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2009年7月24日 (金)

“最もイエス様が現される尊い器”(祈り)

神様が弱き人にこそ栄光を現されるよう、祈ります。

『信じる人々には、次のようなしるしが伴(ともな)います。すなわち、わたし(イエス)の名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人が手を置けば病人はいやされます。』新約聖書 マルコの福音書16:17.18

この世の中で解決を持たず、イエス様を必要とする方々が、イエス様のお名前で癒され、慰められ、生かされていきますように祈ります。

「神様は全能の力をイエス様のうちに働かせ、死者の中からよみがえらせ、神様の右に座らせられました。

そして、支配、権威、権力、主権…あらゆる力の働きの最も上に、最も力ある方として置かれました。

そして、そのイエス様を教会に与えられました。(エペソ1:20~23)

ですから、教会こそが、イエス様の力のすべてが現れる場所です。

どうぞ、教会である私たち一人一人にイエス様が力ある方であることを信じさせてください。

私たちが自分の中にそのことを体験していかないと、信じて周りの人たちに同じ力が働かれることを信じて祈ることができません。

イエス様が、まず、私たち自身に「あなたの信仰があなたを直したのです。」という信仰と体験を与えてください。

そして、イエス様に助け求める人たちに、イエス様の働きをみせてくださり、人々が安心して帰ることができますようにしてください。

病で苦しむ人たちを覚えてください。

その苦しみはその人だけが知る苦しみです。

しかし、イエス様は病の人で、悲しみの人でした。

イエス様はその痛み苦しむ人を知りたいと願い、イエス様の解決を与えたいと願っています。

どうぞ、誰も知り得ない病の苦しみをイエス様に知っていただき、イエス様に癒していただけますようにしてください。

弱さを覚える人に、イエス様の力がおおいにますように。

悲しみの中にある人にイエス様が来てくださり、喜びの霊を与えてください。

この世の中で、どうしようもなくなった人たちに、神様の栄光が表されると、周りの人々に神様に対する恐れが生じます。

ともに神様をあがめるようになります。

神様は力ある者、知恵ある者をなきものにするため、無に等しい者を選ばれたとあります。(第1コリント1:28)

教会を訪れる無に等しいような弱く力ない人は神様の栄光の器です。

彼らを通してしか現すことのできない神様の栄光があるからです。

どうかそのような、神様が備えられた尊い器を、失望のまま帰らせることがないように。

私たちに現状を見て、無理という判断ではなく、人にはできないが神様にはできるという、その信仰と愛を与えてください。

あなたの栄光が現されるよう、私たちの暗闇を照らしてください。

イエス様のお名前によって祈ります。

アーメン。」

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2009年4月26日 (日)

草剪くんの事件に思う

草剪くん、裸事件に思ったことを書きます。

『たとい、あなたがたの罪が緋(ひ)のように赤くても、雪のように白くなる。

たとい、紅(くれない)のように赤くても、羊の毛のようになる。』旧約聖書 イザヤ書1:18

今日、礼拝で、賛美しているとき、目をつぶっていたら、テレビで見た草剪くんの罪責感におしつぶされそうな苦しい顔が浮かんだ。

ジャニーズ好きだったからだけでなく、彼は私の好きタレントの一人だった。(また、復帰すると思うけど…)

キリスト教番組以外で、私が唯一DVDにとって見ていた番組が深夜番組「ぷっすま」だった。(草剪くんとユースケ・サンタマリアがゲストを呼んで、様々な…けっこうくだらない…バトルをする番組)

草剪くんはカメラが回っても、トイレに行ったり、ゲームに夢中になって番組忘れたり、自然体なところが面白くて見ていた。

これで、私が一人になったときに楽しむ番組がなくなってしまった。寂しい限り。

彼は真夜中に公園で裸になって、ワイセツ罪で逮捕されてしまった。

仲間に迷惑かけたのが苦しいと思う。きっと胸がおしつぶれされそうに苦しいと思う。

でも、「大丈夫だよ。」と言いたい。私たち、イエス様無しで裸で神様の前に出たら、みんなアウトなんだから…。

苦しいつぶれそうな心にイエス様の赦しと癒しと慰めがありますように。

誰かが彼に福音を語ってくれますように。

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2009年3月26日 (木)

スキャンダル恐るべし!

