自分の体験

2009年11月20日 (金)

“主、ともにいます(インマヌエル)”

イエス様がどんなときもともにいてくださったことを思います。

『見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)』新約聖書 マタイの福音書1:23

イエス様はインマヌエル…神様は私たちとともにおられる…と呼ばれるとある。

私たちの人生の中にもいつもイエス様はともにいてくださる。

私の人生の節目のような出来事の中にもイエス様はともにいてくださった。

暗やみが心をおおい尽くし、もう生きていけないと思った日…主は「あなたが生きていくのではなく、わたしがあなたを生かす」と教えてくれた。

自分よがりの信仰を捨てなければならないとき、悲しくて、悲しくて3日泣いていたが、その大手術のような痛みの中、ともにいて慰めてくれた。

英語も韓国語もわからない中、韓国の断食祈祷院に神様のことばを求めて祈りに行ったとき、一度も一人きりにならなかった。

いつも、日本語を話せる韓国の人か、韓国語を話せる日本人か、英語を話せる日本人を一緒にいさせてくれた。イエス様がともにいて、そうしてくれた。

母が天に召されるとき、賛美の天使を送ってくださり、一緒に賛美で母を天国に送った。

私が握っているものを手放すとき、「これまでの苦しかった歩みは、あなたが手に握っているものを手放すためだったんだよ。今からわたしを受ける分としなさい。」と優しく語ってくれた。

親しい友人が、他の友人たちと私から去っていくとき、イエス様が苦しまれた十字架の道を見せてくれて、その私のための愛の大きさを教えてくれ、痛みをおおい癒してくれた。

イエス様は今までもともにいてくれたように、これからもともにいてくださる。

苦しいときだけでなく、嬉しいときも、何もないようなときすらも。

悲しい道、苦しい道、孤独な道…どんな道にもイエス様はいっしょにいてくださる。

イエス様は私たちを見捨てて、私たちを一人きりにはしない。

地上において、やがてこの肉体が朽ちていくとき、経験したことのない死を通るときもイエス様はともにいてくれて、その先の用意してくださる永遠の住まいに案内してくれる。

お一人お一人とイエス様がいつもともにいて、慰められ、支えられ、癒され、安心しますよう祈ります。

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2009年11月 2日 (月)

“私が弱いときこそキリストが現れる”

私が弱いときのことについて書きました。

『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。

ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』新約聖書 第2コリント人への手紙12:9.10

この世では強さが求められる。私たち自身も強くなることを願う。

しかし、聖書では、弱さの中にこそキリストの力が宿るとある。

私は今は、かつてより状況に左右されなくなったが、20代のときは、つまずき、ゆきずまり、動けず、倒れる…そんな繰り返しだった。

私が教会で働いていたときは、自分の心の弱さがとても表れていたときでもあった。

牧師の言動に傷つき動けなくなっているとき、一人の年配の友人から、「な〜んだ。弱いなぁ。」と言われ、ムッとしたことがあった。

彼は、牧師と戦っていた。「たとえ、無視されても、私は来続けますよ。」と、戦っていた。

何が正しいか、良いかはわからないが、一つの勢力に立ち向かう彼と、そこで萎(な)えていく私がいた。

私は確かに弱かった。

が、パウロが言う“自分の弱さに甘んじる”はまた、それとは違うのだと思う。

パウロは自分にある弱さ(肉体のとげ)に葛藤していた。イエス様に3度も肉体のとげを除くよう願った。が、それを最終的に、神様が許されたこととして受け入れた。

神様が、自分がごう慢にならないためのものと導かれ、受け入れた。

私は、自分の弱さをとても感じるときがある。反対にすぐいろんなことを忘れて自分が弱い存在だということを忘れてしまうときがある。

自分が弱い存在なのを受け入れているときは、弱く何もできないようで、実はイエス様に近いのかもしれない。

今は、自分の弱さを感じている時期で、そういうときは、人との交流も少なくなる。

けれど、そんな自分をイエス様が受け入れててくれていること、それでも変わることなく愛してくれていることのその恵みを感じる。そして、何もできないような中でも、主をあおぎ感謝している。

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2009年9月12日 (土)

“手を置いて祈った”

