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2009年7月16日 (木)

“ブログ一周年”

ブログ一年にあたり、その経過とこれからの報告です。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎(とが)を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちの穴からあがない、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』旧約聖書 詩篇103:1~5

去年の7月17日に、突然主人に「ブログの画面を作ったから、ブログ書いてみて。」と勧められ、ブログを初めて書いてみた。パソコンも開けない私は、人のブログも見たこともなかったが、ノンクリスチャンの友人に、私のこれまでの歩みの神様にある体験を伝えたいと思った。

まわりのノンクリスチャンの友人や知り合い50人くらいに、とにかくブログ案内をして歩いた。

そして、49年の私の体験と、そこから神様に教えられたことを書いた。書きまくった。そしたら、ネタが無くなり、ゆきずまった。

ある日、「私は教会では苦痛を感じている者だ」と控えめに書いた。(見てくれている人がノンクリスチャンの友人と思うと、教会に対する私の正直な気持ちを書くことにとてもためらった。)

それが、クリスチャンの方に共感されて、だんだん信仰ネタを書くようになった。

だから、いつも見てくれる友人には、分かりにくい話でごめんなさいという思いがあった。

が、一度、正直な気持ちを書いて、共感してもらったりして、私のブログはしっかり信仰ネタブログになってしまった。

その中で、自分の過去を書きながら振り返り、たくさんのことに気がつかされた。

25年の教会生活の苦痛は、今、神様の恵みを分かち合うためだったと理解できたときは、嬉しかった。「神様、苦しみの25年ありがとう」と感謝に溢れた。

5月に教会の中と外というテーマが示され、私自身は悔い改めるとブログで宣言した。

恵みの悔い改めに導かれた2か月だった。ブログの記事では分かりにくいが、とにかく霊的な深いところを探られ、良く泣いて祈った。

私はブログを通して、そして読んでくださる方に支えられ、見えないところで神様に取り扱われた。

神様にある良いものを分かち合う恵みも体験させてもらった。

聖書のことをたくさん語られ、書けてきたことは恵みだった。

たくさんの訪問してくださる方たちとのコメントにも励まされ、コメント無しでも、1日に何度も来てくださる方たちに励まされた。

今、また、私の中で、新しいことが起こっていて、聖書を知る知恵の御霊はどこへ…という感じで、知性が緩慢(かんまん)になっている。

何度も来てくれる方のためにたくさん記事をアップしたいが、神様次第という感じである。

“私の歩んだ教会たち”シリーズもあと2回で終わり。私の教会遍歴にお付き合いいただき、読んでもらいありがとう。

新しいシリーズとして、“自分史”をもう一度、順を追って書こうと思う。まさに私の癒しの旅の証である。

創世記も終わったら、マタイからイエス様を見ていきたい。こちらは、知恵の御霊様次第という感じだが。

自分がどういう状況であれ、神様の良いものを皆さんと分かちあい、また、特に教会の外にいる方たちの癒しのために祈りたい。

記事は少なくても、前よりたくさん礼拝し、今、いろんなことを祈れている。聖霊様のすばらしい体験の中にあって、良い形で、聖書を通して分かち合いたい。

ブログ一年のこれまでとこれからを書いた。

訪問してくださる方々一人一人を心から感謝している。

さらに、ともにすばらしい主を分かち合いたい。

皆さま、今後もよろしくお願いします。

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2009年7月 1日 (水)

“Sebaからあなたへの手紙”

手紙形式で、読んでくださる方に、私の思いを書きました。

『どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。』ガラテヤ人の手紙1:4

思い返せば、私は手紙を書くことが、大好きで、小さいころから手紙を良く書きました。小学4年のときは、文通していた友人がいて、その彼女と初めて会ったときの新鮮さを思い出します。