お笑いの陣内さんの離婚謝罪会見に思いました。

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣(つるぎ)よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄(こつずい)の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸になり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。』新約聖書 ヘブル人への手紙4:12.13

芸能界恐るべし…陣内智則さんと藤原紀香さんの離婚が大々的に伝えられ、陣内さんが記者会見で“謝罪”をしているのをテレビで見て、思った。芸能人は、ファンに支えられているので、そのプライベートのことまで、明らかにしていくのは仕方ないのか。気の毒な気持ちにもなる。

かく言う私も「きれいな奥さんもらって、調子ずいちゃったのかね。」と主人に話す。「立派な奥さんに息苦しくって、少し抜け道が欲しかったんじゃないの。」と主人。人のスキャンダルはどうでもいいよと思いつつ、私も茶の間のコメンディターになる。

芸能界恐るべし、芸能人でなくって良かった。

が、聖書では、私たちは神様の前では隠せるものは一つもなく、すべてがお見通しになっているとある。そして、この神様に私たちは釈明するのだとある。

私はあるとき、もし自分の心で思っていること、考えていることが、大きなスクリーンに映し出され、みんなに見られたらどうなるだろうかと思った。表面は美しく着飾って、すましていても、心の中は汚くよごれ、惨めで、悲惨である。私は恥ずかしくて真っ赤になり、その場に居ることに堪えられないだろう。

苦悩して記者会見する陣内さんどころではない。

だから、私たちは、自分の内側を見ようとしない。見ても、あまり良いものがないし、苦しくなるばかりである。

聖書のことばは、私たちの考えや思いの深いところまで照し、私たちの動機も探るとある。ここまでで終わりだったら、悲惨である。手術でお腹を開き、患部発見で終わりになる。痛みが走り、血が患部からダラダラと流れる。

イエス様は私たちの汚れたものを見つけ、取り去り、きれいにして回復させるために来てくれた。

自分の悪いところを反省するところで終わるのはつらい。悪いところを癒しおおってもらうところに回復への道がある。

神様、私たちは、みんな、人には隠しておきたいような部分を持っています。

隠しておけば、誰にも気がつかれず、なんとかなると思います。

けれども、言動の元になっているのは見えない心にあります。

神様がイエス様の十字架で治療し、さっぱりきれいにしてあげるよと言ってくれています。

怖がらず、恐れず、すでにすべてを知っておられる神様の前に認め、癒しおおっていただけますようにお願いします。

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2009年3月17日 (火)

高校中退7万人

『幻がなければ、民はほしいままにふるまう。』旧約聖書 箴言29:18

今日の朝日新聞に「貧困・孤立…遠のく学校―高校中退者、全国で7万人」と言う記事があった。

「彼らはなぜ学校から遠のいていったか。家計の問題や家族の不和、学力不振、社会への不信、それらが招いた無力感、喪失感。10代で厳しい現実を突きつけられ、もがく姿が見えてくる。」と書かれている。

ある子は、子どもが出来て、中退する。が、仕事は不安定な収入しかない。「高校に戻りたい。もっと勉強すればよかった。カネを稼ぐためにはある程度の学歴が必要だ。」と中退を後悔する。

また、ある子は、母親が借金して高校に通わせてくれた。が、いつも将来に不安を覚え、眠れず、起きれず、遅刻が増え、出席日数不足で留年。そのまま中退。「自分にやる気があったら、中退なんてしていなかった。後悔している。」と言う。

私は大学中退組だが、若者の気持ちがよくわかるような気がする。

「何のために生きているのだろう。」「何のために勉強しているんだろう。」そんな迷いの中で、夢や希望よりも空虚さやなげやりな思いが大きくなると、その場で流されていってしまう。