昨日、私は友人に手を置いて癒されるように願いました。

『イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。

すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。

「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」

イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。

すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。』新約聖書 マタイの福音書8:1~3

私は最近、誰かがどこか痛いと言うと、それがクリスチャンであろうとそうでなかろうと、手をおいて祈りたくなる欲求にかられる。

私に癒しの力が与えられていなくても、神様にあって癒してあげたいと思うようになった。

クリスチャンであれば、許可をもらって手を置いて祈る。

さっきまで、近くの個人宅で役員の人たちの飲み会があった。

10人ほど集まりにぎわった。

帰る時間も間近な頃、今、中学で2年間共に役員をやっている親しい友人と私は話しを始めた。

その役員の仕事で一番一緒にいる時間の多い友人である。

彼女が「パソコンの仕事をしているけど、首が痛くてつらい。腰とかから痛みが来ているらしく、整体に通っている。」という話しをとても詳しく始めた。

私は肩こりすらしない人間で、人のからだの痛みへの理解はとても鈍感である。

が、手を置きたい欲求で、彼女の話しを聞き入っていた。

彼女は言った。「“手当て”っていうくらいで、手を置くと違うんだよね。私も息子に手をあて、よく気を送ったりする。」

「どの返?私の場合、神様の霊によってなんだけど、手を置いて癒したいって思う。」と言って彼女の痛いという肩のところに手を置いた。

なんか神様の霊が流れている感じがした。

彼女も「流れてくるよ。首や手のひらがどんどん熱くなっている。」と言った。

彼女は気が流れていると理解していたが、私の理解は神様の霊が私を通して友人に流れているということだった。

「私にとっては神様のおかげなので、神様に感謝のお祈りしてもいい?」と言った。そして祈った。

「神様、癒してください。癒してくれてありがとうございます。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」

私は手を置きたかった話しを、彼女は私に手を置いてほしかった話しを分かちあった。

私たちはパイプ(管)であり、私たちを通して流れる分かちあいをした。

彼女は「遠くにいてもそれは流れていく。今もらったものを私はひとりの苦しむ友人に届くように願いながら送っている。」祈りを知らない友人の祈りを見た。

彼女とは長い時間一緒にいてきた友人だが、私が彼女の心を少し理解できたときだった気がした。

帰ってからも、私の彼女に置いた手はピリピリしていた。

話しにイエス様は出てこなかったけど、手を置いて癒しを願いたい人と、手を置いてもらい癒されたい人が一つになったときだった。

主よ。お心一つで、癒してください。あなたの愛する人を。

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2009年9月 3日 (木)

“父からの影響”(自分史7)

親から受けられなかった欠乏を神様は埋めてくれます。

『神よ。私を探り、私の心を知ってください。

私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、いなかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』旧約聖書 詩篇139:23.24