今は、メールで用事が済みますが、改めて、このブログ訪問の方にお手紙を書いてみることにします。

「お会いしたこともない、あなたを思いお手紙を書きます。

お会いしていませんが、いつも、私のブログを読んでいただいているというだけで、私の中では、あなたとの関係がつながっている不思議を思っています。

Setsuさんが、この前コメントで、『何があっても、私たちはキリストにあって、一つやで!』(たぶん、彼女は関西人?)と言ってくれました。

私は教会でダメージを受けてきたので、“キリストにあって一つ”という感覚を持ったことが今までありませんでした。

私自身もそのような記述を書いたのですが、彼女から言われて、そのとおり…とその思いがストンと心の中に入りました。

私は今まで経験したことのないことを体験しています。

神様の素晴らしさを分かち合いたいと、ブログ記事を書いている訳ですが、毎日のように見に来てくださるお一人お一人を思うと、お会いしたこともないあなたのためにと祈りがわいてくるのです。

神様から同じ良いものを受けて、私たちが共に神様にある祝福にありますようにと祈りが湧いてきます。

今まで、私の霊的賜物が教会の中で使われたことがあまりなかったので、それを分かち合うとそこに祈りが生まれるのを体験しています。

会ったことも、話たこともなく、あなたのことは何もわからないのに、訪問に来てくれ、分かちあってくれた事実に祈りが生まれるのですから、不思議です。

いつもパソコンナンバー(あるいは携帯ナンバー)で祈っています。

私たちはキリストにあって一つなのだと思います。

同じイエス様の赦しを受け、同じ神様の慰めを受け、同じ聖霊様の喜びの水を飲んでいます。

そして、キリストにあって一つというのは、この世の中でランチしたり、お酒飲んだりする楽しみに比べられないすばらしいことなのだと思います。それは天国の交わりです。

ブログを読んでくれるあなたは一人で私に向かってくれているので、“みんな”でキリストにあって一つという感覚はないかもしれません。

でも、私が体験していることを、また、皆さんに返していきたいと思っています。

私にとって、同じ神様の分かち合いをするあなたは、かけがえない存在です。

神様にとって、あなたがそうだからです。

この私のブログを書くということ、あなたが読んでくれるということが、私の中で主にある交わりとなっていますが、さらに、この素晴らしい経験の中で、私たちに神様が良いものを与えてくださるように祈ります。

いつも、訪問ありがとう。私はあなたに読んでもらい、支えられ、教えられていますから感謝しています。

主の恵みがあなたのうえに、さらにありますように心から祈ります。」

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2009年5月25日 (月)

私の“ブログ周辺”に思うこと

最近、ブログのコメントがにぎわったり、とても楽しい日々です。そして取り巻く皆さんに感謝します。

『初めからあったもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて…

私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。

私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。』新約聖書 第1ヨハネの手紙1:1.3

昨日、礼拝に向かう最中、一つの情景が目に浮かびました。

それはイエス様のもとにいて、楽しそうにそれぞれがいる姿です。

今、このブログの周辺にも、イエス様によって、それぞれが好きなこと楽しんだり、イエス様から良いものをもらったりしているんだなぁと思いました。

このブログ周辺で、イエス様を楽しんでいる一部の人を紹介します。

まず、sebaこと、私。何の考えもなく、主人に言われて、突然去年ブログをスタート。自分の神様にある体験中心に話しを書いていましたが、ネタが切れそうになり、信仰のこと、教会のことなど今中心的に書いて、私自身祝福されています。

神様から聖書の話しを聞いて書いているので、書いている私が、「そんな内容もあったんですね。」と感動しています。

次に、ブログ管理人をやっている主人。綺麗な花や空の写真を撮りに行き、つけてくれています。私は未だに、パソコンは使いこなせず、携帯から記事アップしていますが、私のところに訪問者が増えるよう、日夜?いろんな工夫、努力をしてくれています。

