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2009年11月 9日 (月)

“返さなければならない負債”

私が負っている負債について考えました。

『私は、ギリシャ人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。

ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』新約聖書 ローマ人への手紙1:14~16

私は神学校を卒業する28歳の頃、神様にこんな風に言ったのを覚えている。

「神様、私は伝道(イエス様の救いを伝える)をしたくて、したくて仕方ありません。福音を拡げたいという神様の願いと合致しているので、何の問題もなくそのことはなされますね。」

ところが神様からしたら、問題だらけだったらしい。

私はその後、行く教会、教会で問題にぶちあたっていく。

私の心の癒しも長い年月を用した。

先のようなことを神様に話しかけ、様々な試みを通され、22年の月日がたつ。

あの頃は、伝道したい気持ちにあふれていたけれど、神様のことも、人のことも、自分のことも、わかっているようで何もわかっていなかったなぁと思う。

それでは、今はわかっているかと言えば、もちろん多くをわかっていないのかもしれない。

が、何を誇りとするか、ハッキリと教えられた。若い頃は、私の中にある情熱や思いが中心だったが、今は主を知っていることが誇りである。

『誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたし(神)を知っていることを。』エレミヤ9:24

私の若い頃は、ごう慢だったのだと思う。そこで、もしいろんな道が開かれていたら、自分の力に頼っていたと思う。

今はというと、自分が無力であることを感じている。

だから、神様に祈り求めたいと思うのだろう。

やみは、様々なところに当たり前のように拡がっている。

誰かの悲しみや苦しみが私の責任とは思えない。

しかし、もし、イエス様の十字架の救いや癒しが、やみにおおわれている人に届いていたら、その人々は苦しまず、求める方に求め、救われていたかもしれない。

パウロは、「私はすべての人に、福音を伝える責任(返さなくてはならない負債)を負っている。」と言った。

私もまた、すべての人に負債を返す責任を負っているのだなぁと、今日、改めて強く思わされた。

それは、私が何かをすることが先なのではない。

主が願っておられるときに、主の願いの通り、私の分ができるよう、いつも、目を覚まし、人々の救いのために祈ることなのだと思う。

パウロが言った、“返さなければならない負債”ということばが響いた。

神様、どうぞ、イエス様の十字架によって、人々が重荷をイエス様に下ろし、慰めと喜びを見い出せますように。

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コメント

sebaさん、こんにちは。いつもブログありがとうございます。
私の心もまだ癒えてないようで、エネルギーがなくなって否定的な考えが頭を覆ってしまいます。
ことあるごとに自分の情けなさや無価値感に絶望します。sebaさん、そんなつらいときこそが自分を捨て去れる幸いなのでしょうか。
私には何もない、神様に頼れることが幸せ、素直にそう思いたいのに、苦しい自分がいます。正直に言っちゃいますが…
他人に為の祈りさえ、私の祈りは神様に届いているんだろうか、本当に聞いてくださるのだろうか、疑問にさえ思ってしまいます。
親友が気遣ってくれる、でも何も彼女に返してあげられない、私はどうしたらいいのでしょうか。
ただ生きているだけではだめなんでしょうか…
すみません、今日はつらくて弱ってコメントしてしまいました。

投稿: ももこ | 2009年11月 9日 (月) 13時35分

moon3ももこさん、こんばんは。

イエス様は私たちの全部を赦し、受け入れてくれていますが、セルフイメージ(自己像)が低いと、なかなかイエス様が受け入れてくれていることを実感できないですよね。私もそうでした。

イエス様が自分を受け入れてくれていることを受け取って安心していくことが大切なのだと思います。

私の場合は、第一ヨハネ1:9のみことばで、イエス様が私を受け入れてくれていることを、私自身が受け取る作業をずっと続けて癒されてきました。

たとえば、「落ち込んでる私を赦してください。赦され癒され、きよめられたことを感謝します。」と祈ります。”罪”というと抵抗がありますが、本来神様にない姿のすべてを、私は心の苦しみとともに告白し、イエス様の赦しと癒しがおおうように祈りました。

100パーセント、自己否定、自己嫌悪でどうしようもない私は、今では100パーセント自己を受け入れています。

イエス様の赦しは癒しであり、解放です。ももこさんもたくさんの心の傷が、癒されるように祈ります。

神様、あなたはももこさんがイエス様のいのちと代わるほど、尊く大切な存在と愛してくれています。けれども、ももこさんの過去のダメージがその真実を受け入れにくくしています。

どうぞ、イエス様の赦しを受け取れますように。イエス様はすべてを赦し、「そのままでいいよ」と言ってくれていますが、そのことをひとつひとつ受け止めていく作業をさせてください。

”情けなく思う思い””無価値感”に思わせる偽りの思いから解放してください。イエス様が受け止めて大切にしてくれる同じ思いにしてください。

イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

”わたし神の目には、ももこさんは高価で尊い”(イザヤ43:4)ということが真実です。赦しと癒しの中、受け取れていけますように。

苦しくなったら、いつでも来てください。私も自分の否定で苦しんだので、ももこさんの苦しみがよくわかります。祈っていきましょう。

投稿: seba | 2009年11月 9日 (月) 22時49分

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