私が小学6年になるとき、私たち家族は再び転勤になり、小学1.2年を過ごした街に戻ってきた。

貸家を借りて、住んだ。母は外にパートに出るようになった。父は退院して、家にいたりした。仕事もしていたかもしれない。

病院から退院した父は人格が変わっていた。

かつては、とても知的で、社交的で、いつも子どもたちのことを一番に考えてくれる素敵な父だった。

精神をわずらい、薬のせいもあるのか、目の前の父は、出された食べ物を子どものことも考えずに食べるような人になっていた。

そのときの私は、変わり果てた父を受け入れられずにいたと思うが、何も考えないようにしていた。

父が変わったことに対する気持ちは誰にも話したことがなかった。話したら恐ろしいことになるから話せなかったのかもしれない。

たぶん、こんな父親は私の父ではない。いなくてよい…と無意識の中で思っていたと思う。

子どもはそのときは、愛されているか、愛されていないかはわからないと聞いたことがある。

私は精神的に父不在となってしまったが、寂しいと思った記憶もない。

が、半世紀生きてくると、父不在の影響が、そのときの自覚しなかった寂しさが長く私の心の傷となって、深いところで影響していたのがわかる。

完全に癒されたと思ったが、まだ、癒されていない部分があるかもしれない。

けれども、神様はその誰にも知られないような深い傷まで、癒しおおいたいと願っておられる。

私は6年のときまで戻り、病であった父を赦し、受け入れられなかった私をイエス様に赦してもらった。

あのころ、オリンピックがあり、白熱するバレーボールを家族で見ていた。

そのとき、私が何を感じたか覚えている。

「この人たちはこんなに勝つことに執念を燃やし、いいなぁ。私はこんな一生懸命なことがなく、虚しいなあ。」と思った。

やがて、私のこの小さな虚しさは少しずつ、成長とともに大きくなっていくことには気がつかなかった。

人は愛されるために生まれてきた…とイエス様にあって良く聞く。

私の両親からの愛されることの欠乏は、私が生きていく意味を見失うところまでになっていく。

けれども、神様に感謝する。不完全な親に愛されることを受けきれなかった私たが、神様のあわれみとイエス様の赦しの愛の中、少しずつ癒されていった。

♯♯♯

神様、人は皆いろんな環境の中で育ちます。

しかし、神様は平等な方で、地上の親の欠乏を埋めてくださる方であることを感謝します。

癒し主なる神様、誰にも埋められない心の空白を癒し、主の愛でおおってください。

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2009年8月22日 (土)

“自己回復2・傷の癒し”

癒されることが、イエス様の十字架によって、すべての人に約束されていることを思います。

『あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。

救いの勇士だ。

主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。

主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。』旧約聖書 ゼパニヤ書3:17

かつての私の心の中は“神様の平安”とかとは、ほど遠く、いつも沈んだり、怒ったり、悲しんだりばかりしていた。

どこから癒されてよいか、わからないほどに荒れ果てていた。

が、罪を告白し続けるて赦しを受けとること25年、そして、4年前からは、人を赦して手放していくことの中で、私は多くの部分が癒された。

すると、今までは、何を祈って癒されていいのか糸口さえ見えなかったのに、一旦癒され始めると、平安が普通の状況になる。

その中で、たまに揺れ動くとき、それがどこから来ているのか良くわかるようになった。

教会と牧師を赦し、神様から赦しをたくさん受けた後、私の心の奥底に2つの傷が残っているのがわかった。

一つは母からの傷で、権威者を裁く思いが、なお、あるのがわかった。

もう一つが父からの傷で、父から受けられなかった愛情を人から受けたいという思いだった。

とにかく、この2つに取り組んだ。神様と祈って会話しているときは、ほとんどの話題がこのことだった。

なぜ、そこまで、この残された深い傷を癒されたいと思ったか…その傷の影響が大きくなっているとき、一番楽しみにしている“神様と話をする”ということがスムーズにいかなくなるのが嫌だった。

最後のこの大物の傷が癒されたかった。

日記も書きまくった。一ヶ月で、一冊書いたりした。良く聖書の言葉を探しながら、祈った。

神様のあわれみの中、神様の啓示の御霊によって、悔い改めに導かれ、その傷が癒された。

私はその心の中にレギオン(大勢の悪霊)がいたのではないかと思うほど、否定的で殺那的で、破壊的だった。

が、イエス様の十字架の赦しによって平安がもたらされ癒された。

だから、癒されない人の苦しみも知っているし、神様の癒し方は千差万別かもしれないが、求めるものには必ず与えられることを信じている。

私は神様が癒してくれたこと、癒されるまでは絶望的なとてもひどい状態だったこと…神様のみわざのすばらしさとそのあわれみ、いつくしみを思うときに、すべてを証しても足りないくらいだと思う。

私が特別だったのではない。

聖書には、イエス様による平安と癒しがはっきりと約束されている。(イザヤ書53:5,第1ペテロ2:24)

私たちがイエス様の十字架によって罪を認め告白し、赦されていくとき、私たちのマイナスのダメージはなくなり、神様から良いもの(神様の愛、喜び、平安、あわれみ、慰めなど)をすぐに常時受けられるようになる。

イエス様の十字架は救われ、天国に行くために有効なだけなのではなく、私たちのダメージを癒され、神様の中に入れられていくために大切なのを思う。

神様がお一人お一人を喜び、楽しみ、愛をもって安らぎを与える対象として、いつも見てくださっていることを、聖霊様と聖書のことばを通して、豊かに知ることができますように。

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2009年8月20日 (木)

“時を越えて解かれた誤解”(自分史6)

35年の歳月を越えて、神様が私の中にあった誤解を解いてくれた話しです。

『互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯(おび)として完全なものです。』新約聖書 コロサイ人の手紙3:13.14

