを手放すとき、「これまでの苦しかった歩みは、あなたが手に握っているものを手放すためだったんだよ。今からわたしを受ける分としなさい。」と優しく語ってくれた。
親しい友人が、他の友人たちと私から去っていくとき、イエス様が苦しまれた十字架の道を見せてくれて、その私のための愛の大きさを教えてくれ、痛みをおおい癒してくれた。
イエス様は今までもともにいてくれたように、これからもともにいてくださる。
苦しいときだけでなく、嬉しいときも、何もないようなときすらも。
悲しい道、苦しい道、孤独な道…どんな道にもイエス様はいっしょにいてくださる。
イエス様は私たちを見捨てて、私たちを一人きりにはしない。
地上において、やがてこの肉体が朽ちていくとき、経験したことのない死を通るときもイエス様はともにいてくれて、その先の用意してくださる永遠の住まいに案内してくれる。
お一人お一人とイエス様がいつもともにいて、慰められ、支えられ、癒され、安心しますよう祈ります。
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