戦後もとても貧しかったと思う。が、誰もが「食べていく。」「生きていく。」というはっきりとした目標があり、貧しい環境を乗り越えていったのではないだろうか。

今の時代の経済格差の苦しみもあるが、生きる喜びや目標が失われているのだと思う。

若者が夢をもって進めない…それは大人たちが、何か生きるために大切にするものをすり替えてしまったつけのようにも思う。

日本事態が憂いている。社会全体が何か生きていくことからずれたほうへと流れているように感じる。

神様、家庭を祝福してください。子どもたちを祝福してください。親を祝福してください。この日本と社会に希望と真実な目標をたえてください。

真実なもの、変わらない希望を混沌とした中に明らかにしてください。若者たちが学ぶ喜びが与えられ、目標をもって生きていけるようにしてください。

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2009年2月17日 (火)

不況の波の中で…

朝、一つのテレビ番組を見て思いました。

『…永遠の変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。…

たとい山々が移り、丘が動いても、わたし(神)の変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。』

今朝、NHKの8:30から「仕事を失う女性たち―パート解雇で生活困窮・再就職の壁―」という番組を見た。(明日もこのテーマが続くらしい)

100年に一度の不況と言われ、派遣切りや雇用不安定が言われ、連日ニュースが流れる。企業などが雇用を縮小する波は働く女性にも影響を及ぼす。番組では、妊娠で、解雇された女性の話しや、解雇で生活が成り立たない人たちの話しがあった。

ゲスト解説の人が言っていた。「女性だから、独身なら結婚すればいいとか、結婚しているから扶養されればいいとか思われる。社会はいろんな面が変化していて、共働きしないと成り立たない家庭や、長年一人で生計をたててきた女性、母子家庭など、働く必要のある女性が多いが、なおざりにされている。」

社員で働く男性でも、リストラや給与がカットされたりする時代、見えないところでたくさんの人が苦労しているのを思う。

私は発達障害のお母さんたちと交流があるので、その子どもたちが将来、社会の一員として働く姿を見るのが願いとしてある。

が、弱い者がますます生きていくのが難しい世の中になっている。

この闇の中で、現実に生きて働いてくださる神様の栄光があらわされ、闇の中で光となって、歴史の中に表れてくださるのを私たちが信じ、祈ることができますように。

神様、あなたの変わらない愛は、この厳しい現実の中にも働いてくださることを信じます。
100年に一度と言われる不況の中、弱い者ははじき出されています。
緊急事態が発生しているのに、政治はとてもごたごたしています。神様、世の中を広く見据えられるリーダーを日本にもたててください。
また、私が祈る中で、私が今日出来ることを教えてください。
神様、あなたが歴史の中に生きて働いておられる神様であり、真実に私たちの内にも外側にも希望をもたらしてください。
世の中の不安定な中で、変わらぬ愛の契約をもってくださる神様が表され、あなたの栄光がほめたたえられますように。闇の中にいる人々に真実の希望を与えてください。

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2009年1月27日 (火)

オバマ大統領就任に思うこと

オバマ大統領就任、リック・ウォレンの祈り、ドラマチックな歴史的出来事の中、日本に住む私のとりなしの責任について、考えました。

『正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。

心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。』旧約聖書 詩篇37:30.31

アメリカでオバマ大統領就任にあたり、就任式での祈りを「人生を導く5つの目的」の著者リック・ウォレンが祈った。キリスト教界のブログでは、その話題が持ちきりのようだった。

私も訳してくれた祈りを読み、感動した。そこには、世界のリーダーとしての大国アメリカの誇りと願いが込められている。

それはオバマ大統領の就任演説と重なる。「市民のみなさん。きょう私は、私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、あなた方から与えられた信頼に感謝し、先人が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている。…私たちが危機のさなかにあるということは、いまやよくわかっている。…これらの難問は、現実のものだ。…しかし、アメリカよ、それは解決できる。今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。…」(朝日新聞1月22日より)