小学5年の担任の先生は、メガネをかけた中年の男の先生だった。

転校してきた私だったが、勝ち気な性格で、皆に溶け込んで、楽しく遊んでいた。

ある体育の授業のとき、何かで、クラスの男の子と喧嘩になった。

勝ち気なわりに、泣き虫な私は、その喧嘩がよほど悔しかったのか、泣いた。

すると、私だけ職員室に呼ばれた。担任の先生に事情を話しした。職員室を出ようとしたとき、先生に呼び止められた。

「Seba、あまり真剣になるな。」と言われた。なんだか私のすべてが否定されたようで悲しさだけが込み上げてきた。そのまま、私は職員室を出た。

たったそれだけのことだったが、その先生の記憶と、そのときの出来事が鮮明に記憶に残っている。

あれから、35年の後、私は人生の過去を振り返り、思い出せる人々を赦す祈りをするよう導かれた。

赦さないのは、その人をつかみ、その人に支配され、その人の悪影響を受け続けると本で読んだからだ。私は神様以外の人から支配されたくないと思った。

私は過去の悪い記憶にあるすべての人の名前を上げて、赦す祈りをした。

その頃、パートで働いていた飲食店の調理場で、きゅうりを切りながら、導かれて一人一人思い出して祈った。

「〜さんをイエス様のお名前で赦します。」と一人ずつ祈った。

なんと上がる名前の多いことか!

そして、小学5年のところで、その担任の先生を赦す祈りをした。

全部祈り終わった後、つきものがとれたように、なんだか心が晴れやかになり、すっきりした感じがした。

そして、過去の何十人という人たちを赦したが、その先生に対して、神様からの悟りをいただいた。

「そうか、あの先生は、そんなに真剣に思いつめると、自分が苦しくなるだけだよ…と言いたかったんだ。私を否定したり、責めたのではなかったんだ。」と。

35年ぶりにとけた誤解だった。

ときに思いやりの言葉をかけられても、自分の心にかかっているヒィルターで、人を判断したり、傷を受けたりすることもある。

万一、悪意でされたことであっても、良いことに変えてくださる神様は、月日を越えて私の中にあった誤解をも解いてくださる方だと思った。

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2009年8月15日 (土)

“40年前を謝る”

母とのことを思いました。

『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。』新約聖書 マタイの福音書6:14.15

昨日のブログに父の入院、母の苦悩を書いた。

小学5年の私は、不思議と泣いたり、悲しんだ記憶がない。

すべてに鈍感な子どもだったのか、母が悲しい話しをしなかったために、心に残っていないのか、ただ、その場面だけが浮かぶ。

それでも20年前に、自分史を書いたときに書き進められず、終わった場面である。

昨日、父、母の描写を書いて、私はその40年程前のあのときにワープしていた。

そして、父の悲しみ、母の悲しみが不思議と一人の人として客観的に理解出来た気がした。

あの頃、暗く、悲壮感の漂う、ヒステリックな母は嫌だった。子どもの私は、可哀想なお母さん…という気持ちはあったか定かではない。

父に至っては、子どもながらになんと受け止めてよいかわからなかった。

私の家庭は悲惨だったが、なぜか私には楽しかった学校生活の思い出しかない。

今日、父母を思いやることの出来なかった子どもだったことをイエス様に謝った。

あの頃の出来事は私が自己否定になる環境の前段階だった。

精神的に父不在となった私は、思春期に入ると、価値観の合わない母と喧嘩ばかりしていた。

母に理解されたいのに理解されず、いつの間にか、母の価値観に自分を否定され、自己嫌悪のかたまりになる。

私が一番最初に神様に、人を赦す祈りをしたのは、クリスチャンになって8年、29歳のときだった。

「神様、私にダメージを与えた母を赦します。」と礼拝の中で祈った。

それから一年後、母は天国に召された。そのとき神様は、私と母を和解させてくれた。母の慰めに満ちた死が、私が母を赦し、親不孝者の私が赦されたときだった。

40年前のことの母のことを私が神様に謝るに至るとは思わなかった。

神様への賛美は、赦された深い思いからくると、マーリン・キャロザース師の「天国の到来」に書いてあった。

マタイの福音書の『人を赦さないなら、神様もあなたの罪を赦さない』というのは、文字通り赦されないという意味ではなく、人を赦さないと、赦されていても神様の赦しを受け取れないという意味と思う。

