ペット

2008年9月25日 (木)

シーズー犬タローの安眠妨害

神様は恋人のように、いつも私たちを思い、忘れないと言っています。

『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(神)はあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。』旧約聖書 イザヤ書49:15.16

姉が結核になってしまったとき、姉の愛犬生後9か月のシーズー犬タローは5〜6時間電車を乗り継いで、我が家にきた。半年、遊び、しつけられ、お利口犬になって、姉のところに戻っていった。

次の年、子どもと一緒に、姉のところに行った。タローは喜んだ。ぴょんぴょん跳びはね、絡みついて離れなかった。

夜、電気を消して、子どもと姉と川の字になって寝た。タローの興奮さめやらず、眠ろうとする私たちにじゃれてきて、寝ようとしない。

「タローやめてよ。」「姉ちゃん、なんとかしてよ。」一晩中、バタバタしていた。

次の日、私たち3人は寝不足でげっそりした。タロー含めてみんなで昼寝をしたのは言うまでもない。

犬が、一時世話してくれた人を忘れないのを体験した。母親は子どものことをいつも思い、神様は私たちのことを、大切な恋人のように忘れない。

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2008年9月 8日 (月)

拾った仔犬と新しい家

私たちは小さな生き物によって、たくさん慰められています。

『そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。』旧約聖書 創世記1:26

姉が中学のとき、白い捨てられた仔犬を拾ってきた。「飼いたい。」と母に頼んだ。昔から、母は動物は飼わないと言っていたので、許可はもらえないと思った。が、「動物は先に死ぬからいやなんだよ。可哀想で…。」と言っていたが、どういう訳か飼うことになった。

犬小屋もなく、夜は玄関にいれて、可愛いがった。が、貸家だったので、玄関が傷がついて、私たちは大家に追い出されることになった。

今、思うとそれから母の持ち家計画が始まったのだろう。ある日、私と姉は一度も見たことも行ったこともない場所だったが、学校帰りに待ち合わせて二人で地図をたよりに新築の家に行った。その日からそこが私たちの住まいだった。

姉はその家に、高校3年間、私は中学、高校6年間住んで離れた。両親と犬のシロが残り、結局最後にシロの面倒をみたのは母だった。

母はよく口癖のように言った。「シロのおかげで、家を建てることになって、ありがたいねぇ」母が親戚に相談して、いろんな苦労をして家を建てたのだなぁと今になって思う。

そんな中で、シロは父、母の慰めになってくれたのを思う。シロは母に看取られ生涯を終えるが、犬は居るだけで、癒し、慰めてくれる不思議な存在だと思う。

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2008年9月 7日 (日)

2度の結核が益となった姉

『主(しゅ)をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』旧約聖書 詩篇37:4.5

姉はこれまで2度結核になっている。一度目は、多分5才か6才のとき。その頃、父も胃潰瘍で入院し、母は大変だったと思う。特に、幼い子どもの結核には、今は治る病気といえど、どんなに心配したか、私も親になって思う。

そんな大変な状況であったが、姉にとっては、人生を決める決定的なときとなった。その入院生活を通して、姉は幼心に自分は将来看護師になりたいと思った。

姉はその思いを貫き、看護師になった。4年前、2度目の結核になる。

祖母のこと、愛犬のこと、家を支えていた姉にとって、解決しなくてはいけないことがたくさんあった。が、すべてうまくいき、姉は忙しい生活を一時中断し、隔離病棟に入った。神様に祈る静かなときだった。「神様に、お母さんが赤ちゃんを抱っこするように抱いてもらい、包まれているのを感じた。」と話してくれた。50才近くにして、何かが癒され、新たな思いで神様とともに歩むときとなった。

神様は、結核という誰もが決してなりたくない病を通して、姉を確かな道に歩ませてくれたのを思った。

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2008年8月21日 (木)

シーズー犬タローが我が家で過ごした日々

『こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。』エペソ人への手紙2:19

今から5年前、姉が結核で急きょ次の日に入院することになり、姉は電話でこう言った。「妹よ。すぐに来てくれ。ばあちゃんは人間だから、行き先はなんとかなる。タローはすぐ妹に預かってもらわないと保健所行きになるから大変だ。」

こうして、生後一年に満たないシーズー犬タローは突然我が家にやって来て、6カ月居候することになる。

可愛いタローは、散歩仲間の犬たちにも、子どもの友だちにも大人気になった。

姉が可愛りすぎて、お手の一つも教えておらず、主人の訓練が始まった。子どもが夜に30分のピアノの練習をする時間が、タローのしつけ訓練の時間となった。主人とタローは廊下で特訓した。6カ月でしっかり芸をマスターした。お手、おかわり、待て、ふせ、ハイタッチ。主人曰く「タローちゃんはとても頭の良い犬だ」

姉にタローを返しにいったとき、姉はお利口タローになっているので喜んだ。今は餌をあげるとき、お手、おかわり、待てを必ずさせているらしい。

我が家に可愛い居候が来た思い出だ。おかわりをするとき、短い足を一杯に外から回してくる仕草が忘れられない。私は道端で、可愛いシーズー犬とすれ違うと「タロー!」と心の中で呼び掛けている。Dsc00076

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2008年8月17日 (日)

愛犬と主人の麗しい関係、そしてペットロス

『主(神)は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。…たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』詩篇23:1~4

我が家では柴犬を飼っていた。一番しつけの厳しい主人になついていた。私は犬にバカにされ、散歩のときの紐も犬に引っ張られたし、平日の朝は「早く散歩させろ」と要求吠えされた。ところが、主人が散歩させると、借りてきた猫ならぬ、借りてきた犬になり、主人の顔を伺いながら、主人と足並み揃えて歩く。土日の主人の散歩の朝は、どんなに遅くなっても吠えない。お利口ワンちゃんとなる。その変身ぶりは見事!

主人が珍しく2泊3日の出張に出た。日頃も帰りが遅い主人だったので、喜びいさんで「ただいま!」と帰ってきた主人に私と子どもはそっけなく迎えた。が、言葉のない犬は、「パパが帰ってきた!!」と感動のあまり、主人の姿を見たとたん、その場にオシッコを放出してしまった。「自分の帰りを一番心待ちにしていたのは愛犬のみか。」と主人は苦笑した。

そんな愛犬は5才という若さで、鎖がはずれ、交通事故で死んでしまった。主人はひどいペットロスになり、犬という言葉も会話に出せない程だった。悲しくて、悲しくて、庭に犬が走ってる姿が見える程だったらしい。

詩篇23篇は神様を慕う美しい詩だ。我が家の愛犬が主人を慕ったように、私は神様を慕っている。

『私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』詩篇23:5.6188

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2008年7月20日 (日)

見つかるまで、あなたは捜されます

『あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。』ルカの福音書15:4

2年前、愛犬の鎖が外れ、失踪した。あちこち捜し、警察に電話したら、落とし物で保護されていた。見つかったときは、本当に嬉しかった。イエス様は、私たちを羊の一匹として捜してくれている。九十九匹を野原に残しても、迷っている大切な一匹を心配して命をかけて捜し続けてくれている。私もまた、見つけてもらった一人である。

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