3月頃から来てくださるようになった、求道中とのことの泉さん、イエス様に癒され、慰められているでしょうか。泉さんを通して、私はイエス様の素晴らしさを感じています。

ごく最近来てくださるようになったettuさん、彼が来てからこのブログが変わりました。なんか、コメントの少ないブログでしたが、コメントが増えました。集う人で、交流会になって、素敵です。

ettuさんは、たぶん3日間くらいかけて、私の過去ブログを読んでくれました。私の出会うイエス様を共に喜んでくださり、いつも、祈り、「このブログで交流しましょう」と外に向かって呼びかけてくれています。

ヨエルさんも最近来てくださいましたが、教会に傷んだ人のために祈っていつもコメントしてくれます。

そして、いつも欠かさず、読みにきてくださる皆さん。私は来てくれる人がいなかったら、こんなに神様に聖書のことを“聞く”作業はできなかったと思っています。来てくださる方によって、このブログも、成長している感じです。

私などは、教会でダメージ受けたことのほうが多かったので、霊的家族を知らない孤児のような感じです。

けれども、イエス様のもとで、好きな感じで、やりたいようにやるって、素敵だなぁと思います。

なんだか、私のブログでなく、イエス様にあって、みんなで作っているブログみたいと、胸ときめきます。

皆さんを通して、イエス様につながる喜びを、遅ればせながら感じさせてもらっています。

本当にありがとうございます。この感謝に答えて、私自身は聖書から聞いて分かち合う作業に忠実にありたく思っています。

ブログ訪問されたお一人、お一人に神様の祝福があることを心から願っています。

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2009年5月21日 (木)

“聞く”能力

ブログ近況報告です。

『神である主は、私の耳を開かれた。』旧約聖書 イザヤ50:5

私のブログ訪問を定期的にしてくださる方々に、いつも、感謝しています。

いつも話しますが、私にブログを毎日書かせる動機は「訪問してくださる方がいる。読んでくださる方がいるから書こう。」ということです。

それは我が家に訪問してくださる方のために準備して、ワクワクしながら、待つ…そんな感じです。

私が、おもてなしの中で大切にしたいことは、「私は、あなたと親しく、楽しく、深くお話しをして、関係を深めたいのです。」ということですね。

私は、実生活では、「聞き上手だね。」と友人から時々言われます。私に与えられている能力、賜物の一つと思います。

これは、心が癒されてから、顕著になりました。私は、最高の相談者である神様に何でも相談して、安心しているので、聞いてもらって嬉しいことが人にもしたいのかもしれませんね。

ブログは“書く”という作業ですが、ここでも、私は神様から“聞く”“教えてもらう”という作業をフルにしています。私のわずかな聖書知識や、アイデアでは書けません。だから、“書く”という作業をしながら、私自身が神様から“聞く”ことをしているので、楽しくて仕方ありません。

最近、もうひとつ“聞く”場所が開かれ始めているように思います。

“教会の外にいるクリスチャンの声を聞く”ということです。

私はこの“外にいるクリスチャンの声”を聞いて祈る、もしくは、聞いて、“教会の中の人に伝える”そんなことを任されているような気がしてきました。

今、神様から“聖書の恵みのメッセージ”と“外にいるクリスチャンに対するメッセージ”同時に両方教えられています。

ここでのブログの神様から教えられた聖書の話しは、私にとってもかけがえなく、ずっと続けさせてもらおうと思っています。

もう一つの“外のクリスチャンが神様の約束を体験する”ことを見るために、“聞いて書く”作業はしばらく、合間合間にいれさせてもらいます。

もし、導かれたら、後者のほうだけを新しいブログ開設にして、いつかお引っ越しするかもしれません。

それまで、両方にお付き合いください。聖書の話しは、祈りつつ、1日一つはアップしたいと願っています。

また、コメントの少ないブログでしたが、新しいテーマのせいか、最近時々、コメントをいただいています。交流好きの私としては、幸せ倍増です♪

お時間があったら、コメントも是非、読んでください。私の思いを強力にサポートしてくれ始めたettuさんの思いも綴られています。

神様の良いものをたくさん、分かち合えますよう、心からお祈りしています。

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2009年5月18日 (月)