いつも心柔らかくして、いつでも赦しを受けとれるものでありたい。

∞∞∞

天国の母さん、喧嘩ばかりして、母さんの苦労は全然わかっていなかったけど、たくさん私たちのために苦労してくれたのですね。ありがとう。生きているときに、労をねぎらうことばを一つもかけてあげられなくて、ごめんね。

そんな私の罪もイエス様の十字架で赦され、責められていないから、ありがたいです。

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2009年8月14日 (金)

“鉄格子の父と悲しみにくれる母”(自分史5)

父の精神病院の入院、脱走の話しです。

『わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。

こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。

わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。

先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。』旧約聖書 イザヤ書42:6~9

医療は進歩している。精神病の治療方法も、入院環境も昔と今では違うのだと思う。

私は最近、クリスチャンの友人を見舞いに、山里離れた精神病院に行ったが、普通の病院と変わらず、とても綺麗だった。父のときのような薄暗さはみじんもなかった。

父が当時で言う分裂病を発症したのは、私が小学4年。40年近く前になる。

小学5年、小さな田舎町に私たちは引っ越しをした。

近くの町の父が入院する精神病院に、母と姉と3人で、一度だけ、お見舞いにいった。

各畳の狭い部屋に鉄格子がされてあった。その中にいる父が母に「母さん、なんで俺はこんなところに入れられてなくちゃ、ならないんだ。」と悲痛な叫びの訴えをしていた。

私たちには、「父さん、お前たちに手紙を書くからな。」と言った。筆まめな父は、実際、私たちにたくさん手紙を書いて送ってくれた。

帰り道、母も姉も私も無言だったように思う。駅に近いところで、3人でラーメンを食べて帰った。

母はどんなにか苦しかっただろうと、今、改めて思う。頼もしい大黒柱の父を頼りにしていた母は、大黒柱を失い、病の父を背負うことになる。

母は神経がピリピリしていた。私と姉はよくふざけて遊んでいたが、笑うと怒られ、「姉ちゃん、バカ」とかふざけていると、「誰がバカだと!」と、母に怒鳴られた。

私は初恋があったり、毎日お友だちと遊んだり、姉との楽しい毎日で、あまり暗くはなっていなかった。毎日、相変わらず、遊ぶのに夢中で楽しかった。

が、母の気持ちを思いやる私はいなかったなぁと思う。

母も子どもには負担をかけまいとあまり父の話しはしなかったのかもしれない。

ある日、母の実家に行き、夜の9時頃、電車で帰ってきた。駅から1分の貸家に向かう途中だった。

母が「あらぁまぁ、なんてことなの。」と叫び、家に近づいたところで立ち尽くした。

暗い家の前に人影があった。裸足で病院を抜け出してきた父だった。

父はどうしても、家族がいる家に帰りたくて、病院を抜け出して来た。

家に入ることもなくタクシーですぐに病院に戻された。

その母の悲痛な叫びとその場面だけが記憶に残っている。

私は母と性格が合わす、母を悪く書いて来たが、どんなに母は苦しかっただろうか。負いきれない重荷を父同様、母も負い、苦しんでいた…今、書きながら母の気持ちがわかるような気がする。

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2009年8月11日 (火)

“父病を発症”(自分史4)

父が精神病を発症した話しです。

『見よ。わたし(神)のささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。

彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。

彼はいたんだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる燈心(とおしん)を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。』旧約聖書 イザヤ書42:1~4

