“私の歩んだ教会たち”6-2・赦す
私が“教会”を赦し、手放したときのことです。
『神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。』新約聖書 第2コリント人への手紙5:18
“期待”が“裏切り”になると、人は心に苦々(にがにが)しい思いをもつ。そして、相手に要求する思いが自分を縛る。
それを“赦せない”思いと言う。
私は教会の牧師たちが赦せなかった。「なぜ、神様はもっと優しく、恵み深く、あわれみに満ちているのに、その神様を聖書からきちんと語らないのですか?」
そのような思いに、がんじがらめになっていた。
時満ちて、そんな私も神様によって悔い改めに至った。
一番大きかったのは、「赦さない行為は、何かを相手に要求し続けていることなので、相手をつかんでいることで、その影響を受け、支配されることになる。」という「境界線」の本の一文に出会ったことだった。
「神様、もっとも嫌だと思う人に、私が要求、期待している限り、私はその人に支配されるのですね。それは嫌です。
神様、あなただけに支配されたいです。
すべての人を赦します。関わったすべての牧師を赦します。」
そうして、過去に関わったすべての牧師の名前をあげて、赦す祈り、相手に要求しないで、期待しないで、手をひく祈りをした。
すっきりした。これで、神様以外に私は支配されていないと感じた。
そのとき、通っていた牧師にも一言、謝った。
これが、25年赦せなくなっていた牧師たちを赦した日となった。
神様以外、誰にも要求しない、誰にも期待しない…神様だけに支配される。そのことのすばらしさは、すぐにやって来た。
私がどんなに神様から愛され、期待され、計画されているか、直接に神様から溢れるばかりに感じることができた。
神様に受け入れられているので、愛されている自分を100%いとおしいと思えた。
もうこの体験は、何度も記事に書いてきたが、私の教会生活でとても大きな出来事だった。
私が“人を裁く”という罪を手放したとき、内側に聖霊様の喜びに溢れるとともに、外側の環境も変わっていく。
神様は忍耐し、私がこのように自分の罪から解放される日を待って、導いてくださっていた。
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神様、“人を裁く”大きな罪を、神様によって、手放すことができて、ありがとうございます。
私の握っていたものが、神様から直接来る恵みを妨げていました。
神様は、私の弱さをご存じで、私が手放せる道筋を忍耐して、作ってくれました。
手放す自由を本を通して教えくれました。
聖霊様が助けてくださり、赦す祈りを、喜んですることができました。
すべてはただあなたによることですが、神様の備えと導きとすべてを感謝します。
同じ苦しみにある人を、主の深い慰めとあわれみに包み、導いてください。
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コメント
何度も読みながら、〝赦せない〟のかな?と自問しつつ、辛いです。
ただ、〝怖い〟・・。でも、怖さとは違うような?〝嫌悪〟・・。それ程の思いでもないような?
一歩踏み出せたと思っていたのに、日程を決めなければならない(今月また会うということ)ことが出てきたら、体調を崩す自分に情けなさを覚えます。
投稿: ぼす | 2009年7月 8日 (水) 19時12分
私たちは、傷つけられたら、赦せないのだと思う。
赦さなくていいんだよ。赦していないぼすの苦しみを知って、イエス様が「そのままでいいよ。ぼすの弱さの苦しみだけ、わたしが引き受けます。」と言ってくれています。
祈りますね。
「神様、苦しいです。助けてください。この苦しみを、怖さを、責めをイエス様の十字架の打ち傷によって癒してください。イエス様の十字架の苦しみで、ぼすの苦しみの全部を代わりに負って、楽にしてください。恐れを取り去ってください。イエス様のお名前で祈ります。アーメン。」
イエス様の安心が心に来るよう、からだの回復とともに、祈っています。
投稿: seba | 2009年7月 8日 (水) 20時20分
セバ、祈ってくれてありがとう。
ただ、〝赦せない〟弱い自分を自身が受け入れてよいの?
努力をしない、信頼や期待に応えられない自分を自らが赦してはいけないよね。それは単なる甘えでしかないよね。
投稿: | 2009年7月 8日 (水) 21時39分
私も死刑に値する弱さ、醜さ、愚かさを持っているよ。
それは、自分の力で解いていけないもので。
だから、イエス様が「ぼすの死刑に値するものを、わたしに持ってきなさい。その弱さを、イエス様の十字架で引き取ってください、とお願いするなら私が引き取る。」といってくれるんだよ。
イエス様は、私たちの弱さ、みにくさ、愚かさを赦し、そこから解放するために来て、十字架刑にかかってくれたんだよ。
投稿: seba | 2009年7月 8日 (水) 22時55分