人を動かす“十字架の力”

『ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追及します。

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。

ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。』新約聖書 第1コリント人への手紙1:22~24

2日前、私のブログ人生の中で初めて(って…まだ10か月だが)コメントを5個もいただいた。

そして「毎日更新、凄い」とのお褒めのことばをいただいた。

「パパ、毎日更新凄いねってほめられたよ。」というと、主人すかさずこう言った。

「はい、私(sebaのこと)は、日夜、家事も忘れて、何にも優先して書き続け、疲れては休息し、また、書き続けるのでした。」

まさにそんな感じ…。私も主人と大笑いした。

コメントで、「キリスト教ってシンプルですね。」といただき、まさに、そのとおりと思った。

今から一年前。私が日曜日の礼拝に行くたび、「イエス・キリストの十字架!!」というイメージが礼拝場所を包んでいた時期があった。

そして、「イエス・キリストの十字架が一番大事なんですよね。神様。」と祈っていたとき、「そうか!イエス様の十字架がなかったら、神様との交わりも何もないのか。神様とは出会えなかったんだ。」と、その十字架の恩恵を改めて、ひしひしと思った。

私の今日のビッグな出来事…それは私のためにイエス様が十字架にかかってくれたこと…すべてはそこから出発する。

私は意志も弱く、努力家ではない。もし意志が強く、努力家だったら、挫折して神様のところにたどり着いていなかった。

何もできない私を動かしているもの、それは、イエス・キリストの十字架の愛なのだと思う。

十字架だけが凄いと思えたのは、本当に最近だが、きっと、理屈を越えたところで、造り変え、動かしてきてくれたのは十字架の力なのだと思う。

「教会行かなくていいよ。」「聖書に従わなくていいよ。」とか言ったら、非難を浴びそうである。異端児扱い!?

だけど、「十字架以外に大事なものはない。」と言いたい。十字架の愛の力だけが、人を変え、人を動かすから。

「十字架を信じているなら、これをしろ、あれをしろ。」と思うかもしれないが、十字架に突き動かされたら、きっとじっとはしていられない。

私はブログ中毒…大丈夫か…と思うが、イエス・キリストの十字架に今、新たな思いで出会い、分かち合いたい気持ちが溢れている。

ブログ訪問してくださり、読んでくださる方々に心から感謝しています。

そして、「イエスの十字架だけが大事なんだ!」と共感してくださる方が増えてほしいと願っています。本当の神様の恵みはイエス様の十字架から流れています。

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2009年5月 1日 (金)

創世記から…

次の分かち合いの予告です。

『初めに、神が天と地を創造した。

地には形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。

そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰(おお)せられた。すると光ができた。』旧約聖書 1:1.2

いつもブログ訪問ありがとうございます。

私はブログを書くようになって、聖書のことばを考える時間がとても多くなりました。

そして、胸がときめきます。神様は改めて、素晴らしい方だと、喜びに満たされます。

タラントの分かち合いが終わったところで、創世記から共に分かち合いたいと思います。

神様は初めであり、終わりです。この初め…天地創造から始まる創世記には、神様の思いがたくさんつまっているのだろうなぁと思います。

聖書知識としてでなく、私が深く教えられたところを体験と共に書きたいと思います。なので、飛び飛びになりますが、よろしくお願いします。

神様の素晴らしさ、イエス様の赦しの光を共に分かち合えることを願っています。

訪問してくださる方々の神様との親しい交流がありますことを祈ります。

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2009年4月29日 (水)

タラント発見の旅・寄り道(私に与えられているもの)

最近、ブログを書きながら、私に与えられている最も大切な、情熱が傾けられることはこれしかないと思わされています。

『私は、「主(神)のことばを宣(の)べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。』旧約聖書 エレミヤ書20:9

