“サタンには御霊で勝つ”
サタンの策略に対して思ったことです。
『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身につけなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪魔に対するものです。』新約聖書 エペソ人への手紙6:11.12
私は初めに導かれた教会が福音派だったからか、自分が霊的なタイプではなかったからかわからないが、“サタン”という存在が良くわからなかった。
たぶん、等しく、イエス様や御霊に対しても、霊的に知ることにうとかったのだと思うが…。
今は、どんな状況にあっても、平安に守られていることが多くなってきたので、言い知れない嫌な思いとか、批判的な思いは、決して状況や人によるのではなく、サタンが忍びよって、偽っているのだなぁと思うようになってきた。
今日、会った友人から、「クリスチャンは豆まきとか厄払いはないのか」と聞かれ、「そういうのは一切ないが、サタンが私の中に入ってきて、相手が憎々しく感じたりしたら、そうさせるサタンだなと思い、『イエス様の名前によってサタンよ、退きなさい。』とかとは祈るけれどね。」と話した。
もう一人の友人が「私もサタンなのか、思いだしたら憎々しくなる身内がいる。」と話しをしていた。ご苦労されたらしいが、サタンがなんとなくわかるノンクリスチャンの友人なのかもしれない。
『私たちの戦いは血肉によらず霊的な戦いだ。』という聖書のことばは昔から良く知っていた。
が、最近は、「この嫌な思いにさせるのは、人ではなく、偽りのサタンなのだなぁ。」と良くわかるようになってきた。
昨日も人と会ったことで少し気持ちが乱されて、私の何が悪かったのだろうかと今朝になって思った。
もしかしたら、無防備に、相手に入っているサタンに影響されたのかもしれないし、私に 何かスキがあったのかもしれない。
サタンに対しては、攻撃が最大の防御なのかもしれない。(まだ、いろいろわからないが。)
攻撃というのは、御霊によって相手を愛して祈る…という意味で使ってみた。
あるクリスチャンの方が、サタンは堕落したみ使いだから、私たちより数倍も知能があって、私たちがサタンのうえをいって、勝つことはできないと言っていた。
なるほどと思う。
私たちはイエス様のお力に頼り、御霊に頼るしかない。
祈りは愛である。
御霊はイエス様の愛である。
御霊で人を愛して祈るとき、サタンは光の前から退散する。
『憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。』箴言10:12とある。
サタンは争いを好み、イエス様の愛はすべてのそむきの罪をおおうとも言えよう。
私たちが誰かに敵対しているときは、御霊でなくて、サタンに組みしているのである。
平和の神が、すみやかに、イエス様によって私たちの足でサタンを踏み砕いてくださいますように。 (ローマ16:20)
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コメント
イエスさまは、荒野のサタンから受けた試練にみことばで打ち勝ちました。聖書におけるサタンの位置づけは、人間より劣るものという位置づけです。人間はみことばによってサタンに勝ちます。「あるクリスチャンの方が、サタンは堕落したみ使いだから、私たちより数倍も知能があって、私たちがサタンのうえをいって、勝つことはできないと言っていた」。「なるほどなあ」と記されていますが、それはサタンの思うつぼです。人間はサタンには負けません。サタンに打ち勝つという信仰をぜひお持ちください。
投稿: T.NAKAGAWA | 2012年2月 9日 (木) 05時31分
投稿: seba | 2012年2月 9日 (木) 21時19分
Sebaさん、はじめまして!スティーブ・マクベイ著の「恵みの歩み」検索からこのブログの存在を知り、読ませていただいています。sebaさんのうちに働くキリストの御霊の力がひしひしと伝わってきます!これからよろしくお願いします。
投稿: Wakamine | 2012年2月 9日 (木) 23時55分
御霊に生かされることが、いろんな縛りや努力から解放されたイエス様にある導きだと教えられる最近です。
よろしくお願いします。
投稿: seba | 2012年2月10日 (金) 12時15分