孤独を抱えたある中学生
一人の少年について書きます。
『悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その下は渇きで干からびるが、わたし、主(神)は、彼らを見捨てない。わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。』旧約聖書 イザヤ書41:17~18
一ヶ月程前、息子が通う中学に役員の仕事で出かけた帰り。正門のところである生徒を見かけた。まだ、帰るには少し早い時間で「あれ?早退の子かな?」と思った。彼は無表情で、カバンをさげて前を見ながら、すたすた歩いて正門を出ていった。すると、50メートルの距離をあけて、学校の男の先生が慌てることもなく、走って追いかけるでもなく、等間隔でずっと歩いてその子どものあとをついて行った。
隣にいた私の友人が、短く彼の家庭環境と最近の彼の行動を話してくれた。その話しを聞きながら、その彼は曲がり角を曲がって見えなくなり、しばらくして先生も曲がり角に消えて行った。
あの先生は途中であの子に追い付くのだろうか、誰もいないあの子の家まで行くんだろうか、ちょっと考えた。
両親の様々な事情で、きちんと親に向き合ってもらえずにいる彼の孤独の無言の叫びを聞いた気がした。
学校ではかなり有名で、彼の悪い噂を何人かから聞いていた。
彼の姿を見て、まだ、幼いあどけなさを残し、子どもと青年の境目にいる彼の悲しい心中を思った。
子どもたちは、自分の家庭しか知らないから、自分が親に愛されているか、いないかはわからないと心理学のある本にあった。
人は愛されるため、育ててもらうために生まれてきたのに、一番大切なものを受けられなかったら、生きていけない程辛いと思う。
自分の孤独な状況を客観的にもみれず、心はすさみ、荒れ果てていく、その少年。まわりに先生とか大人はいるがなかなかその隙間は埋まらないのだろう。黙ってついていって、あのあと、先生は追い付いて何を話しただろうか。
彼のように、心に孤独と闇を抱え、どうしていいかわからない子どもたちがたくさんいるのだろう。
何も出来ない私はその子を神様に見せてもらった気がして、思い出すたびにお祈りしている。
神様、子どもが悪い訳でもないのに、親たちや大人たちの事情で孤独な思いをする子どもたちに目を注いでくださり、彼らの深い孤独をおおい包んで、慰めてください。
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