“ブログ一周年”
ブログ一年にあたり、その経過とこれからの報告です。
『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎(とが)を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちの穴からあがない、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』旧約聖書 詩篇103:1~5
去年の7月17日に、突然主人に「ブログの画面を作ったから、ブログ書いてみて。」と勧められ、ブログを初めて書いてみた。パソコンも開けない私は、人のブログも見たこともなかったが、ノンクリスチャンの友人に、私のこれまでの歩みの神様にある体験を伝えたいと思った。
まわりのノンクリスチャンの友人や知り合い50人くらいに、とにかくブログ案内をして歩いた。
そして、49年の私の体験と、そこから神様に教えられたことを書いた。書きまくった。そしたら、ネタが無くなり、ゆきずまった。
ある日、「私は教会では苦痛を感じている者だ」と控えめに書いた。(見てくれている人がノンクリスチャンの友人と思うと、教会に対する私の正直な気持ちを書くことにとてもためらった。)
それが、クリスチャンの方に共感されて、だんだん信仰ネタを書くようになった。
だから、いつも見てくれる友人には、分かりにくい話でごめんなさいという思いがあった。
が、一度、正直な気持ちを書いて、共感してもらったりして、私のブログはしっかり信仰ネタブログになってしまった。
その中で、自分の過去を書きながら振り返り、たくさんのことに気がつかされた。
25年の教会生活の苦痛は、今、神様の恵みを分かち合うためだったと理解できたときは、嬉しかった。「神様、苦しみの25年ありがとう」と感謝に溢れた。
5月に教会の中と外というテーマが示され、私自身は悔い改めるとブログで宣言した。
恵みの悔い改めに導かれた2か月だった。ブログの記事では分かりにくいが、とにかく霊的な深いところを探られ、良く泣いて祈った。
私はブログを通して、そして読んでくださる方に支えられ、見えないところで神様に取り扱われた。
神様にある良いものを分かち合う恵みも体験させてもらった。
聖書のことをたくさん語られ、書けてきたことは恵みだった。
たくさんの訪問してくださる方たちとのコメントにも励まされ、コメント無しでも、1日に何度も来てくださる方たちに励まされた。
今、また、私の中で、新しいことが起こっていて、聖書を知る知恵の御霊はどこへ…という感じで、知性が緩慢(かんまん)になっている。
何度も来てくれる方のためにたくさん記事をアップしたいが、神様次第という感じである。
“私の歩んだ教会たち”シリーズもあと2回で終わり。私の教会遍歴にお付き合いいただき、読んでもらいありがとう。
新しいシリーズとして、“自分史”をもう一度、順を追って書こうと思う。まさに私の癒しの旅の証である。
創世記も終わったら、マタイからイエス様を見ていきたい。こちらは、知恵の御霊様次第という感じだが。
自分がどういう状況であれ、神様の良いものを皆さんと分かちあい、また、特に教会の外にいる方たちの癒しのために祈りたい。
記事は少なくても、前よりたくさん礼拝し、今、いろんなことを祈れている。聖霊様のすばらしい体験の中にあって、良い形で、聖書を通して分かち合いたい。
ブログ一年のこれまでとこれからを書いた。
訪問してくださる方々一人一人を心から感謝している。
さらに、ともにすばらしい主を分かち合いたい。
皆さま、今後もよろしくお願いします。
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