“ブログを書く動機”
毎日ブログを書いていますが、書く動機となっているものの話しです。
『もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。…
あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。…
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。』旧約聖書 詩篇119:92.93.103.105
ブログ訪問いつも、ありがとうございます。
皆さんが訪問に来てくださるので、私も休むことなく、毎日続けられています。
私は努力する…とは無縁の人間なので、このブログを書く、皆さんと分かち合う…ということが楽しいと思わなければ、決して続きません。
また、聖霊様の助けとあわれみの中で書かせてもらっていると感じています。
始めの頃は、書く記事のネタ帳を作っていました。幾つか書く記事の候補があって、そこから選んで書いていました。
今はネタ帳は無しです。何を書こうかなぁと夜になって考えるのですが、何も浮かばないときは、お風呂の中で、「神様、何を書いたらいいでしょうか」と聞きます。
個室のお風呂場で決まることが多いです。
私にとって、聖書のことばや自分の体験や神様を分かち合えることはとても幸せなことです。
たぶん、私の生きている上で、一番強い欲求がこのようなことなのだと思います。
なぜ、私にとって、その欲求が一番強いかといえば、そのように造られているからかもしれませんが、自分の過去を振り返るとき、地獄のように苦しい日々があったからとも思います。
イエス様に出会わない頃、何のために生きているか本当に苦しみました。
だから私は今普通に生活していますが、もし何のために生きているかわからなかったならば、やはり昔と同じように、地獄のように苦しんでいると思います。
ですから、私が今普通のように生きているこの日々は、イエス様無しにはあり得ず、ただあわれみによって生かされていることを思います。
信仰生活を始めて30年ですが、私の中ではこのイエス様の十字架の赦しの意味が日ごとに大きくなり、心を占めています。
霊的なことで、外からはわかりにくいことですが、この主の霊に生かされている喜びを思うとき、分かち合いたい思いがますます強くなります。
ブログという形で、いろんなことを分かち合える恵みを思い感謝しています。
今日は、お風呂の個室で、私がブログを書き続ける訳、動機みたなことを分かち合いたいと思わされ、このような記事を書きました。
神様、イエス様、聖霊様の良いことを少しでも分かち合えたらばありがたいと願っています。
訪問ありがとうございます。神様の祝福がありますように。
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