小学3年、雪の中父と手をつなぎ、街を歩いていた。「クリスマスはどうして、学校が休みではないのだろう」と思ったのを覚えている。

学校でも、家でもたくさんの楽しかった思い出がある。

子どもながらに、「これがしあわせっていうのかなぁ。」と思ったのを覚えている。

小学4年、父は仕事の上での責任の重圧と、胃潰瘍が悪い病気でないか悩んだことが重なり、神経衰弱になる。

異変はあった。怒ることの無い優しい父が、家族でレストランに行ったとき、水の置き方が悪いと、ウェイトレスに怒った。

田舎に帰ったとき、「神経衰弱」と心配して言う父のめいっこに父は喧嘩ごしで怒鳴った。

父の変わっていく姿に子どもたちはやるせない思いで黙っていた。

母から詳しい説明はなかったと思う。

知的で優しく、子煩悩な父は当時の分裂病、今でいう統合失調症で、近くの町の精神病院に入院した。

学校や、お友だち関係は変わらず楽しかったが、家庭は一変した。

平凡な我が家は、何かがガラガラくずれた。いつも美しく髪をセットし、綺麗な母は化粧もせず、憔悴しきっていた。

あの頃、良く同じ夢を見た。人が殺されるような怖い夢で、目が覚めては、隣で寝ている母を起こして、一階のトイレに連れていってもらった。

私は友だちとかと毎日毎日遊んでばかりいて、まだ、楽しいことのほうが優っていたような気がする。というか、入院中、父の病気を詳しく子どもたちは聞かされていなかったからかもしれない。

そんな楽しかったその土地も小学3、4年だけ過ごし、また転校になった。

父は国鉄職員のエリートコース、いずれは駅長の道が約束されていたが、今思うと病によって、その道は絶たれ、左遷になったのだと思う。

私たちは、さらに小さな田舎町に引っ越すことになった。

姉は泣き、私は新天地にワクワクしながらの転校となった。

何人かに見送られ、私たちは小さな田舎町に引っ越しをした。

父の負いきれなかった重圧に、父は病気になった。人は弱く、壊れやすい。

看護師の姉が大人になって私に、「私たちも父親の血を引き継いているから、そのような病気になる可能性もあるんだよ。」と言ったことがある。

私も父親似で、繊細?なところがあると自分では思う。が、神様がともにいてくれて、私の負いきれない重圧は神様が負ってきてくれたのかもしれない。

人は壊れてしまいそうになるくらいに弱い存在…と父から教わったのかもしれない。

イエス様は“いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない”最も弱いものをさえ傷つけずその存在を保たれるお方であることは、大きな慰めである。

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2009年8月10日 (月)

“地域納涼祭”

地域の納涼祭があり、お手伝いをしました。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国をつぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいるとき、わたしをたずねてくれたからです。』新約聖書 マタイの福音書25:35

8月になると、町内会の納涼祭がある。

息子が小学生時代に、私はPTA役員をやって、地域の方々にとてもお世話になった。

そのことを通して、地域がそこに住む人を支える可能性の大きさを感じた。

地域の弱者は地域でカバーして、支えていけたなら、一番理想なのではないかと思った。

また、PTA役員時代にお世話になって、自治会長の方たちとの交流も始まり、地域の中にすんなり入れてもらえた。

そんな愛着のある地域の人たちと年に一度の大イベントが納涼祭である。

前日、当日、朝5時集合で準備作業が始まる。当日は、私は来賓接待で、ビールやおつまみを運びに走る。

後日のかたずけ、打ち上げ、全部に出て、去年は疲れきって、はぐきが腫れた。

平均年齢は70歳位だろう、年配の男の方たちが力仕事から何まで、手際良くやる。その体力と熱意に頭が下がる。

今年は私は祈り、守られて疲れることなく、準備、当日、かたずけを終えた。

今、地域を支えてくれている方々は、確実にこの70歳代の方たちだ。60代は少ないし、50代はほとんどいない。

私は誰に頼まれた訳でもないが、次を担う世代の人たちが加わるのは、自分に与えられた責任のように感じている。

ボランティアに出てくる人たちは皆さん、前向きで楽しい人たちばかりである。

私より20歳位上の人とも友だちのように話せて、楽しい。

お一人、お一人が尊い神様の作品であり、すばらしい。

地域力、これが希薄になる中、どうしたら、若い世代の人たちが、この地域の一員という特権と楽しみを知って、このコミュニティに入ってきてくれるか、私のいつもつきまとう課題である。

今回のお祭りは、降水率70%という中、雨にも降られず、無事、終わった。

何をした訳でもないが、無事終わったことがとても嬉しかった。

リーダーとなられた、自治会長さんは、親しくさせてもらっている一人なので、どんなに大変だっただろうと、私は何度も何度も「お疲れ様でした。」と労をねぎらう声かけをさせてもらった。

神様が私に、この地域の人たちに愛着を持ち、祈らせてくれているのを思う。

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