この前、ボランティアの懇親会で、「今、何が一番楽しいの?」と聞かれ、「ブログを書くこと」と私は即答していた。

少し前だったら、「人と会って話すこと」だったが、今や“ブログ中毒”のようだ。

自分で分析するに、ブログをただ書いてるから楽しいということではないと思う。

ブログに書いていることは、私の一番心の底にある本音の神様の分かち合いで、それが書けること。そして、パソコンや携帯で、定期的に訪問してくださる方々がいて、分かち合ってくれていること。私がこういう形で神様をほめたたえ、大好きな聖書のことばを分かち合えていること。そして、ボキャブラリーが少なく、つたない文たけど、神様がこんな風に書いたら?…と教えてくれ、時には書きながら聖書の秘密を神様が教えてくださってること。書きながら、神様はやっぱりすごいと思えること。見えない訪問者の方たちのために祈れる祝福。とにかく、訪問してくださる方あってのブログなのだが、楽しくて仕方がない。

悲しみの人、預言者エレミヤは、イスラエルの民に「このままでは、あなたたちは神様のさばきにあい、バビロンに捕囚されてしまう。悔い改めよ。」と預言する。

が、その悲痛な叫びも民には届かず、エレミヤ自身は迫害にあい苦しむ。そんな中で、「もう神様の思いは語りたくないと思ったが、与えられた神様の思いは黙っているには苦しくて黙っていることは出来ません。」と言っているのが、この聖書の箇所だろう。

私も育児したり、ボランティアしたり、人と交流したり、癒されての日々は楽しいが、私にとって、神様のことばを分かち合うにまさる喜びはない…と今、実感している。

ブログ中毒でいいのか…と思いつつ、今は許されて、このようなときを持たせてもらっている幸せを思う。

私が最も情熱を傾けられることは、神様のあかしをし、神様のことばと思いを分かち合う…これしかないと私に与えられた賜物(神様から与えられた情熱とプレゼント)だと思うのだった。

ブログ訪問感謝します。ともに神様の良いものを分かち合いたいと切に願っています。そして、お一人お一人の生活の祝福を心から祈っています。

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2009年4月16日 (木)

神様の思い

最近、私は神様から一つの思いをいただいています。今までにない感覚ですが、私の願いを神様が応援してくれているのだと思います。

『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。

再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。』旧約聖書 エレミヤ書31:3.4

私がブログを書き始めて9か月になる。

今はブログを書くこと、訪問してくださる方たちのために祈ることが生活の中心になっている。

最近、神様からたった一つのことを強く語られている気がする。

それは、「私はあなたを愛しているよ。」ということではなく、「私はあなたたちを愛しているよ。」ということである。

「あなたたち」は、私と私の証しを分かち合ってくれている方々。

けれど、「聞いてくれる?あなたのこと、神様はすっごく愛しているんだって。」って言っても何も伝わらない。

たぶん、自分に与えられた神様からの恵みを、人と分かちあいたいという願望を神様が後押ししてくれているのだと思う。

聖書はどこを開いても、神様から私たちへの「愛しているよ」というメッセージに溢れているのだと思う。

ただ、私たちの側で、その恵みの扉を開けることができないと、そのメッセージがときとしてきつく、裁きだけのような神様の印象を与える。

神様は一人子をお与えになるほどに、私たち一人一人を深く愛された。

叱るときも、裁いてるかのようなときも、一貫して変わらないお方である。

私のように気分でコロコロ変わってしまう方ではない。

神様のそんなみんなへの愛情を感じながら、前にも書いたことがあるが、“神様の愛が秘められた十戒”について、祈りつつ、教えられつつ、一緒に分かち合いたいなぁと願っています。

訪問ありがとうございます。神様にある祝福を心から祈っています。

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2009年4月 4日 (土)

