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2009年7月 9日 (木)

“主よ。私の手のわざを確かなものにしてください。”

私の手のわざを確かなものとする…について教えられました。

『私たちの齢(よわい)は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。

それゆえに、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。

そうして私たちに知恵の心を得させてください。…

私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。

そして、私たちの手のわざを確かなものとしてください。

どうか、私たちの手のわざを確かなものとしてください。』旧約聖書 詩篇90:10~12.17

今から20年前に、私は結婚した。心が癒されていなくて、普通に穏やかに過ぎていく毎日なのに、この「どうか、私たちの手のわざを確かなものとしてください。」と毎日祈った。

私の中で、神様の働きができない日々がとても悲しかった。

今日、この聖書のことばを開いた。

あの頃の自分を懐かしく思う。神様にある回復をした私には、まったく違うメッセージとなり、このことばが入ってくる。

私たちはやがて、ちりに帰る神様からみたら小さな存在である。

そんな限りある地上にあって、大切なこと、私の手のわざが確かにされること、それは“何かをやっている”とかいうことではない。

永遠の神様の前に大切なこと…それは、神様を愛し、神様を恐れ、神様とともに生きるということ。

限りある私たちが、何かをやっても、それもまた限りあることである。

神様だけがすべての計画をもっておられ、神様だけが、その一部を私たちに託し、私たちは限りある中で、そのことをなす。

しかし、何かをしても、しなくても、ただ神様だけが、永遠の方であり、私たちは御怒りまぬがれ、あわれみの中に生かされるだけだ。

人の評価で、大きなことや小さなことはあるかも知れない。

しかし、絶対的な神様にあっては人間的な基準とは違う基準がある。

主よ。あなたを恐れることを教えてください。

主よ。あなたにふさわしくあるものとしてください。

主よ。砕かれた悔いた心を与えてください。

主よ。あなただけを愛する心を与えてください。

主よ、あなたを愛します。私の手のわざは、私があなたを賛美し、あがめることです。

愛します、主よ。

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