オバマ大統領はこの厳しい現実を直視し、私たち皆で、希望と共有へ変えていこうと語る。

テレビの中で麻生さんはこのスピーチに対し、「オバマ大統領とは方向性(?と言ったか忘れたが)が一致している。一緒にやっていけるようだ。」というようなコメントしていた。なんだか、上から目線で、随分立派なことをいうなぁと、失笑してしまった。

私も「オバマさん、頑張れ!私も祈って期待してるよ。神様、オバマさんに主の知恵と力を!」と祈りたくなり。(そこは問題無しだ)

けれども、日本でも“歴史は神様の物語”として働いている。オバマ大統領就任というドラマチックな出来事の中、今こそ、私たちは日本のために、日本の政治、リーダーのためにも祈らなくてはならないのだろうと思った。

麻生さんの虚しく響くコメントを聞いた夜、私は麻生さんやリーダーのため、この町のリーダーのために祈った。

私たちがとりなしの祈りをするとき、そこに悔い改めも必要なのかもしれない。日本は過去の歴史の過ちを直視し、認めない国だ。リック・ウォレンのように祈りたい。

「おお、神よ、私たちを助けてください。

私たちはアメリカ人です。宗教や人種でも一致できませんでしたが、私たちの自由の委任とすべてのための正義とで一致しました。

あなたを忘れ、互いと戦ったこと、私たちが自己中心であったことを許してください。

…私たちが共有して、勤めて、すべての公益を求めるのを助けてください。…」

(リック・ウォレンの祈り「Tama'sゴスペラー日記」ブログより転用させてもらいましたm(_ _)m)

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2008年10月11日 (土)

闇の社会に光が来ますように

暗い話しが多く、闇が覆う世の中で、真実の希望がくることを祈ります。

『そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂(いただき)が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」…こうして主(神)は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。』旧約聖書 創世記11:4~9

私たちの住みかは、急激に変化している。ニュースでは、連日のように殺人事件が報道される。格差社会、高齢介護、詐欺やネット犯罪、なんだか闇がどんどん広がる。弱者と言われる人たちが、生きていくのに、しんどい時代。

日本の豊かな経済成長とともに、生活スタイルも、大切にする価値観も違っていく。そんな中で人間関係が希薄になる。

何から、どこから狂ってきたのか、私にはよくわからない。人間は努力の中、豊かになると、そこから堕落して衰退していくのだろうか。聖書でバベルの塔の話しはそのようなことを暗示している。

秋葉原連続殺人の後、朝日新聞に次のようなコメントがあった。「容疑者が求めたものは承認だと思う。だが安定労働層に、皆が幸せになるためには生活レベルを落としてもいい、との発想はない。自分さえ良ければいいのだ。」(赤木氏)「思いこみと勘違いがあっても、身近に「お前、そんな話しを真に受けているの。」と言ってくれる人がいれば誤解は減る。」(宮台氏)「皆はこの社会の常識に守られているが、私は守られていない…と誰かが苦痛を感じたとき…常識を盾にその人を無視したり排除したりするべきではないだろう。常識を大切にする立場から、常識自体の中身を見直すべきだ。人々が人間的な連帯感で結ばれる瞬間にこそ、人が不幸を幸福に転ずるチャンスは訪れるはずだから。」(なだいなだ氏)

社会の孤独と苦悩とそのひずみに、できることは少ないけれど、基本の人間関係の回復が大切なことを思う。

神様、この世の闇に、神様の慰めと希望の光が現されますように。

Hana0919

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2008年10月 4日 (土)

