“上から来られたイエス様によって”
朽ちていく肉体にあっても、御霊に生かされ、キリストのいのちに生かされますよう祈りました。
『それでイエスは彼らに言われた。「あなたがたが来たのは下からであり、わたしが来たのは上からです。
あなたがたはこの世の者であり、わたしはこの世の者ではありません。
それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。
もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」』新約聖書 ヨハネの福音書8:23.24
神様は天地を造られ、今世界を保って働かれる方であり、私たち人間を愛して、イエス様を送られ、私たちに救済を与えられた。
私たちが来たのは、下からであり、人間レベルのことしか知ることができない。
下から来た私たちは、アダムとエバ以来皆、自分が神様のようであるから、それぞれめいめいに考えて、自分の意見をいいあい、何が正しいのかわからない複雑な世界になる。
上からこられたイエス様は神様と一つで、神様が思うことのみをなさる。
上からの知識や知恵はシンプルで、子どもでもわかるようなものだが、御霊が与えられていない人や、御霊を歓迎しない人にはまったく見えない。
私たちは自分の罪の中で死ぬ者であった。
ただお一人イエス様だけが神様と私たちの完全な仲介者であり、上から来られた方であり、罪の中に滅びゆくものを救ってくだっさった方である。
私たちはこの世に属する者であったが、イエス様によってきよめ分かたれ、神様のものとなり、イエス様とともにこの世のものでなくなった。
ブログを書くときは、御霊にあってイエス様を思い、天にある恵みを与えられていることを感謝する。
しかし、普通に生活していると、この世のことを考えて、この世に埋没してしまいそうになる。
“永遠のいのち”は、イエス様から与えられたいのちだが、また永遠につながる、イエス様につながるいのちなのだと思う。
歳をとって、体力が衰え、体が衰えても、私たちは罪赦され、神様のものとされたのだから、この朽ちていく体にあって、日々御霊に生かされ、イエス様にある喜びに生かされたいと思った。
天のお父さん、私たちの地上での命と生活は限られています。
どうぞ、どんなときも朽ちていく肉体にあっても、御霊が喜び、主を賛美して生かされていきますように。
私の自我が日々十字架につけられ、キリストがどんなときも、ますますに現されていきますように。
イエス様とともに、上からの祝福を与えらてくださる主を感謝します。
感謝し、イエス様のみなによって祈ります。アーメン
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)





























最近のコメント