ブログ訪問の感謝

自分のブログの携帯アクセスを見られるようになりました。いろいろな形で、見にきてくれる方々に改めて感謝します。

『わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。

わたしは、渇(かわ)く者には、いのちの水の泉から、値(あたい)なしに飲ませる。

勝利を得る者は、これらのものを相続する。

わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。』新約聖書 黙示録21:6.7

昨日、ブログのアクセス解析をパソコンだけでなく、携帯のものを見られるように、主人がしてくれた。

携帯からも毎日、何人かが見にきてくださっているのを知り、感謝した。

ブログを始めたのは、去年の7月、パソコンも開けなかった私だったが、「さあ、画面作ったよ。今日からやって。」と主人に言われ、ブログが何かも良くわからないまま始めた。

今では、ブログが毎日の中心になり、そこに対する祈りも多くなった。

初めはノンクリスチャンの友人に、私の神様や体験を知ってもらうのが主だった。だから、信仰ドップリの話し方はしないようにした。

体験ネタが尽きたころから、信仰の話しを書くようになった。神様を知らない人の前で、教会への苦痛の話しなどかなりためらったが、そこは私にとっての深いところの本音と思った。

苦しかった体験の共有というと、私には教会のこと抜きには書けないかなぁと思った。

今、私の願いは、「神様が本当に私たちを愛しておられる」ことを、聖書の約束のことばから分かち合えたらということ。

ブログを始める前は、聖書は自分を支えるためのものだった。

今は自分と誰かで分け合うために聖書を読んでいる。誰かのためだけでは、自分が食べないで倒れてしまう。

小さな弁当だけど、一緒につまんで食べてもらう感じである。

映像的に浮かぶのは、茶色の鉄でできた取っ手を上下に上げ下ろし汲み上げる井戸の機械。その取っ手を動かすと、ポンプが動き、深いところから水を汲み上げ、流れでる。イエス様のいのちの水を汲み上げて、流す作業を忠実にしたいと思う。

そして、会ったこともない方たちだけど、私のブログを見にきてくれた人たちの祝福を心から祈っています。

私の体験や思いは忘れられても、神様のことば、聖書のことばがお一人お一人の中に生きて働かれることを願っています。

訪問を心から感謝します。食べてくれる人がいるから作る喜びがあるように、見てくれる人あってのブログです。感謝します。

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2009年3月23日 (月)

ブログ訪問の皆さんへ

あるブログの紹介をします。

『あなた(神)のみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜(みつ)よりも私の口に甘いのです。』旧約聖書 詩篇119:103

今日はある方のブログを皆さんに紹介したいと思います。

私がブログを始めて8か月です。少しずつ、他の方のブログも見させていただくようになりました。

が、特に親しいお友だちができる訳でもなく、訪問してくださる皆さんに支えられてブログを書いてきました。

一ヶ月前に、とても素敵なブログを見つけ、以来毎回訪問し、コメントさせてもらっています。いつもその方のブログからいろいろなことを教えられ、コメントを載せると、丁寧なお返事が書かれてあります。信仰相談してもらっている感じです。

そのブログは、ご存じの方もいるかもしれませんが、お気に入りブログにものせた、「キリストの優しい風」と「スィーツバイブル」(聖書を優しくあたたかく解説)です。お忙しいらしく、更新やお返事は土曜日か日曜日の一回のようです。

書いているのは、“みのみの”さんという方。プロフィールにクリスチャンになった経緯が書かれてあります。いじめ、不登校の中、中学3年でもう一度、イエス様に導かれたそうです。テレビ伝道を通して。

その後2つの神学校に行かれました。2008.12.31「キリストの優しい風」の記事を読んだのですが、数年前、腰から下が動かなくなり、ボロボロになり、主の御手に落ちた…とありました。

2年前に癒され、今、神様の計画されているところの準備中といったところなのでしょうか。

苦しいところを通らされ、イエス様との深い結び付きの中、神様の恵みの世界を分かちあってくれています。

私一人で、みのみのさんを通して語られる神様の恵みを聞いているのはもったいないので、ご紹介しました。

私も常々、神様は恵みとあわれみに満ちたお方で、そのことを人と分かち合いたいと願っています。

みのみのさんを通して、神様の深い恵みと慰めを分かち合ってみてください。

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