連続幼女誘拐殺人の宮崎勤に思う

殺人犯の罪の重さを思いますが、それを更正させる神様の愛と赦し、その希望の約束を思います。

『私は切なる思いで主(神)を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。』旧約聖書 詩篇40:1

今日、講演で、連続幼女誘拐殺人で死刑になった宮崎勤のことが話された。彼は手のひらを表に返せない障害を抱えていた。7人家族で、忙しい両親に代わり、住み込みの仕様人と祖父に育てられる。家は地元新聞社経営で裕福で、祖父は町会議員を務める地元の名士であった。ちゃぶ台で生活していたが、家を建て変える際、それを家の人は捨てた。そして、4人座りのダイニングテーブルを買った。宮崎勤は、捨てられたちゃぶ台を拾ってきた。その上で幼児を殺害したとのことだった。

幼児たちを殺したことに、釈明の余地はないが、ちゃぶ台を囲んでの暖かい会話が家庭にあったら…と思う。

今日のハーベストタイム(キリスト教番組)でアルゼンチンのある刑務所の話しがあった。270人の囚人全員がクリスチャンになった。聖書を中心に運営をしている。その中の一人は、2人の人をコンクリート詰めにして殺人を犯した。イエス・キリストに出会い、人生が変わり、「神様の自分への計画のために生きたい。」と言う。

「ここにいる人たちは、穴に落ち込んだ人のようで、上を見上げると、引き上げ助ける神様がいる。」と牧師たちは話す。

神様は、キリストの十字架によって、どんな罪も赦すために、キリストを送られた。私の小さな嘘や争いのためにも、極悪非道な殺人をも、同じように赦すために来られた。私の罪が赦され、神様の平安が心に満ちるように、彼らもイエス・キリストの十字架刑のゆえに、赦され、平和が心に訪れる。まさに、人の力によらず、神のなさる業である。ハレルヤ!

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2008年10月 2日 (木)

振り返って出てくる答えは感謝と言う清原

清原選手の引退会見にとても感動しました。

『いつも喜んでいなさい。絶えず、祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』新約聖書第1テサロニケ5:16~18

昨日、清原が23年の野球選手に幕をおろした。私は野球観戦はしないし、詳しくないが、清原の引退に関して、テレビで何度も放送されたのを見た。

「涙で始まり、涙で終わったが、初めと終わりの涙が違った。…振り返って出てくる答えは、感謝。それが、僕が野球人生で学んだことです。」と清原はインタビューに答えた。

まれな才能を与えられながら、希望の巨人に入団できず、悔しさから始まったプロ生活。最後はたくさんの人に声援を受ける中、引退していく。もし、彼が、その才能の中、順風満帆だけの野球人生であったら、感謝という〆の言葉は出てきただろうか。

悔しく、苦しく、孤独な戦いの中で、たくさんの人たちの支えがありがたかったのだろう。

人は一人では生きられない。また、試練も避けられない。でも、「一人ではないよ」という体験は、宝物となるのだと思う。

私は平凡な一主婦だが、この世の終わりには「私の人生、振り返ってみれば、神様と愛する人たちに感謝するのみです。」と告白するものでありたい。

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2008年8月19日 (火)

事は人間の願いや努力によらず、あわれんでくださる神による

『神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。』ローマ人の手紙9:15.16

聖書では、徹底して、その人の行いによらず、キリストを信じることによって、神様の子どもになれると言っている。

私は、必死に求めたから神様に目をとめてもらえた…と心のどこかで自負していた。

ある日、NHKの「選民ユダヤ人が追い求める約束」という番組を見た。ユダヤ人が旧約聖書の約束、イスラエルの土地はユダヤ人のものとなるということを信じて、住みついていた土地を捨て、イスラエルに戻ってくる。が、そこの情勢は不安定で、絶えず、もとから住んでいる人たちと紛争があったり、法によって追いやられたりする。それでも、聖書を開いて、「神様が私たちに約束したことは必ず成る。」と信じていた。

求める心が人よりあったと自負していた私は、ショックを受けた。求める気持ちはテレビに出てくるユダヤ人のほうがはるかに勝っている。それでも、まだ、彼らには、求めている救い主=イエス・キリストは隠されている。

私が神様に見い出してもらったのは、私の行い、努力、願いに一切起因していない、神様の一方的なあわれみによることを知らされたときだった。

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